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CHILD RESEARCH NET FORUM


子そだてクリニック Q&A


[KOSODATE: 00190] /一覧へ戻る
題 名: (続)不登校に対するカウンセラーに不信感
投稿者: おせっかい
日 付: 1999年 03月25日(木) 12:59:43

誤解されてたようです。書き方がまずくて、申し訳ありません。まりあさんの御指摘と私の趣旨は違います。

裁判官も医者も弁護士も、玉石混合であることは、多くの事例が示していますが、カウンセラーやセラピストやソーシャルワーカー等と呼ばれる人々も同じです。問題点が多々報告されていることは否定されないと思います。日本の例ではないのですが、私が米国に住んでいた頃、ちょうどセラピーの在り方が問題なっていました。フロイト派を中心とするPTSD至上主義者が引き起こした一連の事件で、父親が娘のレイプ犯にさせられた事件などは、日本でも報道されたと思います。

私が尋ねたいのは、日本のカウンセラー全般についてではありません。市の児童相談所に相談して指導を受けた場合に、カウンセリングに不信感を持ちながら、継続すべきかどうか悩んでいる人がいるということです。これは、病院にも見られる話であって、担当医の診断がどうも信じられないが、どうしたらいいかという相談が少なくないと聞いています。

観念的に判断するのではなく、常識的に判断して欲しい。カウンセラーに相談した話を関係ない「第三者」に気軽に話す人がいるとお思いですか。カウンセリングを受けている両親が悩んでいるのです。このカウンセラーにも話を聞きました。私には、このカウンセラーが先入観を持って接すると受け取れました。しかし、私は息子を通して親交がある両親の相談に答えるには、日本のカウンセリングの仕組みをよく知りません。私ならさっさとカウンセラーを変えてしまえばいいのにと思えるのですが、「折角、相談してもらっているので」とか「変えるとカウンセラーの方に悪い」、あるいは「市の相談所だから」といった感情があるようで、私には的確なアドバイスができません。

私が言及しているカウンセラーに会って話を聞いた時に、私は不信感を持ちました。不登校の子供から直接話を聞いた訳でもなく、母親の話を聞いて、自分の知るパターンに当てはめてアドバイスをしていますとしか思えませんでした。その時、心の中で「確かに不登校児だが、私の知っている子供は、あなたが言うような子ではない」と呟いていました。米国には、この程度のカウンセリングなら、市販ソフトがあります。米国でのカウンセリング料金が高いこともありますが、セックスカウンセリングのように聞きにくいような場合は売れていると聞いています。まりあさんが書かれているようなカウンセラーや心療内科などにいるセラピストと同じには思えません。不登校の子供たちといっしょに活動している人たちも大勢いますが、その人たちのことは一切言及しているつもりはありません。私には遠慮せずにさっさと別のカウンセリングを受けたらと思えることも、決断できないでいる人に対して、どう言えば言いのでしょうかと尋ねているのです。

私は自分の経験で、他人の子供と接する時は、必ずその親を知らなくてはならないと思っています。子供がいたずらしたり、他の子をいじめたりする時に、何かする子供(怒鳴ったり、くすぐって笑わせて注意したり、他の子と引き離したり、子供によって違いますが)と放っておく子供を分けなくてはならないからです。親によっては、どんどん叱って下さいという人と、我が子が可愛そうだと逆恨みする親がいるからです。私の話より、幼稚園の我が子の話を信じますと堂々と言う親もいて、閉口しますし、子供同士のコミュニケーションの訓練である喧嘩にしても、どうして自分の子がいじめられているのを止めなかったのかと文句を言う親もいます。だから、我が家にしょっちゅう遊びにくる息子の友達の両親のこともよく知っています。

まりあさんの御指摘の話は、私が指摘を受けていることの裏返しではないでしょうか。一例を持って、全体を述べ、個別事例に反論される姿勢は好きではありません。私は反論を期待していません。日本にいる日本人の論法では、単語を観念的に捉えることで反論することが多いですね。「第三者」という表現は、日本人同士の会話なら通じても、アメリカ人なら「殺人事件の第三者である裁判官は判決を下せないと言うのか」とか「子供を虐待しているように見える人を第三者だから警察に届けないのか」と逆襲されます。第三者にも色々な人がいて、不登校の子供にも色々な子供がいるということを理解してもらえば、私の趣旨もお分かり戴けると思います。