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−対 談−
子どもは「心と体」で遊ぶ
小林 登×麻生 武×斎藤 孝

3  子どもにふさわしいエネルギーの燃焼を
小林 現代の子どもたちの遊びは、漫画やアニメを見たりというような、活動量の少ないものが多いですよね。体を動かして駆け回ったりはね回ったりするような遊びはどんどん失われている。頭のなかだけで完結しているものが多い。知性や想像力も大切なのだけれど、もっと素直に生命力を燃焼させる遊びがあるべきだと思うんですがね。
斎藤 子どもも大人もですが、一番困るのはエネルギーがあり余っていることだと思うんです。今の子どもを見ていますと、エネルギーを使い果たして眠るということが非常に少ないと思うんです。例えば、うちにも小学校二年生と五年生がいるんですけど、ある日僕が帰ったら家の外に出されているので、「何やってんだ」と言ったら、「ケンカしたから、入れてもらえない」という。ボーッと突っ立っているから、「おまえら、しょうがないな」と言って、ちょっと走らせたんですよ。さすがに走り終わると疲れ果てて、風呂へ入って寝てしまった。もうケンカする気力もないわけです。要するにあれくらいの子どもというのは、毎日その日もらったエネルギーを使い果たして寝るのが心身ともにちょうどいい動物というか、生き物なんですよ。昔の子どもは、ご飯も食べずに疲れ果てて寝てしまうということがよくありましたよね。お風呂にも入らずに、ばったり寝てしまう。あの種の寝方をする小学生がすごく減ったんです。これはかなりかわいそうなことです。エネルギーを出し切り、ぶっ倒れて泥のように眠ることの心地よさを知らないのですから。TVゲームというのは、体全部が疲れるわけじゃない。脳は興奮していて、視神経と指の先だけは使っているけれども、全身の適度な疲労感がない。全身がバランスよく疲れるというのはかなり重要だと思うんです。僕はどちらかというとそのための方法は何でもいい、きちんと疲れ果てて眠るなら、創造的な遊びでなくても、荷物運びでもいいという考えなんです。
麻生 うちの息子は小学校時代、穴掘りが大好きでした。とにかく穴を掘る。山道の真ん中に一メートルぐらいの穴を掘る。これは夜中に落ちて危ないからと言って埋めに行ったことがあるんですけどね(笑)。
斎藤 考えようによっては最悪の労働ですよね。何の役にも立たない。だけども、それが遊びになるんですよね。エネルギーの燃焼感というのは人間にとってすごく基本的な快感だと思うんです。
小林 私の言い方だと、エネルギーの燃焼感というのは心と体のプログラムをフル回転させる営みです。だから、息子さんが走る時には、ゲームをやっている時の脳のプログラムは使わないけれども、体をちゃんと動かすために恐らく別の脳のプログラムを一生懸命働かせていると思うんです。それと同時に、体も動いている。そうすると、そこで生命の感動というようなものを体験する。それが眠りにもいいのではないかと思うんですね。
斎藤 眠るためにはやっぱり疲れていないといけないですよね。大脳の情報だけで興奮している楽しさじゃなくて、もっと体全体のリズムとかテンポとか……。
小林 走るなんていうのはまさにリズムだと思いますよね。私自身、ジョギングをやった時に、こんな楽しいことがあるのかと思ったものね。それはタッタッタッタッと走っているリズムですよ。
斎藤 実は、たまたま呼吸の研究をしていたので、N H K のE T V カルチャースペシャル『能に秘められた人格』という番組に関わったんですが、そのなかで、リズミカルな運動が脳のセロトニン神経系を刺激するという実験があったんです。「セロトニン神経系を刺激するためには、歩くとか走るというような反復行為をするといい。その典型が呼吸だ」という話でした。呼吸も反復的ですからね。反復することで安心感が出てきます。「また来る」というパターンがあると、体も心も準備ができる。そういう反復的な行為が生み出す一定のリズム、あるいはそれを何人かで共有していることの楽しさというのが、遊びにはありますね。
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