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ポストプレイショップ対話集

0. 参加者(敬称略・順不同)

I. バスの中で…変容の旅へ出発…わたしのストーリー
1. 日常生活での歌とダンス
2. 子どもと大人の間の壁を取り去ろう
3. 即興へのガイドされた参加

II. ポストランチミーティング:振り返りとビデオ上映会

III. ネイチャーブレイク:自然との対話
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0. 参加者(敬称略・順不同)

ゲストコメンテーター
ミルトン・チェン(ジョージ・ルーカス教育財団エグゼクティブディレクター/Ph.D.)
ルース・コックス(女優、教育者/Ph.D.)
マギー・チェン(ミルトン・チェン、ルース・コックスご夫妻ご令嬢)
エディス・アッカーマン(MITマサチューセッツ工科大学客員教授/Ph.D.)
ジョギ・パンガール(デザインコンサルタント)

プレイショップデザイナー(マッドパイ)
上田信行(甲南女子大学教授/Ed.D.)
大森美弥(小児心理カウンセラー/Ed.D.)
ヒレル・ワイントラウブ(同志社国際中学・高等学校コミュニケーション部主任/教諭)
宮田義郎(中京大学教授/Ph.D.)

ゲストアーティスト
藤倉健雄(パントマイムパフォーマー)

CRN・ベネッセ教育研究所メンバー
小林登(CRN所長)
島内行夫(CRN副所長兼ベネッセ教育研究所所長)
小泉和義(CRN・ベネッセ教育研究所研究員)
譲原聡子(CRN・ベネッセ教育研究所研究員)
鈴木桜(CRN英語版ウェブ・コーディネーター)
河村智洋(CRN研究員)
後藤憲子(ベネッセ教育研究所研究員)

サポートスタッフ
石川栄子(コミュニケーション・サポート担当)
セーラ・アレン(会議記録・編集担当)

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I. バスの中で…変容の旅へ出発…わたしのストーリー
1999年11月29日 午前11時〜午後1時30分


 ポストプレイショップ会議の参加者たちは、多摩センターからバスで会場の湘南国際村センターへ向かった。道中は、大森美弥氏の「事前に計画を立てることと、プレイフルとをどう両立させるか。どうやって、アジェンダを作りながらも柔軟性を維持していけるか」という問いかけで始まった。大森氏は、私たちの周りにある自然をお手本にし、いかに変わっていけるかを楽しんではどうかと提案した。
 まず、私たちはジョギ・パンガール氏の音頭で歌を歌い、インド映画がいかに歌や踊り、愛を通じて、日常からの逃げ場を提供しているか聞いた。


1. 日常生活での歌とダンス

ジョギ・パンガール(以下、ジョギ):
インド人にとって映画は日常生活からの息抜きであり、仕事と家庭、または仕事と学校との間の第3の場所として必要なのである。

ヒレル・ワイントラウブ(以下、ヒレル):
インド人は日常生活ではプレイフルになることを抑えているのか、それともスイッチを切っているのか。

ジョギ: 映画の中で歌われる歌は、そのうち映画から離れて人々の日常生活に溶け込み、通勤途中や日中用事をしているときに、鼻歌などで口ずさまれるようになるのだ。詩はシナリオを描くヒントになる。プレイショップでの音楽も同じ役目を果たせる。言い替えれば、音楽を再生することで、動きやシナリオも再生されることになる。

大森美弥(以下、大森):
人の本音を引き出すため、または、考えていることをを周りの人に伝えるためには移行対象になるようなものがとても大切である。外的環境が子どもにとって意味のあるものだと内的にも意味あるものになり、それによってプレイフルな気持ちを感じることができたことでしょう。例えば、ひとつの移行対象は「何してるの?」のゲームだった。このような移行対象になるようなもの、あるいは自分にとって意味のあるものを見つけて、プレイショップでは一人一人が「お土産」として持って帰ってもらえたことを望んでいる。プレイショップではどういう印象をもたれただろうか。

宮田義郎(以下、宮田):
プレイショップ中は、次に何が起きるのかという不安はなかった。計画が変更されても気にならなかったし、終わった後も疲れを感じなかった。

ジョギ: ぎすぎすした感じはなく終始スムーズに流れたと思う。プレイショップは、計画的とも言えるし、無計画であるとも言えた。プレイショップ自体がその運命を決め、それ自身で創り上げて、円熟していった。

ルース・コックス(以下、ルース):
ある程度即興性があったことがよかった。その瞬間に集中し、変化を起こし、柔軟に、そしてエネルギッシュに行動することができた。娘を連れてきた父親がたくさんいたが、子どもが親以外の大人と交流を持ったことはよかったと思う。こうした交流を通じて親子間お互いへの依存心がなくなり、親は子どもに対する新たな見方を与えたからだ。


2. 子どもと大人の間の壁を取り去ろう

島内行夫(以下、島内):
大人と子どもとの間の壁や、年齢差による子ども同志の壁も壊した。大人と子どもの交流はお互いの変化を促した。プレイショップは大人のためのワークショップでもあり、大人だから参加できないという制限は設けなかった。

小林登(以下、小林):
私は2つの点に注目した。プレイショップは、大人と子どもを一緒に集め、子どもが親以外の大人と意思疎通を行なえるように、子どもを親から離した。遊びは脳に組み込まれたプログラムの一つであり、人間の交流は場に左右される。教育環境をデザインするときに、こうした場を作ったり、提供したりするのが大事なのはこういう理由からだ。

藤倉健雄(以下、藤倉):
ふつう、大人は子どもより優れていると感じるが、「何してるの?」ゲームでは、子どもと大人が同じ出発点あるいは視点に立った。大人は子どもになることができ、子どもも大人も通常はあまり意味がないと思われることができた。

上田信行(以下、上田):
プレイショップは9時間ぶっつづけで行なわれた。学生はヘルパーというだけでなく「プレイフルであること」の意味を体で感じたようだ。

譲原聡子(以下、譲原):
参加者の顔の表情の変化に注目していた。島内氏のご子息は、最初は嫌々ながら参加した風であったが、最後に笑顔が増えていたと感じた。一人一人、異なる家庭環境を持ち、それをプレイショップの各グループに持ち込んだ。プレイショップでの経験は、その後家庭での家族のコミュニケーションに役立っただろうか。また、美術館、博物館や児童館で行われているワークショップとベネッセのプレイショップとの違いは何だろうかと考えさせられた。


3. 即興へのガイドされた参加

エディス・アッカーマン(以下、エディス):

参加者がパフォーマーとしてプレイショップに参加したとき、頭のなかで一体何が起こるのか興味を持った。プレイショップは何を期待されているのか参加者にはわからない沈黙のゲームだ。こういった場で何を提供され、どうやったら無難にできるのだろう。「guided improvisation(ガイドされた即興)」はある程度リスクを引き受けた上で、「もし、こうだったら?」と想像し、シナリオを作っていく。アイスクリームのコーンをなめるところから始まって、しまいにはアイスクリームコーンそのものになってしまう場合もある。参加者はどのようなものを自分に意味のあるものとして身につけて、家に持ち帰ったのだろうか。このレパートリーでは、食べる行為(大量の食べる行為!)と切る行為という要素が使われた。タヌキ・グループはかなり政治的だった。参加者は、与えられたところからどのくらいまで行けたのだろうか。

鈴木桜(以下、鈴木):
参加者は上着と靴を脱がなければならないことを知らず、当初、当惑していた。

ミルトン・チェン(以下、ミルトン):
親子関係に興味があり、日本では母親と子どもがとても親密なようだ。ある母親は自分の写真を一枚も持っていないことに気づき、もっと自分自身の生活が必要だと思うようになった、と語ってくれた。親を子どもから離したことはよかったが、一方で、親子間でもっと感情を共有することにも関心を持った。子どもは親にも感情のある生活をしているということがなかなかわからずに、怒りが親の見せる唯一の感情であると考えがちだ。親は感情を通じても親子間の生活を共有すべきである。

上田: 学びにおける即興性(ヒラメキ)の重要性に気づいた。即興、創造、振り返りのプロセスは、私たちの全感覚を使う学びのモデルである。

ヒレル: 『Gutenburg Elegies』という本を今読んでいる。それには知識の伝達とは何を意味するのかが書かれている。大人は学びの参加者としての新しい役割を担っている。子どもが大人を必要とするのと同じように、大人も子どもを必要とする。しかし、ほとんどの学びにおいて大人は子どもを必要としていることに気づかない。これはつまらないことだ。

小林: 私にとってプレイフルなプログラムとは、既に頭に組み込まれているもので、プレイショップはそれを作動させるスイッチだと考えた。教育は知識や社会的行動を教え込むが、プレイショップは子どもの教育についてそれとは違うことを見せている。

島内: 大人にとっての遊びはゴルフ、パチンコ、カラオケで構成されており、大人は一見意味がないと思われる行動の重要性を忘れてしまっている。

マギー・チェン: プレイショップは現代的、革新的で、新しくて面白い。初めは親も子どもも興味を持つとは思わず、気後れがして距離を置こうとするだろうと思ったが、そうではなかった。アクテイビティが屋内に集中し過ぎていたので、今後はもっと屋外に出ていってもいいと思う。

大森: 大人と子ども、親と子どもとの感情的な関係に興味を持った。感情的な問題を抱えた子どもは、昼に何を食べたかというような非常に単純な日常の出来事についてでさえ、自分の考えをうまく表現できないことが多い。こうした状況では、何らかのきっかけがあれば、子どもの表現力と意思疎通に役立ち、子どもたちに大人は信用できるということを思い出させるものだ。

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II. ポストランチミーティング:振り返りとビデオ上映会
1999年11月29日 午後3時


 昼食後のミーティングは、メンバーが昼食をとった宴会場で行なわれた。床に大きな紙片が置かれ、メンバーは考えたり話したりしながら、絵を描いたり、粘土をこねて自己を表現した。ミーティングは、河村智洋氏が前夜のうちに編集したビデオの上映で幕を開けた。ビデオは、プレイショップのいろいろな場面を映していた。「いろいろなメディアでいろいろな自分を見つけてみよう」、「あなたの中の感情をよーく感じてみよう」、「自分のいろんな面を一杯発見してみよう」、「なんでもおもちゃにしてみよう」、「味わいのある心のこもったデザインをしてみよう」、「きいて わたしのストーリー」、「感情のオペラ」などである。
 2本目は参加者がベストとパンケーキのデコレーションを作っている25分間のビデオだった。ルース・コックス氏は、パンケーキのデコレーション作りに興味を持った。エディス・アッカーマン氏は、芝居の要素が含まれていることに気がついた。そしてミルトン・チェン氏は、父親と一緒に参加したことが、後日、ある日の思い出として愛情と懐かしさをもって思い起こされることに改めて気づいた。

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III. ネイチャーブレイク:自然との対話
1999年11月29日 午後4時30分

 午後4時30分、メンバーは藤倉健雄氏の指導で丘の上でマイムの動きの運動をして、海岸で日没を眺めた。

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