まず、パネリストの皆様、内田先生、松本先生、今井先生のお話を興味深くうかがいました。時間の関係で、すべてのお話にコメントを差し上げることはできませんが、ひとつのパターンを見出すことができました。すなわち、早期の乳幼児保育については、科学的な立場から、また専門家の立場から見ても、日本社会では懸念が示されております。最初の発表では、母性の剥奪や施設に収容された子どもたちについてのお話がありました。保育をこの2つの条件のもとに直観的に位置づけてしまう傾向があるようです。時とともに、人々の保育の概念が変わっていくことを願っています。今日お招きを受けてお話させていただきましたように、保育を受けている子どもたちには家族がいるわけです。親を毎日、見ています。一日の中で、起床、就寝、入浴、一緒の食事など、大切な時間をともに過ごしているわけです。週末には、平日以上に親子でさらに多くの時間を過ごすことができます。とは申しましても、家族が保育を受けている子どもに対する子育ての責任を放棄してしまえば、母性の剥奪が起こりうるわけです。平日は子どもが長時間保育を受けているから、子育ては誰か別の人間の責任と母親が考えるようでは困ります。子どもが家にいるとき、子どものためにそれほどしてやることはないと母親が考えれば、一緒にいるときに愛や注意を十分、子どもに振り向けることができません。仕事が終わって母親は疲れているかもしれません。くたくたになっていても、食事の支度、食器洗い、家の掃除、また、自分の母親の話し相手をしなければならないこともあります。ですから、子どもは保育に任せてあるから気にしなくてもよい、と自分で納得してしまう。それで、子どもをテレビの前に座らせておいたり、じゃまをしないようにと言う、あるいは早く子どもを寝かしつけてしまおうと思ったりするわけです。母親のこうした考え方や行動が、実は母性の剥奪という結果をもたらすのです。しかし、母親が仕事を終え、子どもと一緒に作業をしたらどうでしょう。たとえば、炊事をしているとき、あるいはお皿洗いをしているときに、幼い子どもが隣にいるようにするのです。その日の仕事でこんなことがあった、また、次の日はこんな夕飯にしようかしら、と子どもに話しかけるのです。子どもがきちんと言葉で答えられるかは別として、一日の様子はどうだった、と子どもに聞いてみるのです。母と子が一緒に笑いあえる、といったことができれば、これは母性の剥奪の反対、つまりエンリッチメントが生まれます。申し上げているのは、保育を受けている子どもたちに対し、必ずしも、母親が注意を払っていない、心を読み取っていない、愛情を注いでいない、ということではないのです。母と子が一緒にいるときに、豊かな環境を作り上げるのは、母親次第なわけです。
続いてお話をされました松本先生も、幼な子を抱えた母親が就業することについて、大変ご心配をされていらっしゃいました。生まれてから最初の何年かは、その後と同様、母子の絆が重要だというご意見には同感です。最初の何年か、そしてその後の母子間の相互作用は大切です。内田先生からお話がありましたように、幼ない子どもと大人の1対1の相互作用は、子どもの発達にとって重要です。母親が1年、2年、3年、またそれ以上に家にいることができ、そうしたいのであれば、もちろんかまわないわけです。家にいることができ、家にいたい母親はそうすべきだと思います。一方、働きに出なくてはならない、またそうしたいという母親もいるわけです。そうした母親も、子どもと緊密な関係を築くことはできると思います。働く母親は、子どもと緊密な関係を作り上げるよう努力すべきです。子育てを成功させるひとつの秘けつは、親が子どもの健全な発達を促す重要性を認識することです。もうひとつの育児を成功させるカギは、私が今申し上げたような意識のもとに行動することです。国のレベルで、親のための教育が必要なのかもしれません。子どもの発達に家族が大切な役割を果たすのだということを、高校生、あるいはもっと早い段階から、子どもたちに教えていくべきでしょう。そうすれば、この子どもたちが大きくなって自分たちに子どもができたとき、母親が仕事をしている、いないに関わらず、分別にかなった、責任のある育児を行い、これに適応した形で、健全な子どもが育つのではないでしょうか。
今井先生のお話も非常に興味深いものがありました。母親、またプロの保育士の心からみたお話でした。保育士がどのように最もすぐれた仕事をすることができるのか、また、保育している子どもと家族の双方をどのように支援していくことができるのか、という意味で、多くの学ぶべきことがありました。それと同時に、こうした活動を行っていない保育士もまた大勢いるということを心にとめる必要があります。この現実には、多くの理由があります。ひとつの理由としては、米国では保育士が十分な給料を得ておりません。労働条件が整備されていないのです。ですから、仕事が好きでもやめてしまう、ということになります。保育士では経済的にやっていけないのです。これが、保育現場の人間の高い離職率につながり、子どもたちの保育は結果的に安定性を欠くという事態になります。不安定さは子どもにも大人にもよくありません。今井先生のおっしゃっていた理想像はとてもすばらしいものですが、そのためには、保育士になりたい人たちがきちんと仕事をできるよう、社会が何らかの手を打たなくてはなりません。お昼休みに、いくつか話題に出たのですが、米国では、子どもたちは社会にとって大切だ、という世論と、実際、子どもたちのためにやっていることが、精神分裂症のようにばらばらです。子どもたちは次世代を担う、将来の労働力だ、子どもたちを育んでいかねばならない、愛情を注いでいくべきだ、と人々は言います。それなのに、保育への投資となると、社会は十分な投資をしない。資源を振り向けないのです。時とともにこれが変化していき、保育士をめざす人たちがこうしたすばらしい仕事をすることができるようになっていくことを願っております。 |