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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
エピローグ「子どもは21世紀の未来をひらく−2」


育児には社会のサポー卜も必要になってくる

 しかし、父親が協力するにしても、祖母や他の家族の協力があるにしても、子育てのための個人的な努力には限度があります。理想的な育児をするためには、産後は1〜3年間、子育てに専念できるように、あるいは子育てと生きがいある仕事を両立させるために、有給休暇がとれるような社会体制を確立することです。いろいろなパターンが考えられます。そして、休暇中の経済的保証と復職の保証を制度として確立できてこそ、ほんとうに豊かな社会といえるのではないでしょうか。私は、男女平等より、女性指向型の社会にすべきと思うのです。
 もっといえば、子育てを経験したほうがよい職業もあります。保母さん、看護婦さん、幼稚園・小学校の先生などです。
 また、父親にも育児の時間、機会を与えていただきたいと思うのです。子育てに奮戦している母親をいろいろサポートするためにも、子育ての実践法を会得するためにも―。父親の育児休業、あるいは年休でもよいのです。保育所、幼稚園、学校の参観日も、ぜひ休暇のなかに入れていただきたいと思います。
 Kさんがそもそも勤務先に隠して出産し、生まれたばかりの赤ちゃんを他人にあずけざるをえなかった事情も、とどのつまりは、赤ちゃんを生んでも、育てるための有給休暇を保証する制度がその職場になかったからです。制度がなかったばかりか、赤ちゃんを生んだら会社をやめるのが当然といった暗黙の習慣があったからです。
 本来ならば、人類の未来をになう一つの新しい生命を、みんなで精いっぱいサポートしなければならないはずなのに、育児のすべての責任を母親ひとりに押しつけようとしたのです。
 母親がせめて1年か2年、ずっと赤ちゃんのそばにいて母乳で育てる大切さは、石器時代であろうと現在であろうと変わりません。が、その母親と一つのの新しい生命をサポートする形式が石器時代と一緒でよいというわけにはまいりません。
 母子をサポートする形式は、時代とともに当然変わらなければなりません。小児科医もどういうかたちにすればよいのか、いろいろ考えているところです。みなさんも、自分ひとりのこととせず、考えてほしいものです。それこそ、女性が自分自身で考えなければならない問題でもあります。
 この問題を未解決のままにしておいては、私たちの未来はあまり明るいものとは思えないとすらいえます。ぜひ、女性の方々が団結して、明るい社会にしていただきたいと思うのです。
 私の尊敬するブラゼルトン博士(ハーバード大学教授・小児科医)が、かつてマヤ・インディアンの詩を教えてくれたことがあります。うまく訳せないので、大意をお伝えすることにします。
「生まれてくる赤ちゃんには、私たちの世界の未来があります。ですから、お母さんは、赤ちゃんをあなたの胸にしっかりと抱きしめて、人間は信頼できる、世界は平和であることを教えてあげなさい。お父さんは、赤ちゃんを高い丘の上につれていき、〈高い高い〉をして、そして世界はいかに広いか、そしていかにすばらしいかを教えてあげなさい」
 ここでは母と父がともに力をあわせて子育てをする必要性を説くと同時に、母親と父親では役割が違うことも教えています。前にも申し上げましたように、ある研究によると赤ちゃんは、母親に対して、優しさ、静的なもの、甘えというようなものを求め、世話を期待する。父親には好奇心の対象、あそび、動的なもの、刺激を求めるものです。もちろん、これは、生後半年になると特にはっきりするのですが、生まれながらにして母親と父親を区別できるのではないでしょうか。すなわち、母親には抱かれることを、父親には高い高いをしてもらいたいと、赤ちゃんは考えているのです。赤ちゃんの運動なり行動の流れをみると、母親に対しては、なめらかな波であり、父親は大きくぎざぎざした鋭い波とも言われています。母親と父親の育児協力は、お互いに相補い、赤ちゃんの心と体を育てるのにも重要なのです。
 今まで申し上げて来ましたように、私は、子育てにおけるお母さんの役は大きいものと思っています。とくに、乳幼児期は、絶対的とは申しませんが、特にそうだと申し上げたいのです。少し母親の子育てについて考えてみましょう。
 その昔、「お母さんが子どもを育てる」ということが強調されていました。しかし、本当にお母さんだけで頑張っていたのでしょうか。昔は、家族2世代、3世代でなりたっていて、おばあちゃん、あるいはおばさんがいたりするのが普通でした。そういう人たちが、みんなでお母さんの子育てを助けていたのです。
 農家の人たちだって、田んぼや畑の脇にかごをおき、その中に赤ちゃんをおいて、母親が仕事をしていても、仕事を一緒にしている家族の人、あるいは村の中の誰かが、困ったときには、必ず助けてくれたに違いないのです。
 すなわち、子育てするお母さんのまわりには必ずドゥーラ、あるいはドゥーラ役をする人、エモーショナル・サポートをふくめて、助ける人が必ずいたのです。
 現在、お母さんが子育てするというと、核家族化した社会の話であって、お父さんも役に立たず、誰も助ける人がいない場合がほとんどなのです。孤立無援の母親の子育てになっているのです。
 そのような母親の子育ては、第2次世界大戦が敗戦で終わり、その荒廃から立ち直り経済が復興する中で、都市に人口が集中し、核家族化していく中で起こったのです。その上、共働きの夫婦も多くなっていることも子育てを深刻なものにしているのです。勿論、現在の子育てを支援する社会基盤が、充分でないこともありましょう。
 さらには、豊かさの陰の部分として、人間関係が希薄になっていることもあると思います。ですから、ドゥーラ役をする人も消えてしまっているのです。電車の中で、老人は勿論のこと、おなかの大きいお母さん、赤ちゃんを抱いているお母さんが立っていても、席をゆずる人がいないではないですか。若いピチピチとした女の子でさえも、席をゆずるのを見ることは殆どなくなりました。
 21世紀の子育ては、一体どうなるのでしょうか、どうすべきでしょうか。私は、現状を見ると、子育ては人間チームでするようになると思いますし、子育てチームを良いものにしなければならないと思っています。母親が育てるといっても、ドゥーラとしての専門家、小児科医や保健婦がサポート役として支援しなければならないのです。勿論、積極的に子育てに参加する父親と母親のチームでも、そういった専門家のサポートは欠かせません。
 夫婦共働きの場合、父親と母親とそれを支援する肉親の誰か、例えばおばあちゃん、あるいは保育園に子どもを預ける場合には、保母(保育士)さんも加わることになります。すなわち、母親・父親・保母・保育士という人間チームの子育てということになります。
 子育ては、子どもが属する家庭と家庭のおかれた社会の在り方によります。物書きの父親と働く母親という家庭であったら、父親を中心に子育ては動くでしょう。シングル・マザーの家庭だったら、母親と保母・保育士という人間チームの子育てになるでしょう。親のどちらかが不幸にして亡くなった場合を考えても、必ず何人かの大人の組み合わせが子育てすることになります。
 この人間チームによる子育ての中で、何が大切かというと、私はやはり母親が大切であると申し上げたい。勿論、母親がいない場合には、それに代わる人が必要になります。
 それを示すような研究をアメリカ政府は行ないました。アメリカの国立保健研究所(National Institutes of Health.NIH)の中にある国立小児保健・人間発達研究所(National Instiitutes of Child Health and Human Development,NICHD)は今から10年ほど前に全米で1300人ほどの生まれたばかりの赤ちゃんを登録し、心理学者・小児科医が、定期的にいろいろ検査して、体の成長と心の発達を記録し、親の学歴・収入、誰が育てたか、預けた保育園・幼稚園などの在り方など、可能な限りの情報を集めて、分析しているのです。
 子ども達が就学時のこの研究の結果を分析した結果によると、子ども達の成長・発達に一番関係するのは、家庭であり、母親であるというのです。母親が、わが子の心を読みとる力(センシティビティ)を持ち、ふれあい豊かな子育て行動をとる力(インタラクション)を持っていれば、早期保育(0歳児保育)でも問題ないと報告しています。ただし、保育時間が余り長くないこと、保母さんや保育施設がいろいろ変わったりしないこと、また保母さんの能力も重要であると指摘しています。保母さんが母親と同じように、センシティビティを持ち、インタラクションできることも必要なのです。
 夫婦仲良く、家庭も安定していて、母親はわが子の泣き声を聞けば、寂しくて泣いているのか、おなかがすいているのかがわかり(センシティビティ)、すぐに抱き上げる、乳首を含ませるという行動(インタラクション)がとれるならば、どんな子育てをしても良いことになります。換言すれば、人間チームの子育ての中で、キーパーソンは母親ということになります。NICHDの研究は、私たちに大切なことを教えてくれたのです。
 奈良時代の万葉歌人・山上憶良は「しろがねも くがねも玉も なにせむに まされるたから 子にしかめやも」とうたいあげました。子どもはなにものにもまさる宝だとしたその心は、今でも日本人のなかに脈々と伝わっていると信じています。
 その心があるかぎり、女性の社会的進出と育児という、いっけん矛盾するふたつの課題を私たちの英知によって同時に解決し、よりよい方法がみつかる日がくることを願い、かつ信じたいと思います。

参考文献

C.B.S.Wood,J.A.Walker-Smith:MacKeith:Infant Feeding and Feeding Difficulties,Churchill Living Stome(1981)
M・H・タラウス、J・H・ケネル(竹内徹訳)『母と子のきずな』医学書院
小嶋謙四郎『乳児期の母子関係』医学書院
小林美智子『母乳哺育のすすめ』地湧社
小林登・河合隼雄・中根千枝『親と子の絆・学際的アプローチ』創元社
小林登『こどもは未来である』(正続)メディサイエンス社
小林登『育児の人間科学』日本評論社
小林登『子ども学』日本評論社
小林登『母乳哺育法』主婦の友社
小林登「新生児の母子関係、育児の理論体系を求めて」『周産期医学』
小林登『母乳哺育について』日本家族計画協会
小杯登編『新育児学読本』からだの科学増刊号、日本評論社
小林登『育児の医学』からだの科学
T・ブラゼルトン(小林登訳)『親と子の絆』医歯薬出版
T・バーニー、J・ケリー(小林登訳)『胎児は見ている』祥伝社
J・Z・ヤング(嶋井和世監訳)『脳と生命、秘められたメカニズム』(Programs of the Brain)広川書店
J・Z・ヤング(武見太郎監訳)『比較人間論、人間研究序説』広川書店
D・ラファエル(小林登訳)『母乳哺育・自然の贈物』文化出版局
『人間の生物学』別冊サイエンス、日本経済新聞社
『特集母乳哺育』小児科診療 37.9(1974年9月)

写真・イラスト提供
M・H・クラウス、P・H・クラウス(竹内徹訳)『新生児の世界』メディサイエンス社より
『人間の生物学』別冊サイエンス、日本経済新聞社より



このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。



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掲載:2004/11/12