子ども学研究会(2002年6月11日)
安藤寿康(慶應義塾大学教授) レクチャー

「子ども学は、行動遺伝学を救えるか?」
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 今日は、一つの提言ができるというよりは、私の悩みを聞いてくださいというつもりで、こういったタイトルの話をさせていただくことにしました。私は行動遺伝学と同様に、教育心理学というのも自分のもう一つの大きな柱と思っていて、もともとは鈴木メソッドが卒業論文だったくらい、環境と教育が絶対だと思っていた人間です。ですが、遺伝と環境の問題をやり始めようと思って、アメリカを中心にしてなされていた行動人類学の研究を始めたら、遺伝ってすごく大事ということがわかってきて、それで行動遺伝学というのをやっている人が誰もいなかったということもありますし、時代はどんどん生命科学の時代になっているので、遺伝をやってみようということで始めたのです。しかし、もともとは教育に関心があったのです。

 行動遺伝学を20年近くやってきて、一応私なりに、人間の行動に及ぼす遺伝の影響というのは、ある程度ちゃんと見えるようになってきたのではないかと思っています。が、そこで改めて最近ひしひしと感じるのは、遺伝は見えるようになったのだけど、その肝心の人間というのがどうも見えにくくなっているという感じがしました。それで、木下さんからこの「子ども学研究会」に誘われたときに、最初はどういうふうに自分の研究と位置付けていいのかわからなかったし、実は今でも手探りなのですが、ひょっとしたら今僕がここで持っている教育学として始めた遺伝の研究というのを、もう一度原点に振り返るきっかけになるのではないかな、と思い、ちょっと関心を持ち始めました。しかし、今日お話しするように、未だに混沌の中にいて、皆さんの力を拝借したいなと思っているわけなのです。

 まず「遺伝は見えるが人間が見えない」ということなのですが、教育学というのを古くから紐解いてみると、教育学の古典というのは、教育哲学で言うと、プラトンの「国家」などがあって、教育学の原点のひとつといわれています。これは、哲人、そういう国を統治するような人間をどういう風に育てたらいいかという話のときに、素質として金の素質を持っている人を選ばなければいけないと言っているわけです。で、そういう人を鍛えていかなければならないというようなことを言っていますね。

 時代はずっと飛びますけれども、ルソーは、教育には自然の教育と事物の教育と人間の教育があって、その3つがちゃんと揃っていなければ、いい教育は出来ない。だけれども、自然の教育、これがまあ要するに人間の、もちろん遺伝とまでは彼の時代では言っていませんけれども、人間が自然に成熟する力というもの、これはもうどうしようもないものだから、他の事物の教育とか人間の教育と合わせなければいけないという言い方を「エミール」の中でしています。それからデューイは、そのルソーの考え方を「民主主義の教育」という本の中で批判していて、その3つの教育というのを、あたかも3つばらばらに動くかのようにルソーが言っているところが間違いで、それはお互いに共同し合っているのだと言っているのですが、そこでやはり、人間の基本的な成熟というものに根ざした教育というものを捉えていて、教育学の中では、少なくとも遺伝と教育と環境の話というのは常に中心課題だったと私は思います。

 ところが、今の教育学のテキストとか教育心理学のテキストになると、ほとんど遺伝の問題はタブー扱いにされているか、あるいは、遺伝はあるかもしれないけれども基本的にはそれは無関係という言い方をされることが多いような気がしているのですね。学会でもそれでいつも寂しい思いをしているのですが、なぜか。これは色々な理由が考えられるのですが、たとえば、ナチの優生学のようなものがあって、遺伝ということを人間で言い出すとものすごく差別を正当化するようなことになるからというのがひとつの理由だと思うし、DNAという物質が見つかったということで、非常に物質還元論的なイメージを持つとか、いろいろとあると思うのですが、ひとつなんとなく今感じているのは、遺伝の現象というのは非常に進んでしまうと、遺伝の現象しか見えなくなって、その遺伝がつかさどっている人間のいわゆる「ライフ」(life、「生命」とも「生活」とも意味づけられる)の部分というのが見えなくなってしまう。それが切り離された研究というのが進んでしまっているからなのではないかという気がしています。

 私は大学では教育学の授業の中でこの行動遺伝学の話をするのですが、実は、一年生相手に、つい先週6回の短いコースでその授業をし終わったばかりなのです。毎回学生にアンケートを取って、いろいろな意見を聞きますと、「遺伝のことはわかった、でも何か教育の話と関係ないんじゃない?」と、そういう反応がものすごく多いんですね。これは、みんな共通して、遺伝の話をしたら、遺伝はわかるかもしれないけれども、教育の対象となる成長しつつある人間そのものというのを、飛び越して遺伝というものが見えてきてしまっているということがありはしないかと。それで、今日はちょうどギャラリーの方がたに、私が学生や保育園のお母さん方に対して劇中劇の話をするのと同様のことをしますので、皆さんが聞いて、そこに遺伝と人間というのがどう見えてくるかというのを感じていただいて、ご意見をいただければと思います。
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