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ポストプレイショップ対話集

VI. ポストブレックファストミーティング
1. 自分を表現してみよう
2. 教えることと学ぶことの無限大の可能性
3. バックトゥザフューチャー:日本の伝統文化と歴史から学ぶ
4. 状況的学習からデザインへ:SITUATED DESIGN(状況から立ち現れるデザイン)の可能性
5. 振り返りとプレイフルな新世紀への洞察

Y.ポストブレックファストミーティング
1999年11月30日 午前9時30分


 前夜の話し合いをまとめ、もう一方のグループにプレゼンテーションを行なうために、グループ1(グループ「?」)とグループ2(グループ「!」)のメンバーがそれぞれ集まった。


1.自分を表現してみよう

ジョギ: 前夜の話し合いは、日本での学びにおける指針についてだった。プレイショップは「プレイトロジー(遊び学)」とでもいうべき学びの方法を提供するものである。私ははっきりとしていなかった2つの点について明らかにしたい。第一に、前日の話し合いは、プレイショップの内容が盛りだくさん過ぎて、1日では足りなかったということが言われていた。第二に、それぞれの子どもは、独自の性質を持つという鈴木氏のコメントが気に入ったが、これはつまり、それぞれの子どもにあったメディアの選択肢を設けるべきだということだ。「プレイショップU」はこの点において柔軟性を持つべきであり、より小さなグループでパフォーマンスを行なった方がよい。グループが何を望むのか考えるにあたっては、食べ物の比喩を使ったり、グループの食欲はいかほどかと尋ねるといい。これは、ニーズ評価のプロセスだ。しかしこれは、参加者が口に出した答えと本当のところは違うかもしれない。なぜなら、まだ実のところどれくらいの食欲があるのか自分でもわかっていないかもしれないからだ。

ルース: プレイショップでは個人が何を欲しているのか見つけ出すために、沈黙と振り返りの時間がもっと必要だ。そして、絵を描くなど、非言語コミュニケーションを増やし、混乱を減らすべきだ。また、プレイショップにいくつかの異なる「ステーション」を設けるというアイデアもいいと思う。

島内: さまざまなテーマで12回のプレイショップを開催できるだろう。

ルース: ファシリテーターのリーダー役または教師が管理するならが、一年間のコミットメントは可能だ。プレイショップファシリテーターとして認定して彼ら自身のプレイショップを実行させることは可能だろう。

ヒレル: ベネッセは学校以外の教育や「総合的な学習の時間」のコンテンツを提供することに興味を持っている。


2.教えることと学ぶことの無限大の可能性

 グループ1のプレゼンテーションは、午前10時15分に始まった。ルース氏は、「誰が、どのくらいの期間、何を、どこで、行なうのか」というテーマで話したいと希望した。

ルース: 次のプレイショップはどれぐらいの期間にすべきか。可能性としては、1日、2日、あるいは3日だ。

ヒレル: プレイショップを1年間にわたって開催してはどうだろう。プレイショップは、プレイフルな始まりであり、初回と2回目のプレイショップをつなげていく必要がある。

ジョギ: 「プレイショップU」の一つのイメージとして、トレーナーのコアとなる人達は、教師あるいは生徒がなるのだ。どちらのグループが効果的かわからないが、ポイントは、種をまくという視点で考えることだ。こうした人々は、単に研修の受け手ではなく、与え手として、将来プレイショップを行なうトレーナー候補になりえる。CRNとマッドパイは一貫した支援基盤を提供できる。らせん状にプレイショップが広がっていくイメージである。この支援は、新しい技術を駆使し、物理的にもバーチャルにも行なえる。

宮田: こうした広がりはさまざまなレベルで起こりうる。たとえば、学生ヘルパーは、外に出て、自分自身のワークショップをデザインし、翌年、戻ってくることもできる。

ヒレル: プレイショップの次のステップにとって、学生スタッフはなくてはならない存在だ。こうしたファシリテーターとなる大学生はすでに、宮田氏、上田氏や須永先生などの「師匠」とプレイショップに関わり始めている。

藤倉: ファシリテーターと学生スタッフにプレイショップについてどう思ったか尋ねるよりも、むしろ、次回のプレイショップはどのように違った方法でアクティビティを企画していきたいかを尋ねるべきだ。

ルース: 様々なイメージや体験を与えられる大量のデータベースのある図書館や情報センターなどが活用できるだろう。こうした資料はファシリテーターがアイデアを膨らませる助けになる。

藤倉: こういったプレイショップに関する情報をホームページに掲載するのがいい。

ジョギ: プレイショップは内容指向ではなく、方法論と学びの道具についてだ。それは、国家が教えたいと望むことと対立するものではない。プレイフルな学びの環境を創り出し、よりプレイフルな代替案を提案するのである。

ルース: こうしたプロセスベースの学習経験を導入するチャンスは、2002年の「総合的な学習の時間」の導入と学校の週休2日制の開始時である。そして「総合的な学習の時間」に取り組み、生徒に土曜日を取り戻させるため、学校や地元の教育委員会、企業が協力して、新たな形で教育方針を描くことが大切だ。自由な時間ができるようになった後の問題は、その時間に何をするかである。

ミルトン: このモデルは、アメリカで「トレーナーの研修」あるいは「革新の普及」モデルと呼ばれ、中核となるアイデアの普及を行なうものだ。十分な支援なしでは、ネットワークは崩壊しかねない。トレーナーは、継続的なコミュニケーション、電話できる相手、ホームページでの情報が必要である。

ヒレル: ミルトン氏が「バディー・システム」と呼ぶ、全員がパートナーを持つシステムを取り入れた、コスタリカでのメディア・ラボのプロジェクトがある。

ジョギ: プロジェクトには発展を促すような環境が必要だ。

藤倉: 人々が専門性を高めるにつれて、向上していくプロセスが必要だ。

上田: 小さなカフェをモデルにした、ラーニング・カフェのような場をつくったらどうか。

ヒレル: 数多くの小さな博物館や会場からなる分散型モデルはどうか。

ルース: ホームページを利用して、学校での「アーティスト・イン・レジデンス」プログラムなど、ファシリテーターを助けるパフォーマーを雇用してはどうか。

ミルトン: 日本でのプレイショップに、公民館や公立図書館が利用できるだろうか。

上田: そうした施設をプレイフルなカフェに変身させることはできるかも知れない。

ルース: 「プレイショップUをどのようにすべきか」という問題に戻ろう。主なポイントは、
(1)プレイショップTは内容が盛りだくさんすぎた。今後は数日かけて行なうべきだ。
(2)参加者が自分にあった学習方法あるいはステーションを選べるように、選択の幅を設けるべきだ。
(3)文章を書いたり、絵を描いたりなど、沈黙の時間と内的表現ができる時間を増やすべきだ。

ミルトン: 夏のキャンプでは行なえるだろうか。アメリカでは、夏は有意義に使われていない。

ヒレル: プレイショップは直島で開催できるだろうし、各パオで違った活動ができる。

上田: アムステルダムでの会議は、さまざまな場所を結ぶ小規模な衛星イベントで幕を開け、大集会で最高潮に達した。

ジョギ: こうした方法で、プレイショップは移動方式で行え、毎年、過去にどこか他の場所で開催されたプログラムを反映させていくことができる。

ヒレル: プレイフルは常に進化しているので、モデルを拡大していくことが重要である。


3. バックトゥザフューチャー:日本の伝統文化と歴史から学ぶ

 その後、グループ2(グループ「!」)が前夜の話し合いのまとめを発表した。グループ2のまとめは、「バックトゥザフューチャー:学びと学校の再定義」というテーマだった。上田氏は「モデルは、1600年から260年間続いた江戸時代によく見られた寺子屋のイメージだ」と説明した。

上田: 寺子屋は学び中心で、生徒は互いに教えあったり、先輩による指導などが行われていた。自分が学ぶ場も、冬には日のあたる場所に移動したりなどして空間を自由に使っていたようだ。学ぶことも内容が多岐にわたるというよりは、一冊の本を深く理解することが重要視されていたようだ。読書から生まれたアイデアが生活に結びつき活かされていた。現在は、多くの変化する情報環境に取り囲まれているので、江戸時代のような学びでは成り立たないが、寺子屋が持っていた「学びのコミュニティ」から学ぶことは多くあると思われる。

ミルトン: 学びを再定義する試みの一例として、「Zoo School」がある。ミネソタ州にあるこの高校では、生徒は毎日動物園へ行く。動物園で、生徒は植物学者や動物学者、科学者とともに、小さな個室でプロジェクトに取り組む。学校や仕事あるいはキャリアによる違いがない。これは「学校からキャリアへ」のモデルであり、プロジェクトベースの試みだ。生徒は師匠、つまり科学者と直接作業をする。教師の役割は、まとめ役、伝達役であり、指導は素材とプロジェクトから生まれる。これは寺子屋と似ているかもしれない。

エディス: 学校を電線に例えてみよう。現在、教師にはもっと教えるようにもっと教えるようにという圧力が強まっている。一方、生徒は消化する時間が必要だが、その唯一の方法は、何かを作り出すことだ。生徒は何かを消費することのない、別の精神的な空間を必要としている。アメリカでは、工芸を再考し、工芸に戻り、子どもたちに工芸を行なわせるための最先端の技術を使ったプロジェクトがある。コロラド州ボルダーでは、生徒がコンピューターで折り紙の作り方を学んでいる。日本の波多野教授(慶應義塾大学)は、1年前にエディス氏が参加したカナダでの学会で発表を行ない、能を共同作業的な学習と徒弟制の比喩として利用した。出演者全員が、公演の一部分についてだけ準備し、リハーサルは一切行なわれない。このモデルは、パフォーミングアートを背景に生まれたもので、学校を背景にして生まれたものよりも、共同作業的学びのよいモデルになるかもしれない。後者の文脈においては、実体験と共同作業は重要な概念だと売り込まれているが、具体的なモデルには基づいていない。

大森: 江戸時代の生活のテンポははるかにゆっくりだった。産業・技術革命とともに生活のテンポは速まった。日本の教育インフラは、国の国際的・経済的な地位の向上とは関係なく、変化や進化をしていない。インフラの再評価を行なうことは不可欠である。民間セクターの役割は、変化を受け入れるうえで、政府を助けることだ。ポイントは、寺子屋に戻るのではなく、年長者による指導、共同作業、徒弟制を今日の学びに取り入れ、子どもたちの選択の幅を広げることだ。


4. 状況的学習からデザインへ:SITUATED DESIGN(状況から立ち現れるデザイン)の可能性

エディス: こうした速いペースで変化を続ける生活と学びによって、学びの新たな定義が必要になる。それは、学びの生態学的な定義である。つまり、生きる価値のある生態的な地位を、自身のために見つけ、あるいは創り出すことである。これは、一部は自然に、大半は人工的な生態的地位を作り出すために、他者と共同作業することを意味する。そして、生態学的な観点で学びを再考することにつながる。すなわち自身の環境への適応が何を意味するのか再考することだ。発達心理学者のジャン・ピアジェ博士は、知性を適応性と定義する。つまり、同化と調節のバランスのことである。これは新奇なものを受け入れ、見慣れないものを取り入れる能力、つまり,同化と、すでに体得したものを最大限に維持する、すなわち長年培ってきた信念体系を維持する調節のバランスをとることが大事ということだ。内部の均衡を保ちながら開放性のレベルを規制することは、知性の定義の一部となり、これは、文化的なレベルにもつながっている。人間には以下の2タイプある。
(1)同化屋さん型:目新らしいものに心を開き、見慣れないものでも取り入れる人々
(2)調節屋さん型:吸収したものを最大限に維持し、苦労して勝ち得たものを手放さない人々
これは、変化に対してどれだけ心を開いて受け入れるか、また、伝統と革新とのバランスをどのようにとっていくかという問題である。同化において、人は自分の知識に基づいて新しいものを取り入れる。異なるものは拒否されるが、再評価される。現在の経験は、孤立した知識ではなく、安定性を保っていくための信念体系として自己構成される。未知なるものが現在の信念を粉々に破壊することはないが、その一部を疑問に付すかもしれない。しかし、安定性を回復する自己構成化の原則がある。この同化と調節の両極は、人々が何かを分類する方法に見られることがある。たとえば、昆虫の分類が必要だとしたら、同化的傾向が強い人は、自己のやり方を編み出し、世間にそれを押し付けるかもしれない。一貫したパターンを考え出し、もしそれが適合しなかったら、パターンを組み替え直す。一方、調節的な人々は自己の学びのスタイルにあわせて、問題を変貌させる。見慣れないものを既存の分類区分に入れるのが責務になる。二極間のバランスが必要だ。知性とは、立ち止まり、気持ちを落ち着かせ、伝統と革新の均衡を保つ能力だ。ヘンリー・ジェンキンスの「ナラティブインテリジェンス」に関するMITの学会では、懐古的でない歴史学者たちがいた。彼らは、将来を思い描くために歴史の忘れ去られた部分に戻ったが、寺子屋の例もこのようにして利用することができるだろう。

鈴木: 大森氏の食欲に関するコメントについて述べたい。子どもたちも時間を違う形で使う。何かに夢中になっていると、1日が1時間のように感じられることがある。情報を消化するためには、スピードを落とし、大事なことのためにゆっくり時間を割くことが大切だ。

エディス: 職務権限や時間管理に関して「時代遅れの話」が行なわれているという企業研修プログラムが多くある。コンサルタントが、ストレスを認識させ、禅の手法でスピードを落とすよう人々に話し、お互いへの信頼感を養おうとする退屈なワークショップである。対照的に、学校が産業モデルを使用し続けているのは皮肉である。

上田: プレイショップはこうした要素すべてのバランスをとろうとしている。

 続く質疑応答の最中に、ジョギ氏は「子どもたちは孤立して生活しているわけではないことを思い出すべきだ」とコメントした。

ジョギ: 子どもたちは、より大きな社会へ旅立つ準備をしており、「社会に向かって手を差し伸べる活動家」と「手を差し伸べられる主体」としての双方向の役割を持つ。彼らは学校へ通い社会人になる準備を受け、社会へと入っていく。学校は子どもを訓練し、それによって社会を形成する。この双方向の役割は、移民の子どもが親を社会へ導き入れるという形にも代表される。また、たとえば、身体の動きが鈍くなってきているとしたら、それは、ある種のオモチャの消滅に結び付けることができる。オモチャが消えつつあると体は硬くなる。体が硬くなったので、どうやってオモチャで遊べばいいのかわからず、さらに作られるオモチャの数が減っていく。この悪循環は学校でも起こりつつある。学校は私たちのあるべき姿を決めていくのだから、もっと学校自体がどうあるべきかについて厳しく追求していくべきだ。

ミルトン: 学校は社会の鏡だが、それは大人によって運営されている。教育を憂える財団の代表として、学校を形作るのに、生徒により権限を与え意思決定を任せたいと思う。現在、建築家が子どものデザインを取り入れたり、子どもが遊び場を自分で設計することがある。子どもの関与は、将来のプレイショップのデザインにとって重要な要素であるべきだ。「何を学びたいか」と「好きなことは何か」が問題である。

エディス: 子どもは私たちのクライアントであり、彼らが完全な拒絶者になったときは心配すべきだ。


5. 振り返りとプレイフルな新世紀への洞察

 上田氏は、ゲストコメンテーターたちにプレイショップの感想を尋ねた。

ミルトン: 子どもの反応に興味を持った。子どもはとても素早く溶け込み、大人を活動に引き込んだ。グループの構成の仕方についても多くを学んだ。今回、子どもが親以外の大人と関わるのを初めて見た。他の大人との交流は、幼稚園で見られることもあるが、それ以降の学年ではあまりない。自分は娘を学校に送っていくが、学校との関わりはそこまでだ。教師が唯一の大人でなくするために、大人を教室に引き込むことが必要だ。「学校からキャリアヘ」モデルでは、大人が職業上の専門知識と経験を教室で教える。また、アメリカのカリキュラムでは、まだプレイフルが十分でなく、パフォーミングアートが取り入れられることも充分には行われていない。カリキュラムは、通常、算数と科学、読解、作文に狭く定義されている。クリエイティブな表現やダンスはないがしろにされることが多い。それは、こうした分野の関連性を人々が認識していないからであり、ぜひ高めるべきだ。たとえば、ジョージ・ルーカスの視覚効果は、技術と芸術双方に依存しており、数学と科学の知識も必要とする。たとえば、モーションキャプチャーを使うデジタルアーティストは、動きの物理学を理解し、芸術、技術、数学、科学の知識を駆使しなければならない。5年前には存在しなかったこうした新しい仕事のために、学校が子どもたちをどう教育していくのを見極めたい。

ジョギ: 初め、プレイショップではあまりに指示が多く、制約が多過ぎないかと心配であった。というのは、プレイがプログラムされた空間の場で起こっていると捉えたからだ。子どもは、ふつう、プログラムの合い間に遊ぶ。いわゆる「中間空間」である。しかし、プレイショップのプログラムは最小限であったのでこれは問題ではなかった。150人の参加者は多いと思った。子どもと大人はグループに一緒に参加し、他のグループとの間には境界があった。グループでの作業は、人々が無防備だったり、孤立していると感じることがないのでよかった。しかし、これは何らかの文化的な準備を必要とするかもしれない。ファシリテーターは、正確な方法で、参加者と遊びを結び付ける奇術師の役割を務めた。これが教師だったら、この役目はこれほど成功しなかったかもしれない。人々に敷居を越えさせる時間をもっと与えることが必要だと感じた。参加者の準備ができていたら敷居をまたがせることは可能だ。参加者は、敷居を越えて振り返ることができる。このため、体に何が起こるかによって決まる1日ごとに異なるアクティビティで、3日間のワークショップを行うのがいいと思う。鈴木氏が前に述べたように、子どもの一人一人が独特の性格を持ち、彼らが実際にどんな要素に反応しているのか見極める必要がある。1日目はこうした要素を見つけ、子どもがそれに波長を合わせるために使うことができる。選択の幅を設けるべきだ。たとえば、男性の声を好まない子どもがいるかもしれない。参加者の体が反応していく方式を探ることができるように、選択肢が与えられるべきだ。プレイショップのデザイナーは、奇術師であり、奇術師はデザイナーだ。自分は、「プレイフル」という言葉が好きだが、「プレイショップ」という言葉はインドでは適さないだろう。というのは、これが市場原則を示唆してしまうからだ。これは、意思を商品におとしめていると批判されるだろう。インドでは、「プレイスペース<遊びの空間>」と呼ぶ方がいいだろう。つまり、自身の内なる規則で支配される自律的な空間のことである。評価については構成的評価を望む。

ルース: プレイショップは情緒的あるいは感情的な体験だ。自分の興味は、どうやって心の目を覚まし、いかに喜びに満ちた経験を創り出すかということだ。手作業はなぜか心を開放させるようだ。この経験は、儀式化された慣行という点で村芝居と似ていると思った。靴を脱ぐことは、通過儀礼だった。これは、何か起きることを人々に知らせる敷居越えだった。これで親密さが生まれたが、同時に人々を当惑させた。衣装作りも村芝居と似ていた。小グループに分けたことで、ファシリテーターあるいは指導者が各部族の中心的な立場に置かれた。これで構造が素早く分権化された。不安から喜びへの変貌は自分にとってもっとも重要だった。「何してるの?」ゲームは、特に男性の心を開くうえで効果的だった。これは、より感覚的・情緒的な現実を創り出した。かつて、これほどの規模、範囲、男女による参加を得たイベントを経験したことがなかった。プレイショップはしっかりと記録されたので、ベネッセはおそらく十分なデータを持っているだろう。またカメラが参加者を動揺させなかったことには驚いた。メディアと人々は、渾然一体としていた。参加者は、自意識過剰になっていなかったようだし、メディアも参加者の邪魔にはならなかった。アメリカでは、ビデオ録画される人すべてから文書や口頭での許可を得なければならず、こういう状況は生まれなかっただろう。日本ではメディアと自己が一体化しているようで衝撃を受けた。人々は気にしないし、メディアは流れを妨げない。また、パフォーマンス自体に目を向けてはどうか。これは、パフォーマンス、村劇場のパフォーマンスである。ある日開花した花で、複製を作ることはできない。私にとって、プレイショップ自体も通過儀礼のように思えた。通過儀礼は、降下(ガイドされた瞬間)、犠牲(自律)、回帰(通常の意識)の3段階に分かれる。私は、プレイショップでこの動きを目撃した。これは、意識からの脱出であり、大規模な仮想体験と、あらゆる文化・性の固定観念が消え去る人間共通の体験であった。

エディス: 「なぜ、プレイフルが大切か、プレイショップが必要か?」という質問には、まず、遊びと学びという概念を検証すべきだ。自分は遊びと学びとのつながりに興味を持っている。学びにおける遊びの重要性は、遊びが移行の空間、考えて作り上げられた空間、幻想と現実との間の空間、自己と世界との間の空間を提供することにある。これは、人々に境界線を広げさせることのできる空間でもある。これこそ学びの何たるかであり、これを実行するために、人々は劇場のような安全な場所を必要とする。こうした場所は、空想の領域であり、通過儀礼を示す安全な遊び場であり、その領域は現実の世界とは異なる。仮想空間において、人は脆弱であることが許されるが、そこが安全な空間だと教えてくれるものは何もない。自分は実体験よりもデザインの観点で学びを考えるのが好きだ。子どもたちは、自らの認知道具のデザイナーである。彼らは、独自の道具や小道具を作る。また自分たちの世界のデザイナーでもある。自分たちの周りの世界を演じていくのだ。「もしも、こうだったら?」という概念はデザインと劇場の中心にある。またこれは、論理的探究の種でもある。科学者が仮説的あるいは演繹的論法を使うときでさえ、実際のところ、「もし、こうだったら?」というゲームを行なっているのだ。「あること」と「ありうること」という概念は、常に科学で機能している。空想の材料は何だろう。大きい視点からみたり、小さな視点からみたり、役を演じたり、違う角度から世界を見ることが想像において許されている。これらは詩的表現の材料になるが、複雑な現象においては十分に理解されているとはいえない。しかし、空想が科学的な探究においていかに役立つかを我々が認識できるように、空想の役割は探究の対象になりえる。佐伯胖教授(東京大学)は、「文化人類学的認識論に向けて」という論文を書いた。複雑な現象を理解しようとするとき、私たちは、佐伯教授が「小人」と呼ぶものを使う。これを私たち自身の化身あるいは人工補綴として世界に投影するのだ。この概念が日本から生まれたのは偶然ではないと思う。佐伯教授は、擬人化の概念を発達初期段階だけのモデルとしてではなく、より真剣に受け止めたのである。

 これで朝食後のミーティングが終わり、参加者は昼食のために解散した。


 本ミーティングで2日間にわたるポストプレイショップ会議は全て終了したが、これは決して終わりではない。新たな「ダンシング・ダイアローグ」の始まりでもあるのだ。

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