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講演1 保育の質を高めるには
報告者:小林 登(CRN所長)

 保育の質を高めるためにはどうしたらいいか、それを学問的に考えるには、先ほど巷野先生からもご紹介いただきましたように、「子ども学」の立場から考えたらいのではないかと思っております。
 子どもは、生物学的な存在として生まれ、そしてまた社会的存在として育つ、と考えることが、まず重要です。つまり赤ちゃんは、もちろん人間ですから、生き物として生まれて、そして社会の中で育っていく。その二つをどの様にまとめて見るかという学問が、「子ども学」なのです。
 生物学的存在ということは、私たちが習った医学、保健学、看護学だとか、皆さん方が習ってきた考え方です。すなわち、子どもの体は、細胞や臓器から成り立っているという見方をする。その元には、父親と母親の遺伝子があるという事も。これに反して、社会的存在とは、その子どもが育っていくのは、社会の環境との相互作用で育っていくと考えるわけです。その両方を同時に見ることができないと、問題は解決できません。
 子どもを機械的に考えるのは、ちょっと行き過ぎかもしれませんが、その二つをまとめて見る為には、わかりやすいと申し上げたいのです。それが、「子ども学」の基本になるわけです。それは何かと言うと、遺伝子で人間の体は、システムとして作られていて、そのシステムをプログラムが働かして機能を発揮すると考えるのです。しかし、乳幼児期の育てられ方によって、そういう生まれながらの基本的なプログラムを組み合わせたり、よくしたりしていくのだと考えるのです。
 そのプログラムの基本的なものは、生まれながらにして子ども達の脳の中に、心と体のプログラムとしてあるのです。臓器を組合せたシステムは、夫々が持っているプログラムで働かして、機能を発揮させるのです。心のプログラムは、脳を働かせて知情意という心の力を、体のプログラムは、手・足・内臓を働かせて、生理機能を発揮させるのです。
 コンピュータ等をやっている人は、すぐおわかりになると思うのですけれど、脳の中にあるそういうプログラムを働かせるものは情報なわけです。情報が脳のプログラムを働かせて、脳を含めた体を動かすのです。体が動くには、何かと言ったら栄養が重要です。栄養によって、体ばかりでなく、エネルギーが作られ、子どもの体という機械のシステムを動かして行く訳です。動かすコンピュータというかワープロのプログラムにあたるものが、人間の脳の中にあると考えればいいわけです。

 今日の柳澤先生のお話は、先生が考えて作られた運動保育援助プログラムです。去年の春だったと思いますが、上諏訪まで行って、柳澤先生のプログラムを実施している保育園で見てまいりました。子ども達がドキドキ・ワクワクして、先生のご指導で一生懸命、体を動かしている姿をみて、お母さん方のエアロビクスを見ているようで、この援助プログラムは「キッズビクス」と呼んだらと思いました。音楽がないところがちょっと違いますけれど。
 それが、どうして子どもの心の発達に良いかという事を、どう考えるかというと、子どもは生まれながらにして育つ力をちゃんと持っていると、まず考えるのです。育つ力は脳の中にある、心と体のプログラムが作動して出来るのです。運動保育援助プログラムのプログラムとは違った、前に申したように、コンピュータのプログラムの様なものです。混合しないで下さい。

 今日これからスライドを何枚かお示しして、私の考えているプログラムを説明させていただきます。胎児だとか新生児だとか、教育も育児も保育もまだ受けたことのないような、あの赤ちゃんがですね、ちゃんといろんなことをやっているのを見れば、お父さんやお母さんからもらってきた遺伝子によって体というシステムと、それを動かすプログラムが、ちゃんと作り上げられていることは、すぐに分かるわけです。運動保育援助プログラムというやり方をすれば、その子どもの持っている、私の言う心と体のプログラムはもうフル回転するわけです。そういうフル回転する機会を持つことが子どもの育つ原動力となっていると私は考えるわけです。
 そういう生まれながらにもっている心と体のプログラムが、同時にフル回転している時、生きる喜びいっぱいの状態だと思います。そういう状態になるというのは、赤ちゃんでありますと、優しく育てられる時であって、保育園に行くような年齢になりますと、それだけではなく、むしろ遊ぶことによっても生きる喜び一杯になる。学校に行くようになると学ぶことによっても、生きる喜び一杯になり得るわけです。ですから、乳幼児を扱う保育所の場合には優しく育て、楽しく遊ばせ、遊ぶ喜び一杯にさせ、生きる喜び一杯にするためには、どうしたらいいかと考えなければいけないと私は思うわけです。
 私の言うプログラムという考え方は、昭和のはじめぐらいに生まれている人たちは、大学だとか高等学校などでも、情報だとかいう考え方がなかった時代ですから、習いませんでした。ところが第二次世界大戦に、情報という考え方がでてきて、プログラムという発想が出てきたわけです。ですから、脳に心と体のプログラムというのがあって、情報でそのプログラムを働かせれば、体が動き、知・情・意という心も現れる。ここでいう体という意味は、脳も心臓も肺臓も、そういうものを全部含めて体システムというわけで、そういうものが働いて育つ力が出るのだと考えればいいと思います。

 そういうふうに説明すると、なかなかわかりにくいという人もいますが、論理的に子どもの生物学的側面と、社会的側面を結びつけて考えるには、考えやすいという事を申し上げたいのです。
 今からスライドをお示しして、説明させていただきたいと思いますが、ぜひそれによって私の申し上げたいことを理解していただければと思います。

 最近は、超音波という機械を使って、お腹の中の赤ちゃんを見ることができます。これは、私どもが学生の時、アメリカに勉強に行っていた時も、なかったものです。今はもう普通で、すでに赤ちゃんをお産みになった方がいらっしゃれば、自分のお子さんの超音波画像をご覧になったことがあるに違いないですね。妊娠11週の胎児でも、ここが頭、これが体、そしてこれが手、この辺に薄くちょっと見えているのが臍帯、つまり、へその緒とちゃんと判ります。
 その上、11週の胎児でも、超音波で見ると、ちゃんと手足を動かしているのが分かります。つまりこの胎児の脳の中には、ちゃんと手足を動かすプログラムができあがっていると考えてもいいわけです。胸に薄くなっているところがあり、ドキドキと拍動しています。これは心臓で、まだ私たちのように完全にできあがっていない状態であっても拍動はする、これも、拍動のプログラムができていて、何らかの形でスイッチが入っているから、拍動していると考えることができるわけです。
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 スライドをお願いします。
 これは、お母さんに子宮筋腫のようなものがあった胎児の超音波画像です。頭が引っ掛かってしまって、胎児は手を突っ張り、足を突っ張りして、はずそうとしているのです。でもなかなかはずれない、どうしたかというと、この胎児は皆さんのほうに顔を向けて、頭をスウッとはずしたというのです。ということは、この時期の胎児であっても、恐らく、頭の中で考えているわけではないけれども、手を突っ張ったり、足を突っ張ったりするときの情報、その頭の中を何かの仕組みで分析して、顔を回してやれば、ぬけるということを、ある意味は決めるプログラムがもうある、と言ってもいいと思います。手を突っ張ったり、足を突っ張ったりするのは、ある意味で言うと反射的な動きなのです。自分の脳の意思だなく、何らかの仕組みで反射的に動かしているわけです。そのプログラムをうまく組み合わせて、頭をはずすという行動の組み合わせをつくる脳のプログラムも持っている、と言えます。私は、「考える」というような高度な精神的なプログラムの基本的なものではないかと思います。

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 これは、胎児の心のプログラムもあるのだということを示すデータです。12週4日の胎児を超音波で取って、分析した産婦人科の先生の研究です。お母さんがテレビの前で音楽を聴いていると、その音楽が変わると、胎児の心臓の打ち方が変わる。ということは、私たちが音楽を聴いたときに出てくる心の世界の原型みたいなものがあって、それによって心臓の打ち方が変わってくるのだと、考えざるを得ないわけです。それこそ、音楽が分かる心のプログラムの基本があると考えられます。 それは、お話しのポイントの一つですけれど、そういったプログラムがだんだん発達し、私たちの様に、ビートルズの音楽を聴いて楽しい、シューベルトの音楽を聴いて淋しいと感じたりする、高度の精神機能、知性の心のプログラムと結びついていくのです。重要な事は、そういう基本的なプログラムは、ちゃんと生まれながらにしてあるのだ、ということです。

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 妊娠後期ぐらいになりますと、胎児はお腹の中で指を吸っています。あんまりチュウチュウ指を吸ったので、指ダコを作って生まれてきた赤ちゃんがの報告さえもあるのです。ということは、指を吸うというプログラムは、もうこの時期すでにあることを認めざるを得ません。誰が指の吸い方を教えたのでしょうか。学ぶ機会が無かったわけでしょう。だけどちゃんと、指をすっているわけです。それは、専門的には胎児や新生児の吸うという行動は、反射的で、自発的なものです。どういうわけか、胎児は、お腹の中でやたらに手を動かす、そうするとたまたまスポッと指が口の中に入ってしまうと、チュチュチュチュッと反射的に吸い始めるわけですね。まさに、自動的で、プログラムされていると言ってもいいと思うわけです。
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 しかし、この赤ちゃんが、生まれて数ヶ月後、お母さんのおっぱいを吸うときにはどうでしょうか。勿論、生まれた直後には、胎児と同じ様に、まだ反射的、自動的な仕組みです。生後1ヶ月にもなると、お母さんとのやり取を介して、おっぱいを吸うわけですから、この赤ちゃんは、自分の生まれながらのプログラムを知性でコントロールして、自分でおっぱいを吸おうと思って吸うわけです。
 この写真のようにじっとお母さんを見つめたりすると、赤ちゃんは口を動かすのをやめます。チュウチュウと吸うプログラムに、自分に意志でストップをかけるわけです。そうするとお母さんは「どうしたの」語りかけます。そうするとまたチュウチュウチュウと吸い始める。このやりとりは、正に吸啜のプログラムが、知性のコントロールのもとに入っていっている事を示します。
 ですから子どもが育つということが何かと言えば、そういう生まれながらに持っている基本的なプログラムを、さらに知性のコントロールに持っていき、プログラムを組み合わせて、複雑な社会の出来事に対応できるプログラムを作ることだと私は思います。

 妊娠後期の終わりぐらいの赤ちゃんの顔の超音波画像を持ってきてくれた産婦人科の先生が、その画像を見て、お腹の中の赤ちゃんが笑っていると言うのです。はじめ私は、 "馬鹿な"と思いました。そんなことは有り得ないと思ったのです。しかし、考えてみればそれは否定できません。なぜならば、生まれてからは、その笑顔を、小児科の先生でも見ることがあるからです。産湯につかっている時に、にんまり笑う、生まれて間も無い赤ちゃんがいるのです。それは本当の笑いじゃないかもしれない。だけど、気持ちの悪いときに、そんな顔をすることはありません。非特異的、あるいは、意味の無い刺激でも、いい気持ちになっていると、にんまりとする。少なくとも笑う表情をとることができるわけです。これは、嬉しい心のプログラム、笑う心のプログラム、あるいはそういう表情を作るプログラム、それが、生まれながらのものであるということを教えているわけです。
 しかし、この赤ちゃんが生まれて1,2ケ月経つと、お母さんがあやす、保育の場であれば、保育士さんがあやす時には、もうこのプログラムはこの赤ちゃんの知性のコントロール下に入っていて笑っているわけです。もう少し大きくなって、お父さんが"タカイタカーイ"をやって、子どもが声をたてて笑うようになる、そういうときの表情も,まさにこのプログラムを使っているわけです。それは、非特異的な刺激で笑うのでは無く、知性で"僕嬉しいよ"といって笑っているわけです。そういうふうに考えるわけです。
 保育にしろ育児にしろ、せっかく持って生まれてきている、お父さんとお母さんの遺伝子で作ったプログラムを、よりよい知性のコントロールに持っていく、さらに、組み合わせることが重要と私は考えているわけです。

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 これは産声をあげて泣いているところです、オギャーと。どうして声をあげているのでしょう。あれはお産に驚いて、お母さんから離れるので、不安で泣いているのです。その証拠に、なかなか泣き止まない時には、赤ちゃんを、お母さんや助産婦さんに優しく抱っこしてもらったりすると、泣き止みます。もうすでに、生まれたばかりの赤ちゃんの頭の中には、母子分離を不安と感ずる、お産の嵐を恐ろしいと感じるプログラムをちゃんと持っているのです。そういうプログラムを、育っていくうちにだんだんと知性でコントロールするようになっていく。例えば、何かおっかないことが起こっても、そこにはお母さんがいるから大丈夫なんだ、保母さんがいるから安心なんだという知性のコントロールに持っていけば、泣かないようになるのです。
 産声をあげると同時に呼吸のプログラムにもスイッチが入ります。そうすると、今ここにいらっしゃる方々も、産声をあげたときにスイッチを入れたプログラムを、今使って息をしながら私の話を聞いているというふうになるわけです。これは知性のコントロールは出来ませんね。そういうプログラムもあるのです。

 ところが産声が治まるとジーッと周囲を見回し始めます。これは、産科の先生が言う新生児覚醒状態、つまりこの時は、赤ちゃんの頭が冴えているのです。それは、好奇心の心のプログラムといったらいいと思います。あるいは、教育のための学びのプログラムが、もうすでに働いている、と言えるかもしれません。だからこそじっと見回して、周囲の情報を求めているわけです。
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 ファンツというアメリカの心理学者が、赤丸、黄色丸、白丸、新聞紙の丸、同心円の丸、顔を書いた丸と、同じ大きさの丸を並べて、生まれて5日以内の赤ちゃんと、生まれてから2ヶ月から6ヶ月ぐらいの赤ちゃんに見せて、じっと見る注視時間を調べたのです。注視する時間は、赤、黄、白の丸ではほとんど同じなのです。新聞紙の丸になると増える。同心円になるともっと増える。人間の顔が書いてあるとぐっと増えるという事がわかったのです。生後5日以内の赤ちゃんと2ヶ月から6ヶ月の赤ちゃんではあまり差がない。この現象を、少し難しい言葉で表現しますと、赤丸、白丸、黄色丸よりも新聞紙の丸、同心円の丸、顔の丸と、情報量が増えれば増えるほど、赤ちゃんの見つめる時間が延びることを教えているわけですね。ということは、子どもは生まれたときから何か新しいものを見つけて、その情報を取り込んで学んでいこうとするプログラムを持っている。「インフォメーションシーカー」なのです。だからこそ、子ども達は自然に色々な事を覚えたり、学んだりしていくわけですね。そういう基本的なプログラムがあると考えられるのです。

 次のスライド。
 これは、赤ちゃんの顔に、2つのガーゼのパットを左・右に分けてかぶせた実験です。左側にお母さんの匂いが付いていて、右側は何も付いていない。赤ちゃんはお母さんの匂いのあるパットの方に盛んに向くのです。ということは、もう匂いがよくわかる、即ち嗅覚も充分に発達しているという事です。


 次のスライド
 これは味覚の実験です。ただの水、砂糖5%の水、10%の砂糖水を、コックで変えて、赤ちゃんに吸わせる訳です。赤ちゃんの口に入る水の砂糖の濃度が違う、つまり甘味が違う。その時にチュウチュウ吸った口の動きを記録して調べると、ただの水より5%の砂糖水、5%の砂糖水より10%の砂糖水と、チュウチュウ吸う波が強く動くのです。すなわち、味覚も分かる事を示しています。
 今までのお話をまとめれば、触覚、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、外の情報を取り込む五感全てのプログラムを、赤ちゃんは生まれながらにして、ちゃんと持っているのです。



 これは、お母さんと一緒にいる時の赤ちゃんの顔を、サーモグラフィーで撮って、顔の皮膚の温度分布を見たものです。お母さんにそっと出て行ってもらうと額や鼻の周りの皮膚の温度が下がる。ということは、もう生後1ヶ月ぐらいになりますと、母親がいなくなると不安を感ずるという、心のプログラムをちゃんと持っていることを、この研究は教えているわけです。
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 次のスライド。
 赤ちゃんの前で私が舌を出していますね。この子の名前を聞いて、例えば、サトコちゃんならサトコちゃんと、ささやくように優しく声をかけて舌を出したのですね。そうすると、ベロッと舌を出した赤ちゃんはまだ見たことがありませんけれども、口をモゴモゴッと動かして舌をチョロッとのぞかせるのです。つまり真似るということも、プログラムされていることを、この研究は教えているわけです。

 ものまねプログラムは非常に重要だと思います。しかし、どうも反射的らしくて、頭で考えているのではないのです。それが、だんだん知性のコントロールに入っていくから、保育園で保母さんのやっている、あるいは、お友達のやっているスキップやダンスを真似る事が出来るのです。すなわち、生まれながらのものまねプログラムが、だんだん知性のコントロールに入っている、難しい言葉でいうと大脳皮質のコントロールに入っていくのです。学ぶと真似るは、表裏の関係にありますから、真似るプログラムの存在は特に重要です。柳澤先生の実践でもものまねが強調されていますね。

 次のスライド。
 これは、お母さんが声をかけているわけですね。何ちゃんいい子よっていうふうに。生まれた翌日の赤ちゃんですね。その赤ちゃんの手の動きをビデオに撮って分析してみました。その結果は。


 次のスライド。
 お母さんの語りかけの声の波は、赤い線で、赤ちゃんの手の動きの波は白い線です。この、「ママですよー。いい子ね、何ちゃんどうしたの」と話かけると、赤ちゃんの手の動きは、だんだん同調してくるのです。これを引き込み同調現象といいます。お母さんが語りかけているうちに、だんだんだんだん手の動きが引き込まれて同調する。そういうプログラムもあり、これこそがコミュニケーションの原点です。
 ですからリズムというのは非常に重要なのです。今日も柳澤先生の実践をご覧になると、真似るとか、リズムというものが非常に強調されていると思います。熊さん歩きをしましょうという格好で熊さんを真似る。その時、子どもは真似るというプログラムを使い、リズムは同調するプログラムを使っているわけです。そういうプログラムをうまくフル回転させることが、私は非常に重要なのだと思うわけです。
 ですから今迄に申し上げた事で、子どもは、心のプログラムと体のプログラムを持って生まれる事は明らかです。それが、発育のプログラムとお互いに関連しているわけです。体の成長には成長ホルモンの分泌のプログラムだとか、色々なプログラムに関係しているのです。心の発達には、前に申した、生まれながらのプログラムが知性のコントロールに入る事が関係していますが、それにはシナップスの形成とかミエリネーシヨンが関係します。
 ですから、心のプログラムと体のプログラムがうまく円滑に作動すれば、発育のプログラムも上手く動くのです。もちろん、心のプログラムも体のプログラムに影響するし、体のプログラムも心のプログラムに影響する。お互いに影響しあっているわけです。そこが私も重要だと思うのです。柳澤先生の運動保育支援プログラムも、そういうことで私も説明できるのではないかなと考えております。
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 これは、双子の話なのですけれども、心と体のプログラムを動かすのに何が大切かということを考えるのに非常にいい事例なんです。こちらは、男の子、こちらが女の子です。二卵性双生児なのですけれども、同じ親に育てられていても、どうしてもこの母親はこの男の子をかわいいと思えない。旦那に似ているからだというのです。もちろん、旦那が悪い男なのです。他の女性を追っかけたり、お金も家に入れない、家庭が破綻している。どうしても人間の心理で、この男の子をかわいいと思えない。そうすると、そのかわいいと思えないだけでも、成長ホルモンの分泌や食べた食物の消化などに影響を与えて、男の子と女の子は、成長発達の差が出てきてしまう。女の子の方は、同じ女性同士の仲としてかわいがって育てているのです。
 ということは、何が重要かというと、赤ちゃんの時には「優しさ」が重要ということです。乳幼児期に、心の理論、他人をみてその人が何を考えているか、わかるようになるのは3歳ぐらいだと言います。3歳ぐらいまでの間というのは、優しく感性の情報で育てることによって、その子どもに生きる喜びを与えないと、うまく成長も発達もしていかない。こう考えると、心の理論が出来るまでは、優しさで代表される感性の情報が重要であり、出来てからは、何故かと知性の情報でも教えなければならないと思います。

 「優しさ」を科学して、「優しさ」の意義を考える事は重要です。神経生理学や、往年の学問で考えると同時に、成長ホルモンの分泌と、優しさの関係などを、新しい神経心理内分泌学でも考えなければなりません。また、神経心理免疫学ですね。優しくされないと、子どもは、感染症にかかりやすい事も知られているのです。すなわち、「優しさ」が単に、ヒューマニズムだとか、人間性の問題だけでなくて、ホルモンの分泌や免疫力にも関係しているという科学的なベースがあるわけです。
 お母さんが自分の赤ちゃんに語りかける時には、同じ内容でも、自分のご主人に話すときと違う事を皆さん御存知でしょう。ピッチが高く、抑揚が大きいのです、つまり、特別教わらなくても、お母さんの心の状態が安定しているならば、赤ちゃんにしゃべるときには、自然にそういう声になってしまう。そういう事実から見ても、「優しさ」というものは、乳幼児期には大事なのです。特に、子どもに、こういうことをしてはいけませんよという、しつけをするためには、すべての心のプログラムが、知性のコントロールに入ってからでなければうまくいかないし、心の理論ができなければ、他人の心を理解できないわけですから。そういった意味で、こういう自然の仕組みとしての母親の「優しさ」というものが重要な意味があり、保母さんたちが、それを21世紀の子育ての中で、考えなければならないのです。「優しさ」は前の申しました様に生まれながら基本的なプログラムを組み合わせて、その後に続く複雑な社会生活に対応する事を出来るようにする事が重要なのです。

 こう考えて来ますと、子どもたちを生きる喜びいっぱいにする、遊ぶ喜びいっぱいにする、あるいは、学ぶ喜びいっぱいにする方法を明らかにする学問が必要です。私は子どもの生命感動学といったらいいと思うわけです。すなわち、「Bio-Emotinemics」です。「Bio」は「生命」、「Emotinemics」は、「Emotinem」というのがラテン語の「感動」で、「ics」は学問という意味です。ですから、生きる喜びいっぱいになる脳のメカニズム、体の反応、人間的な意義を考える学際的な学問的体系を生命感動学と私は言っているのです。
 柳澤先生のプログラムは、その「子どものEmotinemics」の立場から見ると、そういうことを実践する技術なのです。私たちは、プレイショップといって、遊びの場をどういうふうにデザインするかという事を、永山の廃校を使って研究しています。私達も同じ様に、いかに子どもを遊ぶ喜びいっぱいにするかを考えているわけです。
 生命感動学の中で、子どもは特殊ですから、「子どもの生命感動学」というべきであって、「女性の生命感動学」だってあると思うのです。衝動買いをやる時とか、そういうものかもしれませんし、また、老人になれば宗教的なものも考えなければならないと思います。しかし、子どもの場合は、遊びとか学びとか言うものを、どのようにデザインするかということが重要になります。そのような考え方で、私たち小児科の医者の立場として、巷野先生と同じように育児や保育を考え、あなた方は、保育の現場で同じ様に、考えて頂きたいと思うわけです。

 最後に、子育ての質との関連で、21世紀の子育ての質ことを少し考えてみます。子育てのパターンを、私は二つに分けて考えるべきだと思います。育児と保育です。育児は、多くの場合、母親の子育て、父親の子育ていう様に親のする子育てであり、おじいちゃん、おばあちゃんなど、血縁者のする子育てを指していると思います。つまり家庭が子育ての場です。家庭の保育というのは、言葉の上では多少問題があると思いますが、このごろ育児という言葉があまり使われなくなリました。
 もう10年以上も前になりますけれど、臨時教育審議会で、子育ての問題をディスカッションしたときに、高校生の保育の本に、育児という言葉が一度も出てこないのです。それで、私が関係した保育の本では、育児と保育を分けて考え、保育は、拡大された育児と言ってもいいし、施設によって保育士、あるいはそれに準ずる専門家による子育てであるとしました。また、もちろん最近は、子育てを勉強して家庭に入ってやるような人もいますし、子育て経験者が赤ちゃんをあずかってやる場合もあるし、いろいろありますけれど、そういうものを私は全て保育と呼びます。育児と保育と区別したいのです。
 しかし、やっていることは同じです。それは区別できないと思います。しかも、21世紀これからは、すでに最近もそうですけれど、保育と育児が組み合わされていると思うのです。ですから、それを私は保育と育児を組み合わせて、今や考えるべきだと思う。従って、人間のチームによる子育てとか、社会による子育てということになると思うわけです。
 そして子育てのやり方を見ると、「生活の世話」と「遊び」に大きく分けた方がいいかもしれません。生活の世話は、母乳で育てるとか、おしめを換えるとか、お風呂にいれるとか、離乳食を食べさせるとか、おんぶにだっこ、そういう子育ての人間行動です。遊びのほうは、あやす、イナイイナイバーとか、だっこだとか、高い高い、あるいは子守唄などということになると思うんです。これは保育の現場の方々も同じように生活の世話をし、そして遊びをするというようにやっていると思うんですね。この遊びも、先ほど申しましたように、生命感動学という考え方で、学問的に考えなければならない時代になのです。

 現在、どんどんどんどん保育が拡大してくるのは、一つはお母さんの育児が十分でない場合がもちろんありますし、さらには仕事をしている場合もあると思います。しかし、保育の現場におられる方が、どなたも実感として持ってらっしゃることは、やはりお母さんはお母さんであるということでしょう。どんなに保育園で子どもが楽しく遊んでいても、夕方お母さんが迎えにくると、すっ飛んで行く子どもがほとんどだとおっしゃいますね。ということは、私は、キーパーソンがお母さんになると思うわけです。逆にいうと保育園が、そのキーパーソンであるお母さんに、いい子育てを教育しなければならない時代にもなっているのです。実際に保育の本などを読みますと、それを重要な役割に位置付けられて書かれていると思います。ですから、そういった意味で、お母さんも保母さんも同じチームとして、一人の子どもを子育てするということになるわけです。もちろん、保育園のほうは、たくさんの子どもたちを同時に相手にするわけですが。
 そして、母親、父親も同じですけれども、親や保育士にとって重要になってくるのは、センシティビィティとインタラクションであると。これはアメリカのサラ・フリードマンさんが、この前来日された時の講演の中でおっしゃっている言葉です。センシティビィティというのは、子どもの心を読み取る力、感受性あるいは、感性と言ってもいいと思います。インタラクションというのは、ふれあいの子育てです。そして、センシティビィティとインタラクションはお互いに影響しあっていると思います。ですから、お母さんも一人目の子育てよりも、二人目の子育てのほうがうまくいくというのは、そのセンシティビィティも高くなるし、インタラクションの方も上手になるからです。泣き声をあげたら、おっぱいがほしいのか、だっこしてほしいのか、あるいはおしめが濡れているのかと、ほとんどのお母さんが理解できる様になるわけですね。そういうのもセンシティビィティ。泣き声によって、抱き上げるという行動をとって、スキンシップ豊かなふれあいをする、それが、インタラクションです。
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 そのインタラクションは、こういう図式で考えると、考えやすいと思うのです。もう20年も前に、母子相互作用という考え方が出て、私も関係して厚生省の研究をやりました。これは、父子でも同じです。つまりセンシィティビィティで来る情報が何を意味するのかを感じ取って、それをもって反応する。そうすると子どものほうも、その行動に対して、母親に反応を返すというやり取りをするわけです。そのことによって、保育者と子どもの間も、親と子どもの間も、心の絆ができあがる、つまり人間関係ができあがる。接着剤みたいな感じがしますが、英語で言いますと、ボンドという言葉になるのです。
 センシィティビィティとインタラクションといいますのは、人間関係を作る基本的な仕組です。考えてみれば夫婦の間でもそうですし、友達同士でもそうだと思うのです。やはりお互いの心を読み取って反応するという仕組みがすべての人間関係の基盤であって、なかんずく言葉が十分にしゃべれない赤ちゃんの場合には、その世話をする人の母親なり父親なり、あるいはおじいちゃんおばあちゃんもそうですし、それから保育の現場における保育士さんたちに、そうした力が求められるのは当然のことだと思います。これさえちゃんとあれば、子育てはどんな格好でもいいのです。サラ・フリードマンさんのNICHDの研究でもそうですし、国立精神保健研究所の菅原さんの研究でもほとんど同じですね。ですからそういう仕組みを、保育の現場にいる人たちは、母親に作ってあげることが大事なのです。それは何かというと、母親を誉めてあげること、エモーショナルサポートをしてあげることなのです。「良くがんばりますね」、「働きながらよくやりますね」、という支援の言葉を使うことが、私は重要だと考えるわけです。

 私が申し上げたかったことは、一番最後に申し上げましたように、子どもの心の読み取る力と、それからその読み取ったことに対して、手際よく優しくスキンシップし、豊かな対応をしてあげる。それは赤ちゃんならだっこに結びつくし、幼児ならば、いい子ねと頭を優しく撫でてあげることが重要なのだと思います。
 保育の質に、直接、間接関係がある事を申し上げました。最後にまとめたいと思います。保育の場にも、ハードウェアとソフトウェアの質があると思います。建物だとか、お庭だとか砂場だとか、もちろん運動の道具だとか、遊ぶ玩具だとか、そういうハードウェアは、もちろん重要です。しかし、子ども達が幼稚園に来て楽しくなるような雰囲気、毎日の行動のスケジュール、壁の色などそれがソフトウェア、ある意味で情報ですが、そういうものも全て、すなわちハードウェアもソフトウェアも、保育の質に関係します。子どもたちの遊びをどのようにデザインするかなど、「子どもの生命感動学」は、まだまだ十分に体系付けられていませんが、保育のソフトウェアの質を高めるのに重要です。また、ソフトウェアとしての質には、子ども達の生活のあり方、保母さん達の人柄、特に子ども好きであるとか、目に見えないものも沢山あります。
 今日の柳澤先生のお話は、子どもの遊びのあり方として、ソフトウェアの質にとって、重要なことだと思うのです。それを、それぞれの保育の現場で、合うように修正して実践する工夫をして頂きたいと思います。
 柳澤先生の前座として、私の考えていることを申し上げました。ご清聴ありがとうございました。
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