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女性科学者が語る科学の魅力

高橋三保子×中西友子×仁科エミ (司会)岩田洋夫


私たちが科学に魅かれた理由
岩田: きょうの座談会には全員女性の研究者の方にお集まりいただいて、「子どもの科学離れ」について考えていきたいと思います。一般的に、理科が嫌いな子どもが多いとか、工学部を卒業した学生が製造業に就職しないなどの表層的な現象を「子どもの科学離れ」と言うわけですが、その根底には現代の科学技術自体にも問題があるのではないかということまで掘り下げてみたいと思っています。
 まずは皆さんがどういうきっかけで理科系の専門に進まれたかということからお聞きしたいと思いますが。

岩田洋夫氏
高橋: 私には、きっかけというのは特別ないんです。親が理科系の仕事をしていたわけでもなく、岩手県の田舎でお茶屋をやっていまして。ただ子どものときから理科が好きで、得意科目の一つだったんですね。今思うと私は登校拒否児的な面があって、うちにこもって子ども向けの科学の本とか、化石や恐竜の本ばかりを読んでいるタイプだったんですね。なぜそういうことに興味があったかと言えば、やはり小学校の先生の影響だと思います。とにかく意欲的な女性の先生で、理科の時間だ、社会の時間だといっては外に連れ出してくれた。そこで自然に接する機会を作ってもらっているうちに、漠然と「生き物に関係する仕事をしたいな」と感じました。
中西: 私は高橋先生とは逆で、自然に囲まれたすばらしい環境とはほど遠い、池袋駅から歩いて数百メートルのところに実家がありましたので、都会の真ん中で育ちました。小学校の二、三年生の頃に初めてテレビが現れて、駅に置かれた大きなカラーテレビを見ようと重なりあう人ごみの中で、「あ、カラーテレビではすごいものが見られるんだ」と感じました。そんな時代を体験しましたから、なんとなく心に「やっぱり科学技術ってすばらしいんだ」という気持ちが植わっていったのではないかと思います。
 あとは戦争体験のある父が町医者でしたせいか、「お金はなくなっても技術は残るから、理科系のほうが良い」ということはたびたび聞いていました。
岩田: お二人はその後どういう進路をとられたのですか?
高橋: 大学院を受けたんですけど、落ちてしまったんです。それで、とにかくなんでもいいから就職口があったらするという気で就職したのが宮城教育大学の理科教育研究施設の教務職員というところでした。要するに研究補助ですから、教授の手伝いなんです。その先生はゾウリムシを使った遺伝の研究をやっておられたんですが、助手の私たちに単なる手伝いを期待していたわけじゃなかった。好きなように、納得のいくまでやらせてくれた。生意気なことを言えば言うほど評価してくれる先生だったから、精神的には非常に自由にやれましたし、そういう巡り合いがよかったんじゃないでしょうかね。
中西: 私も高橋先生と同じように、大学院の指導教官が何も言われなかったことがとてもラッキーだったと思います。研究生にはあれをやれ、これをやれと技術を教えていくのですが、大学院生には何も言われなかった。だから、いろいろと夢をもって、やり方は分からなくても自分でいろいろと工夫できる、そんな素地を作ってくれたような気がします。その先生は75歳になられた今でもご自分で実験をなさっている、私が最も尊敬する方です。
岩田: 仁科先生はいかがでしょうか。
仁科: 私は小さい頃、科学に対してプラスのイメージはほとんどもっていなくて、算数も理科も苦手でした。なぜ嫌いだったかと思うと、私の場合は抽象的な概念が腑に落ちるのに非常に時間がかかって、なんとなく実感が伴わないままに学校の授業が先に進んでしまうことで悲しい思いをしていたんですね。例えば分数の割り算をするときに、「ひっくり返してかければいいよ」と言われても、何でひっくり返していいのかが納得できなくて学校に行けなくなってしまったり(笑)。だから私は大学までずっと文科系で、大学も一度文学部を出ているんですね。歴史を専攻していたのですが、在学中に悩みまして、結局、工学部に学士入学で入り直したのです。
岩田: それはまたどうしてなんですか?
仁科: 歴史学では、文献資料ですとか、過去に蓄積された文字情報が基本的な研究の対象になり、そこに書かれたものが本当に正しいという保証はないけれど、それらを元にした論議の積み重ねで研究が進んでいくわけですね。私にはそんなに当てにならないものを対象にして論理を作り、仮説を立てていくことがものすごく歯痒かった。もっと確かなものを積み上げて初めて、一つのことを相手と共有できたり、合意が作れるのではないかと、今思うと無理なことを考えていました。それで、全部の学部を一通り見たところ、自分が今思っていることを、違った発想法でやっていけそうな領域として、都市計画というのがあったものですから、そこに行こうと思いまして……。


小さな探求心から広がるサイエンス
岩田: では、皆さんが実際になさっている研究内容をお聞きしたいと思いますが、今の大学院のお話に続けて、仁科先生からどうぞ。
仁科: ちょっと具体的になりますけれど、大学院では都市計画ということで、都市の快適性といいますか、どういう環境を人間は快適と感じるのか、それを都市のデザインに生かしていくにはどうしたらいいか、そんなことをテーマにしていました。ところが実際にやってみると、例えば人口密度が高いとか、道路が狭いとか、都市計画の指標で見ると劣悪市街地として教科書に載るような所の住民アンケートで、「住みやすい」という答えが多いケースもあるわけです。学術的な指標で切っていった答えと、人間の感性や判断とがどうしてずれるのだろうかというのが、今取り組んでいるテーマの一つでもあります。
 ただし、そのアンケートという間接的な手法だけでなく、もっとダイレクトに人間の感覚を調べる方法はないだろうかということで、今は脳波などの生理的な指標を使って工学的なシステムを評価するヒューマンインターフェースの研究をやっています。
岩田: 中西先生と高橋先生のご専門は生物学の領域ですが、いかがでしょう?
中西: 私は植物に関する研究をやっているのですが、子どもが思いつくような、「なぜ葉っぱは開くの?」「なぜ花は咲くの?」という基本的な問いかけにまだ答えられない。とりあえず葉っぱを切ったりすりつぶしていくわけですが、生きたものをそのまま解析するということは、本当に自分が情熱をもてば好きな分野を切り拓くことができるんですね。
高橋: 先ほど私は自由にやらせてくれる教授の元で研究してきたと言いましたけど、自分が「こうじゃないかな?」と気づいたことを、先生はとうの昔に知っていますから、がっくりきちゃうわけですね。そんなことの繰り返しで自信がなくなってきていたときに、一つだけ「そんなことはあるもんか。こうなんだ」ということを先生に示すことができたことがありまして、それでもう、おもしろくてやめられなくなったわけなんです。発見自体は本当に小さいことであっても、「この現象はほかの人は知らないでしょう? 世界中で私だけが知ってるのよ!」という気分を何度か味わえるわけですよ。そのときの喜びが忘れられなくてずうっと続けてきているんです。
高橋三保子氏
中西: もともとサイエンスというのは、そういうものだと思うんです。自分でこういうことを解明したいというフィロソフィーや夢があって、それに向かっていくという……。


外に伝わらない科学者の現場の姿
岩田: 今までのお話から、自由に好きなことをどんどんやっていいという環境が大切だということが見えてきたと思います。ところで、そもそも研究者という仕事のイメージが一般の人には伝わりにくいということも科学離れと関連するのかなとも思います。その辺でお感じになったことや問題点などをお聞きしたいのですが。
中西: 「研究」というと、ものすごくかっこいいイメージがありますけど、実際には例えば重い溶液を運ぶとか、工学系ならこの穴に合うねじを加工するとか、全然かっこよくないことが大半ですよね。そこのギャップもあると思います。
中西友子氏
高橋: そうですね。とくに私なんかは、自分では肉体労働だと思っているんですよね。
中西: 私もそう思います……(笑)。
高橋: 朝から晩まで洗い物から溶液作り、虫の世話、それから滅菌したり、その合間に頭を使う……というふうに本当に体力勝負。ただ、体力勝負というと女性が不利じゃないかという話がすぐ出てくるんですが、私は仕事の場で劣っていると思ったことはありませんね。でも、科学者のイメージが人間からも自然の営みからも切り離されて何もない場所にこもって仕事をしているというのであれば、実際の姿が見えていないんですね。本当はそんなきれいなもんじゃない。
中西: そうそう。
岩田: 仁科先生は文科系から理科系に移られてどんなことを感じましたか?
仁科: 私は理科系に一種のあこがれをもっていたのですが、入って最初に感じたのは大きな失望感でした。問題意識や志をもっている人たちは、文学部のほうがまだしも多かったなという印象があったのです。それから、隣の研究室でやっていることは分からなくても当然だという、いわゆる「タコ壺」状況は、思っていた以上に深刻だと感じました。細分化はどうしても必要なことなんですけれども、それをつきつめていくあまり、普通の人間としてもっているべき部分が非常に稀薄化している人が多いという印象があったのです。無機物を作るという形の工学系の教育で最初から純粋に育ってくれば当たり前なのかもしれませんが、ほかの領域から入ってきた者にしてみれば、とても気になるわけです。


科学者に必要なセンスを学校は奪っている
岩田: 今のご指摘から、研究の場である大学や、研究者をめざす学生が受けてきた教育の問題点も出てきたと思いますので、その辺を掘り下げてみたいと思います。僕自身は最近学生を指導していて思うんですけれども、非常に大ざっぱなテーマだけを与えて、あとは何をやってもいい、材料はいくらでもあるぞという感じでやらせると、なかなか動き出せないんですよね。
中西: 問題を与えれば一生懸命解きますが、自分で問題を見つけられないんですね。
高橋: どうしてそうなってきたのかしら。
岩田: 直接の原因は入試制度でしょうね。あとは大学に入ってからも、演習問題が多いんですね。問題があって、それに対する答えを出すという教育をずっと続けるわけですから、すべての制約がなくなった状態で「さあ何かやってみよう」ということができない。
 実は、大学入試までの間に重視される数学や物理と、実際の最先端の研究とは当然ギャップがあるわけで、とくに僕のやっているような領域だと理屈は何もなくて、こういうのを作ったらおもしろそうだという、ある種のセンスでやっていくわけなんです。だから数学や物理が得意だった学生よりも、試行錯誤しながら物ができていくプロセスを楽しめる学生が入ってくるほうが良い結果に結びつくわけです。今日はたまたまお二人が生物系の方ですが、生物系は自然科学の中でも、いろいろ試行錯誤しながら次の問題が分かっていくトライアル・アンド・エラーのおもしろさというのはありますよね。
高橋: 試行錯誤というか、まあ私なんかは直感力というか「これはなんやらおかしい。臭いね」という感じ……。
中西: うん、そうそう。
岩田: というと?
高橋: 例えば生き物の突然変異体を探すときに、泳ぎ方を見ていると、弱っていておかしな泳ぎ方をするものもいるし、きちんと泳ぐものもいる。その中で、これは突然変異だからおかしな泳ぎ方をしていて、これは単に元気がないだけだという違いを見つける瞬間に、ぴんとくるわけです。それは「これはいけそう」という判断で、なぜかと言われたらもう直感としか言いようがない。
 それが実際に正しかったときには「ほうらね」ってなもんでね(笑)。だけど、それは場合によっては都合のいい解釈だけしている場合もあるので、もう一遍冷静になってそれを疑わなきゃいけませんけどね。
岩田: でも最初は楽観的にやらなきゃ進まないと思うんです。ある程度進んだら元に戻って疑うことも重要ですが、最初は「どんどんやってみよう」じゃなくちゃだめですよね。
仁科: その意味では、今の小・中・高校の理科とか科学の中では、おもしろさがほとんど切られている状態だと思います。問題発見・問題解決能力を育む部分が学校教育の中から完全にはずれている。工学系でも、勘やセンスが重要ですが、今の教育では何かもう答えがあってそれを覚えるとか、早い段階で専門を分けて理系と文系に選別したりするから、それは伸びにくい。
高橋: やっぱり理科にはなぞ解きのおもしろさがあるんだということが、どこかで伝わるといいなあと思いますね。理科って、本当に覚える科目ではなくて、体験できて身につくものですから。だから小中学校の授業なんかでも、テーマを少なくしてもいいからもう少し実験を組み合わせていただくことはできないだろうかなと私は思っているんです。私自身もそうでしたけど、やっぱり先生の影響って大きいですからね。
仁科: 最終的に学校教育が大学入試につながっていれば、入試のためにこれをしなければ、というように前倒しになってしまいますから、やはり大学の入試制度を含めた形で、一体どういう子どもを育てていくべきなのかということを考えないと、学校で何を教えるかという問題は解けないのでしょうね。
 もう一つは、今学校で教えている自然科学は、全部ヨーロッパ、アメリカから来たものですよね。だけど地球上にはイスラムの科学もあれば中国、日本の科学もあって、実は科学は文化的な現象でもあるわけで、文化によって導き出される結果も違ってくる。もちろん初等中等教育では、揺るぎのない基礎の部分を教えるものだとは思いますが、だからといって硬直するのではなく、文化的な多様性も先生の視野に入れていただけるといいなと思います。これは劣等生だった私の期待でもあるんですが。

仁科エミ氏


「子どもの科学離れ」は科学への警鐘
岩田: 学校教育の問題点や今後の課題なども出ましたが、一方、科学の側では「子どもの科学離れ」をどう受け止め、科学のおもしろさを子どもたちにどう伝えていくかという話を進めたいと思います。今後の科学の方向性などともからめて、いかがでしょう。
中西: 私は、自分の子どもに科学の楽しさを教えてくれる場がないかと思って、例えば「子ども科学館」みたいなところに週末に一緒に行ってみると、全然おもしろくなくて子どもは寝てしまう。身近な科学のイベントというと「星座を見よう」と「自然に親しもう」しかないんですよ。たとえオムニマックスシアターができたとしても、題材は「環境を守りましょう」とか(笑)。それも大切なんですが、本当に真面目で、子どもがワッと飛びつけるような雰囲気がない。楽しくとか、遊びながらというのは罪悪みたいな感じがあるんですねえ。
岩田: 今の科学館というのは、基本的に最終的なアウトプットとしての製品とか、最先端の研究を一通り紹介するという感じにとどまっているところがあると思うんです。自分たちの実生活と最先端の研究との間をつなぐようなモチベーションを何らかの形で与えることが必要じゃないかと思っているんです。
仁科: 例えばゲーム機は、体験型で双方向ですよね。実は子どもがハイテクノロジーに身近に接する機会というのは、家庭の中に入り込んできているものによっても飛躍的に増えているわけですよね。にもかかわらず科学離れが進んでいるのは、科学そのものの限界を子どもたちが敏感に感じていて、科学にバラ色の未来を託すということが感覚的にできなくなってしまっていることの現れではないかという気がします。だから、子どもの科学離れという現象を科学の側でもある意味で非常に痛烈な批判として受け止めるべきではないかと思います。現場のことが伝われば一気にイメージが変わるということもあるのでしょうが、同時に、漠然と感じられている科学に対する不信感とか、もう自分の等身大ではなくなってしまった制御不可能な対象としての科学への不安や納得のいかなさも、子どもの科学離れの背景にはあるのではないかと。
岩田: 技術がどんどん進歩していくと、中身を全然知らなくても、どんな仕組みで動いていても構わないというふうになってきますからね。だんだん人から離れていっちゃう。
仁科: つまり、いくら使っていてもあくまで消費する側ですよね。作る側・生産する側に回りたいという意欲があんまり出てきていないようです。今のゲーム機もあまりに高度になってしまっていて、あけてみても中はなんだか分からない。箱をあけて中が自分で見られた時代にはその先のおもしろさがあったけれど、今はその先がないわけですよね。


ヒューマンスケールの科学へ
岩田: 今のお話を続けると、本当はゲーム機のチップの中で起こるいろんな現象はすごく高度で、それを研究している人はごまんといるわけです。それだけ研究者が情熱をもってやっているわけですから、そのへんはもう少し伝える必要があると思うんです。完成されたものの基本原理みたいなところに戻って追体験できるような仕組みを作るとか。
高橋: そういう原理というのは、例えば解剖して見せたりすると、本当はすごくおもしろいと思うんですね。なぜこういうことになって、こういうふうに動けるのかということが。
仁科: ただ、そういうことを全部学校にお任せしちゃうというのも大きな手抜きで、もっとチャンネルを多元化していくべきでしょう。地域とか、家庭とかでもそういうチャンネルをもっていかないと出会いのチャンスは増えないんじゃないかと思いますね。
中西: こういう夢がある、こういうことがおもしろいというのを、情熱をもって伝える人がいたり体験する機会があると、子どもはそこにすうっと入ってこれると思うんです。それはパソコンでもゲーム機でも何であってもいい。やっぱり、ゲーム機があれだけ流行るのも、おもしろいからなんですね。親も夢中になるくらいおもしろいものがあっていいなと思います。
岩田: 私も同じ意見ですね。確かにゲーム機そのものをいくらやっても、現代科学は分からないんだけれども、とりあえずはいろいろやってみる。それで、そのゲーム機の横に、どこかの大学の研究室で作った装置があったりして、大学院生がちょこちょこ作業をしているとか、そういういろんなオプションがある場を作る必要があるんじゃないかと思っているんですよ。そんなことには全然興味をもたない子もいるけれど、中にはゲーム機だけじゃなくて、「これ、何か関係あるのかな」と、興味をもつ子どもも出てくるかもしれない。
仁科: 一方で、私には、今までの日本では科学への幻想があり過ぎたのではないかという印象もあるのです。だから、科学離れという現象も、ようやく科学への評価が妥当なところに落ち着いたことの現れかもしれないと。もちろん、科学はおもしろくて魅力的なものですが、科学をやっている人が大半を占める社会というのは、やはりバランスが悪いのではないか。これまでの通説を覆すような研究は、今の科学技術文明の行き詰まりを打開するためにも何としても確保する必要がありますが、それ以外のルーティンはもっとスリムにしていったほうが人間らしい生活ができるのではないかと思うのです。そのためにも、子どもに科学の魅力を伝える必要はもちろんありますが、現状の科学を賛美して社会の中心に据えていく流れに行き過ぎてしまうのもいかがなものかという感じがします。
岩田: そうですね。やはりこれまでの科学の流れというのはビッグサイエンスですよね。つまり宇宙に行くとか、ミクロの世界、ナノの世界というようにどんどん進歩してきたわけですが、それが大きくなったり小さくなったりすればするほど人間から離れていってしまう。それをもっと専門化して突き詰めていくと、後継者がいなくなるんじゃないかという恐れすら私は抱いてます。それに環境問題のことなんかを考えると、ビッグサイエンスに拘泥するのはどうもよくないと感じます。
高橋: うん。私はさっき「なぞ解き」がおもしろいということばかりを言ったんだけれど、今の環境問題が科学の罪悪だとしたら、それを解決していくのもやはり科学だと思いますからね。その中でどう解決していくか、しっかり目的意識をもって取り組むことが必要でしょう。現実には、そういう目的意識をもった子どもたちも育っていると感じますしね。
中西: 私自身は、これからの世の中がどうなっていくんだろうと考えたときに、今までみたいに発展するのではなく、環境をいかに保っていくかという現状維持的なものになると思うんですね。これからそういう社会で生きていく子どもたちにとって、何がブレイクスルーになるだろうかというと、やっぱりサイエンス―科学だと思うんです。それは単に技術の発展ではなくて、自然の中に新しい発見をすることなのではないかと思います。だから私は、だんだん変化していく社会でどんなふうに子どもたちに夢を与えられるか、という目的をもって、もっともっと科学をプロモートしていきたいと思います。
岩田: 最後になりましたが、やはりこれからの科学の進んでいくべき道としては、ヒューマンスケールというところに落ち着くんじゃないかなと思うんですね。つまり、人間が自分で直接感じられるあたりまで、また戻ってくることが突破口になるのかなという仮説を僕はもっているんです。テレビゲームなんかはまさにヒューマンスケールのテクノロジーで、そういう、人間の新しい能力を拡張してくれるような方向に科学が進んでいくのであれば、人は科学からは離れていかないのではないかと思っています。きょうは本当にありがとうございました。

(たかはし・みほこ 生物学)
(なかにし・ともこ 生物学)
(にしな・えみ 情報環境学)
(いわた・ひろお システム工学)

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