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小林 登文庫
小 論 ・ 講 演 選 集


医療・医学に関する小論・講演(1999年以前に発表)

私と子どもの喘息
1995 ASTHMA Vol.8 No.2

 喘息について何かエッセイを書くようにという編集子の求めである。諾と言ったものの、管理業務に忙しく、喘息の子ども達を診る機会がほとんど無くなってしまった。寂しい今日この頃であって、筆も迷う。
 ちょうど10年前になるが、大学から小児病院に移り、研究センター長になり、続いて病院長になったことが、患者から離れざるを得なくなった要因として大きい。その上、会議連続の臨時教育審議会委員を3年間務めたことも拍車をかけた。大学ならば、より自由な立場であるが、一般に院長という者は常に院長室にいて、いかなる事態にも対応できるように期待されているのである。海軍で言えば勤務時間中、艦長は艦長室にいなければならないのと同じである。国の施設の責任者としては当然のことである。
 そもそも喘息の子どもを診るようになったのは、イギリスで免疫病理学を勉強したからである。それまでは、アメリカで先天代謝異常症の組織化学を勉強して大学に戻ったばかりなので、脳の変性疾患とか内分泌疾患とかの臨床を専門に勉強し始めていたのである。その様な矢先、思いもかけずイギリス留学になった。免疫学のメッカとも言うべきイギリスでの研究三昧の3年間に、私は内分泌・代謝から免疫エネルギーにメタモルフォンスしてしまったのである。
 考えてみれば、私がパターン的なものに関心を持つのは当然のこと、血のなせる業、私は絵描きの息子なのである。アメリカでは、先天代謝異常症の神経細胞の中に蓄積した異常物質を、赤く、青く染め出して顕微鏡下で見る研究に従事した。イギリスでは、形質細胞の産生している免疫グロブリンのクラスは何か、免疫病組織のどこに免疫複合体が沈着しているかを、蛍光顕微鏡で見ていたのである。いずれも、デジタルよりアナログの世界であり、パターン的、絵画的であり、しかも免疫学はその傾向が強く動的である。
 さて、そんなこんなでイギリス3年間の留学を終え大学に帰った時、恩師高津教授の御指示は、免疫研究室を組織しアレルギー外来を運営することであった。この様にして大学での約30年間、その後の小児病院での10年も矢の様に流れてしまったのである。
 この間の子どもの喘息治療を考えてみると、いくつかの感慨が湧き出て来る。まずは、食事アレルギーと喘息の関係である。小児アレルギーの道に入った頃も、この考えが強調されていたが、一時下火になってまた燃え上がっているという感じがする。当時から見るといろいろな意味で納得できるデータも少なくないが、個々の子どもへの治療には別の視点があっても良いと思うのは、前も今も変らない。
 次は減感作療法である。私がアレルギーの道に入った頃は、これが万能であった。それに批判的になって、厳選して限られた症例に行うようにしたのは、アレルギー外来をはじめて10年程、わが国では早かった。現在、減感作療法が、従前に比べて深重であるが、良い傾向と思っている。
 紙面がないので、この辺でお許しを願おうとするが、要は子どもの喘息、大人でも同じであると思うが、免疫・アレルギー学だけでは治療できないのである。ヒポクラテスの「人をみよ」ということが何より大切なのである。今つくづくそれを思っている。


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キーワード: 食事アレルギー、減感作療法 掲載: 2005/03/25