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豊中文化幼稚園での実践
―平成のデジタルキッズ―


豊中文化幼稚園 松田 総平


1. コンピュータ…?
 A.イメージ
   a)機械的、冷たい、個別
   b)教育においては
   c)思い込み、先入観
 B.背景
   a)自然と人工
   b)ピアジェ
    (1)マインドストーム
    (2)LOGO(コンピュータ言語)
   c)フレーベル遊具(恩物)
   d)「懐疑的賛成派」

2. 幼児教育における実践
 A.遊具としてのコンピュータ利用
   a)探索と表現
   (1) デジタル・カメ(タートル・グラフィックス)と子ども
   (2) デジタル・お絵かきと子ども
   (3) インタラクティブ図鑑と子ども
 B.道具としてのコンピュータ利用
  a)情報の共有化
   (1) 幼稚園とインターネット
   (2) 母親のネットワーク

3. 幼児教育における課題
 A.思い込み
 B.基礎データ
 C.使用環境
  a)インターフェース
 D.保育観、教育観、価値観
  a)いくらよい道具でも
  b)リアルさの弊害
   (1) 情報量が多い=良いもの?
  c)ネット上でのモラル

4. 幼児教育における展望
 A.幼児教育こそ理想的環境かも?
 B.「懐疑的賛成派」


■ デジカメと子どもたち ■

 デジカメといっても,今流行りのデジタル・カメラのことではありません。コンピュータ上のサイバー・タートル、電脳亀のことです。

 このカメを操作するのが、プログラム言語ロゴ(LOGO)です。プログラム言語といっても、ベーシックやCなどの難解な呪文とは違い、子ども向けに開発されたものです。このロゴ言語の機能のひとつにタートル・グラフィックスがあります。タートル、文字通りのカメです。もともとは、ロボットのカメを動かしていたようですが、実際には画面上のカメをプログラムで動かします。このカメは、おなかにペンを付けています。だから、カメが歩き回ると画面上にナメクジが這った後のように線を描きます。おまけにこのカメ、一番最初は少しの言葉しか知りません。例えば、「前に〜歩進みなさい」とか「右に〜度回りなさい」とカメに伝えると、前に右にと線を残しながら動きます。いきなり「ちょっとだけ前に行って、右に曲がって、前に行って、その角を左に曲がって・・・」などの、複数の動きをすることはできなくでも、すでに知っている言葉を組み合わせて、新しい言葉を教えることは出来ます。

 この言葉を教える活動=プログラムという活動になります。例えば、「前に」と「右に」を何回か繰り返すことによって、三角形や四角形を一言で描くための「三角」や「四角」という言葉を新しく創ります。そして、今度はこの「三角」や「四角」を組み合わせて、「家」(四角形に三角形をのせた図形)という言葉を創ることも出来ます。

 こんなデジカメを使って子どもは、どうやって遊んで、どう学ぶのでしょう。これまでの第三者に教えられる学習ではなく、自分の考えを第三者に教えることで生まれる新しい学びとはどんなものでしょう?。その一例を紹介します。最初は、むちゃくちゃにキーを押し、めちゃくちゃにカメを動かし、くちゃくちゃに線を描きます。でも、そのうちにこのくちゃくちゃな線の中に偶然出来た三角形や四角形に触発され、画面上に三角や四角を描こうと自分で自分の課題を見つけだします。この自分で自分の課題を見つけるということが、他人に与えられた課題なんて、これほどつまらないモノはありません)。そして、カメを自分の思い通りに動かそうとし始めます。

 【プログラムを組む→実行する→間違える→間違いを捜す→再度プログラムを組む→実行する→間違えたらもう一度→成功すればOK→成就感→意欲→次の自己課題を見つける】学びの場に於いては、結果としてのプログラムよりこの過程が重要になります。作っては壊し、壊しては作る。子どもは、積み木を積む様にプログラムを組んでいきます。

 デジカメのおもしろい点がもう一つあります。それは、プログラムを通して子どもの思考(試行)過程を簡単に見ることが出来ることです。同じ四角形を描くにしても、いく通りも答えはあります。その子どもが、どの様に考え、どの様に間違い、どの様に考え方を変えていったか、一目瞭然。子どもの頭の中が丸見えです。

 現代の積み木ともいえるロゴ。あなたも一度、自分の頭の中を覗いてみてはいかがですか?客観的に自分の頭の中身が見えることは、裸になるより恥ずかしいかもしれません。


■ デジタル・お絵かき ■

 「幼稚園で子どもたちがコンピュータ・グラフィックスを描いている」と聞くと、「んっ、早期教育?!」という言葉が頭をかすめるのではないでしょうか。 機械が苦手な人がコンピュータ・グラフィックという言葉を聞くと、コンピュータが勝手に絵を描いてくれるものと誤解することが多いようです。しかし、実際にそんなことはありません。コンピュータ自身が絵を描くようになり、ベレー帽をかぶり、パイプをくわえながら絵筆を持って悩んでいる・・・なんて姿を想像すると何だかおかしくなりますよね。現在の段階では、人間がコンピュータを使って絵を描く方法であって、コンピュータはただの道具でしかありません。コンピュータは、絵筆や絵の具、画用紙といった画材の代わりです。道具を使い、絵を描くのは人間です。

 では従来の絵とコンピュータ・グラフィックとは、どこがどう違うのでしょうか?一番の違いは、【デジタル=再構成が簡単=編集が簡単】ということでしょう。例えば、絵の一部分の色を変えて全体のバランスを見るとか、絵の一部分を切り取って、移動や複写をするとか…。絵の具やクレパスで描いた絵で、こんなことが簡単にできるでしょうか?また、四角形を100個、200個と描いて、色を一つずつ違うようにすることは、大人でも気の遠くなるような作業です。子どもにとっては、技術的に不可能に近いことでしょう。でもコンピュータ・グラフィックでは、こんな作品が一瞬にして出来てしまいます。子どもたちの描いたコンピュータ・グラフィックスの展覧会を開いたときのことです。抽象画を専門に描く画家の方が子どもの作品を見て、「本当に子どもが描いたのですか? 日展に大人の作品として出しても分からないんじゃないですか。えらい、時代ですね・・・」と。

 これまで感性としてはありながら、技術が伴わないために表現したくても表現出来なかったことが出来るようになる。これは、すばらしいことです。子どもだけでなく、大人でも老人でも障害者の方でも同じことです。これこそ新しい道具を使う意義ではないでしょうか。

 もちろん新しい道具の出現は、良いことばかりではありません。問題になることもたくさんあります。その一つは、オリジナリティーの問題です。【デジタル=編集が簡単】ということは、【デジタル=コピーも簡単】ということです。子どもたちの活動を見ているとよくこういう場面があります。自分が描くときに、友だちの作品を呼び出しそれに何かを付け加え、自分の作品として保存する。子ども自身はコピーした意識もなくコピーをしてしまう。この作品はいったい誰の作品になるのでしょう?これは大人の社会でも大きな問題になっています。他人の作品のどこまでコピーを許すのか、許さないのか。著作権はどうなるのか?遺伝子にまで権利を主張しようとする世の中、世の中がデジタル社会になればなるほど非常に難しい問題です。もしかすれば、既存の価値観の変革が必要なのかもしれません。

 目の前のディスプレイを見ながら、机の上でマウスを操作して絵を描いていた子どもがこう言いました。「これ、不思議な机だね・・・」と。そこには、コンピュータは存在しません。既存の概念や価値観を捨て、デジタル画を描いてみてはいかがですか。ベレー帽をかぶった新しい自分が見えるかもしれません。


■ インタラクティブ図鑑 ■

 野外活動でコンピュータ!?と聞くと、アナログとデジタル、こんな正反対のモノのをどうするんだ!と思う人も多いんじゃないでしょうか?でもこんな使い方もあります。そのひとつが、インタラクティブ図鑑です。インタラクティブ図鑑というのは、何かを探すことだけを目的とした一方通行の図鑑ではありません。図鑑そのものの中を探索し、遊び学ぶことを目的としたものです。

 こんなインタラクティブ図鑑を子どもたちと作成しました。まず、よく行くハイキングコースの要所要所の風景をデジタルカメラで撮り、コンピュータに取り込みます。デジタルカメラというのは、これまでのカメラとは違い映像をデジタルデータとして記録できます。だから、映像をコンピュータなどのデジタルメディアで、簡単に加工したり、即編集することができます。フィルムを入れたり、現像に出す必要はありません。この様にして取り込んだ風景の映像データを相互にリンクし(つなぎ)、ハイキングコースを追体験できるソフトを作成します。これは、3Dのバーチャルリアリティーとまではいきませんが、画面上の行きたい方を指し示すだけで、前や後ろ、右や左の方向へと移動できる電脳自動紙芝居機の様なものです。次に、実際の野外で子どもたちの発見した昆虫や小動物・植物を子ども自身がデジタルカメラで撮り(捕り・採り・取り)、コンピュータに取り込みます。このデータは、先程の風景データの中にある子どもの発見した場所と同じところに隠します。

 そして隠した場所に触れると、飛び出す絵本みたいに映像データが出てくるようにしておきます。例えば、草むらの辺りに触れるとバッタの写真が出てきたり、木の根元に触れるとキノコの写真が出てきたりします。 こうして作ったインタラクティブ図鑑は、保育室にあるコンピュータ上で子どもたちがいつでも遊べるようになっています。実際の野外活動を体験した後に、このインタラクティブな探索型図鑑で遊んだ子どもたちの反応はどうでしょうか?

 ほとんどの子どもは、自分が見つけた映像データを探して楽しむだけではなく、図鑑に出てくる友だちの発見したデータにも興味関心を持つようです。また、何人かの子どもたちは、ある特定の映像データを探すことを共通の課題としてそのものにゲーム性を付加して遊んでいます。例えば、動物のうんちの写真などがそのひとつです。これを子どもたちは「うんち探しゲーム」と呼んでいます。

 インタラクティブ図鑑で遊んだ後、実際のハイキングに出かけると、こんな会話がよく聞かれます。「図鑑のここには・・・があったね」とか、「図鑑のあすこからは・・・がでてきたから、なにかがあるかもしれないよ!」とか・・・。やはりインタラクティブ図鑑での探索経験が、野外活動での探索意欲の増幅や動植物への興味や関心の増幅にも繋がるようです。仮想体験が現実体験の動機づけをし、その現実体験が仮想体験の動機づけをしているのです。仮想と現実のスパイラル構造が、子どもたちの活動を増幅させるのです。

 野外活動に行く度に、子どもたちの発見した映像データは増えていきます。活動を重ねれば重ねるほどデータは、どんどん蓄積されていきます。この活動を5年、10年と続けると、地域の自然教育や環境教育のデータベースとして利用することも可能になるのではないでしょうか。今後は、今回制作した様な静止画によるインタラクティブ図鑑に、動画や音声を加えたマルチメディア図鑑を作ろうともかんがえています。

 みなさんも、子どもたちとハイキングに行きませんか! デジタルカメラでの虫とりも楽しいですよ。


■ 幼稚園でインターネット!? 情報発信のための道具 ■

 ここ何年か前までのインターネットは、文字情報が中心でした。でも、今はマルチメディアの時代。文字に加えて映像や音の情報が飛び回っています。文字が読めない子どもたちでも情報を受信し、充分に楽しむことができます。まるで、ドラエモンの『どこでもドア』のように、世界中のミュージアムや動物園、幼稚園から個人の家まで、いろいろな所に、瞬時に遊びに行けるのです。

 文字が読めなくても情報を受信できるということは、文字が書けなくても絵や写真を使って、自分の思いや考えなどの情報を発信ができるということです。コンピュータ・グラフィックスやデジタルカメラを使うとさらに簡単。これまで幼稚園の情報発信と言えば、園だより(保護者に配布する手作り月間連絡誌)ぐらいなものです。あるいは、たまに新聞・雑誌やテレビで紹介されるのがいいところでしょう。でもインターネットを使えば、世界中に向かって子どもの思いや考えを表現し、常時発信することが可能になります。その内容は、お父さんやお母さん、お爺ちゃんやお婆ちゃん、地域の人達、遠くは海外の子どもたちや大人に、何時でも見てもらうことができます。子どものことをよく知らない大人が、子どもってどれだけすごいか、どれだけ素晴らしいかを再認識することにもなるでしょう。日本と言えば、着物を着て刀をさしちょんまげを結っていると思っている海外のう契機になるかもしれません。

 現在、インターネット上に幼稚園のホームページを作っています。97年の秋には、インターネットで運動会の生中継をしました。今後、お父さんたちが職場のコンピュータから、幼稚園で遊んでいる子どもの様子を見ることの出来る、ネット上での保育参観も計画しています。まだまだ未完成の部分もありますが、頻繁に更新していく予定です。みなさんも一度遊びに来て下さい。(http://toyonakabunka.kids.ed.jp/)

 今、幼稚園で遊んでいる子どもたちは、間違いなく平成キッズです。一昔前は、「10年後にはこうなる」とか「50年後にはこうなっている」などの未来予測をよく聞いたものです。でも平成の現代、10年後なんて何がどうなっているか予測できるような時代ではありません。数年後には、今ある価値観が180度変わっているかもしれません。こんな時代に、たかだか数十年で構築された価値観で、昭和の大人が平成の子どもの教育を考えなくてはならないなんて本当に難しいことです。

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