子ども学研究会(2002年6月11日) 安藤寿康(慶應義塾大学教授) レクチャー 「子ども学は、行動遺伝学を救えるか?」 |
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(6/6ページ) このことがアメリカでとても一世を風靡した1991年くらいの"Nurture Assumption"という本がこのジュディス・リッチ・ハリスという人の書いた本であるのですが、スティーウ゛ン・ピンカーという有名な言語心理学者の彼が絶賛して出したことから、心理学会だけではなく世界の皆が注目する研究になったのです。これが、Newsweekでも「親なんかいらない」というタイトルになって、要するに同じ親に育てられようが別の親に育てられようが結果は同じなのだから、親なんかいらないというタイトルになり、センセーションを引き起こしてしまったのですが、決して親がいらないということをいっているわではなくて、結局親が子どもを育てたら子どもは機械的にこういう子に育つという単純な因果関係が成り立つわけではないですよ、という意味で言っているわけです。 ただ少なくとも、アメリカでも子育て神話、「親が育てたから子どもはこうなった」ということで、例えば離婚して不安定な家庭を持っている親などはいつもそれで悩まされていたのが、親の育て方というのはそれ自体が欠点になっているわけではないという、この本の主張というのは、そういう人たちにはむしろ歓迎して受け入れられたことがあったようです。 子どもの性格というのは決して親の育て方によって一義的に決まるわけではない。決して親がいらないというわけではなくて、家庭の環境というのももちろん大切なのですけれども、それは基本的に非共有関係、つまり一人一人にとって違った意味を持っている環境、つまり親の育て方というのは一番影響力があったとしても上の子と下の子では全然意味が違ってくるので、一人一人にとってはどういう意味があるのかということを、その家庭に則して自分の子どもに則して考えなければいけないので、一般的な子育てマニュアルに囚われてはいけないのですよ、という話をしております。 で、結局遺伝子というのは決定因ではなくて、生命を作っているものなんだ、もとになっているのだ、これは言葉の意味をとってみても、Gene、という、この言葉というのはラテン語でも「作る」、「作り出す」「創出する」という意味から来ているもので、それを日本語で「遺伝子」、残し伝えるという訳語を作ってしまったので、とりわけその「伝わる」というイメージが強くなってしまっていますけれども、中国ではこれを「基因」と訳すのだそうで、これはジーンと読むのだそうです。つまり、非常に似た発音なのだそうで、これだとやはり「元になっている」という語感が強く出てきて、こちらのほうがいいのかなという気がするのですけれども、遺伝子というのはともすれば外側から人間を操るものだという風に思われがちですが、遺伝子というのは人間を作っているわけですから、遺伝子も実は身のうちだという、そういう考え方というのが重要なのではないか、ということで、内なる自然を大切にしましょう、というような話をして、講演とか授業とかはおしまいにするわけなのですが、ここまでが劇中劇です。 これを聞いて、どう思われますか。話す順番は色々違ったりするのですけれども、とりわけつい最近学生達やったアンケートの感想「結局やっぱり遺伝の話ばっかりじゃん」「結局教育との関係ってよくわからないんですよね」で、遺伝ばっかりというと機械的に操られるという、あんなに説明しても「やっぱり機械的だ」というニュアンスで受け止められて、とても不愉快であると。で、これが感想です。「でもやっぱり環境が大事だと思う」という、こういう反論が毎年のように出て、遺伝の話をすると結局人間の成長とか内側から作り出されてくるという、僕が最後に強調した「作り出す」というイメージがやっぱりすっとんでしまって、「遺伝によって決まっている」「遺伝で縛られている」という、そういう素朴遺伝観から逃れることというのがなかなかできない。 ここで、子ども学に私が期待したいのは、人が遺伝的な存在であるというのはある方法を使ってみることができる。今遺伝子そのものは出しませんでしたけれども、いろいろな遺伝子マーカーとパーソナリティと認知能力との関係を調べる研究というのも日増しに活発になってきていて、おそらく関連遺伝子を色々見つける時代というのはもう足元まできているというか、やっている人たちは沢山いる。まだうまくいっていない部分が多いのですけれども、そういう研究はこれからもうどんどん活発になってくるのですが、おそらくそれを突き詰めていくと結局人間一人一人をすっとばして、遺伝子そのものに関心がすっとんでいってしまう可能性がある。遺伝子に還元するのではなく、これもよく言われるのですが、統計的な扱いばかりをやって、それはやはり統計的な記述に過ぎないだろということをよく言われるのですが、統計量に還元するわけではなくて、しかし遺伝的な存在としての人間というのをいかにイキイキと描くことができるのか。それが今の行動遺伝学はちょっと、そのためのツールというのを十分に持っていないような気がする。それが「子どもをフィルター」というふうに木下さん、宮下さんがおっしゃっていただいたような視点を持つことによって、改めて人間の生きざまへ還していく、その鍵が子ども学にありはしないか、と思っております。 <図版出典> スライド1, 2, 3 安藤寿康著「心はどのように遺伝するか」(講談社ブルーバックス、2000) スライド5 Lykken,D.T., McGue,M., Tellegen,A. & Bouchard,T.J.Jr. 1992 Emergenesis: Genetic traits that may not run in families. American Psycologist, 47, 1565-1577. スライド6, 7 Wilson,R.S. 1983 The Louisville twin study: Developmental synchronies in behavior. Child Development,54,298-316. (図7は一部改変) スライド8, 9 McGue,M.,Bouchard,T.J.Jr.,Iacono,W.G. & Lykken,D.T. 1993 Behavioral genetics of cognitive ability: A life span perspective. In R.Plomin & G.E.McClearn (Eds.) Nature,nurture,and psychology. Washington:APA. |
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