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●コロラド便り〜行動遺伝学研究所留学記〜 Part2
(2003年11月28日)

安藤寿康
(コロラド大学ボウルダー校行動遺伝学研究所訪問教授・慶應義塾大学教授)



ハロウィーンと子どもの成長

ボウルダーはハロウィーンの晩から一気に冬に突入しました。それまでの晴天続きと満天の星だった天候が、明け方の雪と厚い雲に変わりました。街中の木々が樹氷と化し、木の実や道に落ちている石までが氷に包まれます。夜になるとそれらがライトの光を反射し、それは美しいものでした。

ご存じの通り、ハロウィーンは欧米ではもともと、秋の収穫祝いと悪魔払いのためのお祭りでしたが、いまでは子供たちがそれぞれ衣装を着飾り、近所中をまわってお菓子をもらう楽しいお祭りとなっています。(写真) 

ボウルダーでも、スーパーには一カ月前くらいから子どもが来たときに配るお菓子のパックが無数に山積みにされ、Jack-o'-lantern (巨大なカボチャ、これを顔型にくりぬく)やWitch(魔女)、幽霊のコスチュームが並びます。街をドライヴすると、家々の玄関にはさまざまな表情のカボチャランタンやクモの巣を模した網がかかっていたりして、そのデコレーションを見て回るだけでも楽しいものです。

最近では、これが子どもだけのお祭りではなく、大人も巻き込んでの大騒ぎとなっています。昼間から、この日ばかりはと奇妙な仮装をした大人が道路やモール(大きな商店街)のあちこちに出没します。その日の夜に訪れたダウンタウンの寿司レストランでは、従業員一同がそれぞれ奇抜な衣装を競って、客の目を楽しませていました。それが面白くてつい長居してしまい、夜の肝心の時間に家にいなかったために、近所の子どもたちの訪問を受けることができなかったのは大失敗でした。おかげで買い込んだお菓子の袋が大量に余ってしまいました。

こうした街を挙げての、大人まで巻き込んだアメリカのハロウィーンをかいま見て、このような経験は子どもの成長にとって、実はとても大きな意味があるのではないかと考えさせられました。子どもたちは、この日だけは見ず知らずの大人の人にtrick-or-treat(お菓子をくれないといたずらするぞ)といいながらアプローチするという役を与えられます。子どもにとってそういう見ず知らずの大人は、はじめは脅威の対象かもしれません。ところがどこでも大好きなお菓子をくれます。それは一面儀礼的かもしれませんが、しかしこうした経験が、自分たちがコミュニティーの中の主役になること、そして「あ、僕たち/私たちはこの社会に受け入れられているんだな」ということを知る原体験になることでしょう。

また「恐怖」という、一見ネガティヴな感情を自ら作り出し、それを楽しむということの教育的意味もあると思います。日本でもお化け屋敷や肝試しなどがそれに似ていますが、ハロウィーンほどの盛大さはありません。恐怖や不安、悲しみというネガティヴな感情も、愛や喜び、安心感と同じように大事な人間の感情であり、そこから逃げることなく、そのような感情の存在を知り、それに直面してマネージメントができるようになることが、本当の意味での心の豊かさにとって必要なものだと思います(しばらく前に、日本の音楽の教科書から、日本特有の短調の子守歌を、それが悲しい感情を呼び起こすので削除するという議論を聞いたことがありますが、これはちょっと軽率すぎるのではないかと思います)。

いまのハロウィーンが、そのような事まで考えられて行われているかどうかはわかりませんが、おそらくそのような機能が潜在的に潜んでいると思われます。


子どもを守るということ

アメリカの子どもをめぐって気づいたもうひとつの点は、「子どもは社会で守らねばならない」という通念が日常に根を下ろしているということです。

アメリカでは「STOP」の道路標識は、日本以上に大きな力を持っています。少なくともこのボウルダーでは、道ばたにこの赤い八角形のサインがあれば、脇から車が来なくとも、人の気配がなくとも、どの車も必ず一時停止します。またスクールバス(日本でもしばしば見かけるあのまっ黄色のバスです)の車体の左側面には、あのストップサインがついていて、バス停で子どもをおろすときには、それが対向車や後続車にわかるようにとび出ます。

こちらで受けた自動車免許の筆記試験にも出た問題ですが、このとき(a)後続車だけは止まらなければならないが、対向車は子どもに注意して徐行すればよい、(b)対向車も後続車も、いつでも止まれる速度で徐行すればよい、(c)対向車も後続車も止まらなければならない。さあどれが正解でしょう? 正解は(c)、つまり後続車も対向車線の車も止まって子どもたちの安全を確保しなければなりません。

また朝の登校時間には、大きな交差点で警官がそのストップサインを手に持って子どもの安全を確保しています。あれは道路標識ですから法的拘束力があり、日本の緑のおばさんの持つ手旗以上の権威があるのです。そういったものに自分たちの安全は守られているという意識を子どもたちがどこまで自覚しているかはわかりませんが、これは大変印象的です。


児童虐待への意識の高さ

アメリカでは児童虐待に対する社会の目が厳しいということは話には聞いていましたが、それを実感する出来事がありました。

ある休日の午後、居間でパソコンで仕事をしていたところ、突然ベランダに人影が現れ、激しく窓ガラスをノックしてきました。何事か、とあわてて出てみると、険しい顔をした20歳前後の若い男性が「こちらから子どもの泣き声が聞こえるが、おまえのうちではないか。大丈夫か」とたずねてきました。実は一カ月くらい前から、隣のユニットに小さい男の子を2人もつ若い夫婦が越してきており、その子供たちが遊びながら発する叫び声だったのですが、私は事情を知っていたので気にも止めておらず、そのときもその声すら気づいていなかったのでした。それで「ああ、それはたぶんお隣だと思うよ」と答えると、その男性はすぐに隣のベランダに行き、同じように「子どもは大丈夫なのか」としばし問答し、大丈夫だとわかるとやっと戻っていきました。近所に住む男性のようでした。こんな若い人でも近所の子どものことを気にかけて、万が一のことを考えてちゃんと行動を起こすということに感銘を受けました。

アメリカを旅行した方なら、アメリカ人の対人関係の気さくさに、驚きと感銘をもつでしょう。見知らぬ人どうしでも目と目が合えば、にっこりほほえみながら必ずHi!と声を掛け合い、バスや電車で席が一緒になると他人通しなのにすぐに会話が始まります。これはアメリカが銃も合法的に所持できるほど潜在的に危険をはらみ、だから必要以上に「自分は安全な人間だ」ということをアピールしなければならないからだという解釈を聞いたことがありますが、私はそうは思いません。潜在的にそのような機能があることは否定しませんが、日常レベルのこうした対人関係の敷居の低さは、基本的な生活習慣としてアメリカ人の体に身に付いているように思います。また、私たち日本人も、この社会の中に半年もいれば、目が合えばほとんど条件反射的に笑顔を作ることを学習できます(さすがに会話能力の苦手さのため、バスで隣の人と気さくに話をするまでにはなかなかいきませんが)。

もちろんこうした行動パターンはあくまでも表面的なもので、逆に本当の意味で深くて濃いつきあいというものがなかなか育ちにくいという人もいます。しかし少なくとも対人間の第一段階での敷居の低さ、距離の近さは、先に挙げた児童虐待の防止のような問題に少なからず寄与しているのではないかという気がします。


子どものしつけ

対人関係という点でもう一つ印象的なのは、子どものしつけです。どこの国でも、子どもたちは大声を上げて走り回ります。スーパーの中でもそうです。ただ私が驚いたのは、近くのスーパーでそうやって友だちとじゃれ合って走ってきた小学校高学年くらいの子どもが、私とぶつかりそうになると、しっかりと”I am sorry.”と謝ったきてくれたことでした。私たち夫婦には子どもがおりませんが、こちらで知り合った日本人夫婦でお子さんを幼稚園に通わせている方にうかがうと、一般的にアメリカの子どもの時のしつけは厳しく、それも「だめっ」と頭ごなしにしかるのではなく、この場合にはなぜそういうことをしてはいけないのかということを、論理的に説き伏せるようなやり方をするそうです。

隣の芝生は青く見えると言います。こうした私の経験したことがどこまでアメリカ文化全体に一般化できるかどうかわかりません。またスーパーに並ぶ不健康そうなジャンクフードの数々と、それらが無駄に浪費されていく様、また(このボウルダーではそれがあまり顕著ではありませんが)明らかな階層差が子どもの世界にもしっかり浸透してしまっていることなどは、やはりアメリカ文化の病んだ側面かも知れません。ただそうした側面も含め、アメリカとの子ども事情の比較は、私たち日本人の文化を振りかえるよいきっかけになります。


子ども病院とケンペ子どもセンター

もうひとつ興味深い光景は、子ども病院の充実です。渡米前に、小林登先生から「コロラドに留学するなら、ぜひ”ケンペ子どもセンター”Kempe Children’s Centerを訪れていらっしゃい」と勧められ、Dever市内にあるこのセンターを探してたずねてみました。

ここはアメリカでも有数の子どものケアに関する研究と介入プログラムを行っているセンターで、デンバーの小児科医だったヘンリー・ケンペ博士Dr.Henry Kempeが設立したものです。このセンターについては、次回のお便りで詳しくご報告しますが、デンバーのダウンタウンから数ブロック離れたところに、とても大きな子ども病院Children’s Hospitalに併設される形で建っています。初めてこのセンターを訪れたとき、まずその病院で場所をたずねたのですが、中に入ってその案内を見たとき、その病院が完全な総合病院として充実していることに驚きました。日本にもこのような病院はありますが、デンバーのそれは、アメリカでも有数の規模を誇るのだそうです。

その充実した医療活動に寄与しているのが、ケンペ子どもセンターです。このセンターは、問題行動をもつ子どもや親からの十分な養育を受けられない子ども、障害を持つ子どもなどをサポートするさまざまなプログラムを開発し施行しています。11月の末、幸いにもセンターのスタッフの方たちが集うパーティーに顔を出させていただくことができました。そしてそこに勤務している指導員の若い女性の方々(写真)、そして幸いにもケンペ博士の未亡人(写真)ともお話しする機会を持つことができました。

指導員の方たちが行っているプログラムについては、次回のご報告で触れさせていただきますが、奥様からうかがった設立の時の話では、デンバー大学医学部の小児科教授であったケンペ博士が、設立当初から、小児科、精神科、心理学者など、幅広い領域の数多くの専門家たちによって多角的に子どもをケアする体制の確立を目指していたことを知りました。これは小児科学、脳科学、遺伝学、進化学、心理学、社会学、教育学、文化人類学などさまざまな学問領域、さらには母親や子ども自身の視点など、さまざまな角度から子どもの成長に関わる問題にアプローチしようという、現在設立されようとしている日本子ども学会のありかたに通ずるものがあると思います。


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