エディス・アッカーマン(以下、エディス): |
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参加者がパフォーマーとしてプレイショップに参加したとき、頭のなかで一体何が起こるのか興味を持った。プレイショップは何を期待されているのか参加者にはわからない沈黙のゲームだ。こういった場で何を提供され、どうやったら無難にできるのだろう。「guided improvisation(ガイドされた即興)」はある程度リスクを引き受けた上で、「もし、こうだったら?」と想像し、シナリオを作っていく。アイスクリームのコーンをなめるところから始まって、しまいにはアイスクリームコーンそのものになってしまう場合もある。参加者はどのようなものを自分に意味のあるものとして身につけて、家に持ち帰ったのだろうか。このレパートリーでは、食べる行為(大量の食べる行為!)と切る行為という要素が使われた。タヌキ・グループはかなり政治的だった。参加者は、与えられたところからどのくらいまで行けたのだろうか。 |
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鈴木桜(以下、鈴木): |
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参加者は上着と靴を脱がなければならないことを知らず、当初、当惑していた。 |
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ミルトン・チェン(以下、ミルトン): |
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親子関係に興味があり、日本では母親と子どもがとても親密なようだ。ある母親は自分の写真を一枚も持っていないことに気づき、もっと自分自身の生活が必要だと思うようになった、と語ってくれた。親を子どもから離したことはよかったが、一方で、親子間でもっと感情を共有することにも関心を持った。子どもは親にも感情のある生活をしているということがなかなかわからずに、怒りが親の見せる唯一の感情であると考えがちだ。親は感情を通じても親子間の生活を共有すべきである。 |
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上田: |
学びにおける即興性(ヒラメキ)の重要性に気づいた。即興、創造、振り返りのプロセスは、私たちの全感覚を使う学びのモデルである。 |
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ヒレル: |
『Gutenburg Elegies』という本を今読んでいる。それには知識の伝達とは何を意味するのかが書かれている。大人は学びの参加者としての新しい役割を担っている。子どもが大人を必要とするのと同じように、大人も子どもを必要とする。しかし、ほとんどの学びにおいて大人は子どもを必要としていることに気づかない。これはつまらないことだ。 |
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小林: |
私にとってプレイフルなプログラムとは、既に頭に組み込まれているもので、プレイショップはそれを作動させるスイッチだと考えた。教育は知識や社会的行動を教え込むが、プレイショップは子どもの教育についてそれとは違うことを見せている。 |
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島内: |
大人にとっての遊びはゴルフ、パチンコ、カラオケで構成されており、大人は一見意味がないと思われる行動の重要性を忘れてしまっている。 |
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マギー・チェン: |
プレイショップは現代的、革新的で、新しくて面白い。初めは親も子どもも興味を持つとは思わず、気後れがして距離を置こうとするだろうと思ったが、そうではなかった。アクテイビティが屋内に集中し過ぎていたので、今後はもっと屋外に出ていってもいいと思う。 |
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大森: |
大人と子ども、親と子どもとの感情的な関係に興味を持った。感情的な問題を抱えた子どもは、昼に何を食べたかというような非常に単純な日常の出来事についてでさえ、自分の考えをうまく表現できないことが多い。こうした状況では、何らかのきっかけがあれば、子どもの表現力と意思疎通に役立ち、子どもたちに大人は信用できるということを思い出させるものだ。 |