イギリス 多様な教育と子どもたち 図書館へ ホームへ ●HOME●
●図書館へ戻る●
●イギリス 多様な教育と子どもたちへ戻る●
LINE

多文化教育−理論編−

英国社会図

歴史的に「多文化」を持つ社会は、戦争や政治的協定そして経済的必要性等の結果創り上げられてきた(Holmes, 1980)。ローマ人が現在の英国へと移り住んだ時代から多くの民族を受入れてきた英国も例外ではない。ロンドンを訪ねたことのある人は、街を行き交う人々の「多様さ」に驚かれたことだろう。

1950年代以降、政治的難民や労働力として必要とされた旧植民地からの移民が増え、現在英国の人口5500万人の内、約5%が「民族的少数者(エスニック・マイノリティー)」といわれる人々となっている(注1)。一口に人口の5%といっても、ロンドンでは民族的少数者が人口の20%を占めているのに対し、ほとんどの田舎の地域でのその割合は1%に満たず、人々が受け取るイメージや子どもの経験は場所により様々である(Commission on the Future of Multi-Ethnic Britain,2000)。

しかし、このような環境の中で、子どもたちは小さいころからお互いの「違い」や「共通点」について理解する機会を多く与えられているといえる。学校だけでなくメディアや地域に住む人々から受け取るメッセージからも、多様性や自分と他国や世界との繋がりをいやおうなしに考えさせられる機会が多くある。

一方で人種や民族差別による対立は子どもの間にも大人の間にも起こっている。例えば2001年6月に行われた選挙において、「ブラック(注2)」に対して強硬な姿勢を取る極右政党が小さな2つの選挙区で合せて一万票以上獲得している。子どもたちは、大人やメディアから敏感にメッセージを受け取り、それが学校内での対立やいじめ、自尊心の喪失にも繋がっている (Richardson, R.& Wood, A.1999)。

多文化教育の目的と発展

多文化教育(Multicultural Education)は1960年代から70年代にかけて発展していった教育思想と実践である。この教育の主な目的は、国内における「多数派/少数者」間にある社会的不平等の解決と、文化の多様性(Diversity)を理解する機会を教師、生徒、地域に提供していくことである。

多文化教育は、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど、各国での議論がお互いに影響し合いながら発展をしてきたが、その国の政策や法律、民族少数者の持つ権利などによって微妙に異なる。今回は主に英国の場合のみを見ていく。

リンチ(1986)は、1980年代後半までにおける英国の多文化教育の発展を以下の5段階の時期に分けて述べている。

1. 無干渉の時期(1940年代後半〜60年代始め)
多文化の側面を見ないようにしていた時期。移民の数が増えていくにも関わらず、学校や社会システムの変化は試みられなかった。これまでの移民と同じく、英国社会に吸収・同化されていくだろうという考えが強かった。

2. 移民と第二外国語としての英語指導の時期(1960年代後半〜70年代)
教育的に初めて、移民の子どもと彼らを取り巻く教育環境についての議論が始まった。学校では第2外国語としての英語習得のプログラム作りに力が入れられた。

3. 欠損の時期(1970年代)
民族少数者の持つ社会的問題、学校での課題に議論の焦点が当てられるが、カリキュラムや社会構造における問題までは議論が及ばなかった。

4. 多文化の時期(1970年代後半〜80年代前半)
多文化教育の始まり。評価や教育方策、システムの改革などを含めたカリキュラムのデザインの全体的な課題が多文化の社会における教育の発展の中心とみなされた。

5. 反人種主義の時期(1980年代〜)
学校やカリキュラムの中において、人種差別、偏見を減らしていくことの重要性が認識された。「多文化教育」へ批判が強くなる。

多文化教育への批判については後に詳しく述べるが、1990年代以降は多文化教育の目的や定義は少しずつ変化していった。現在ではその主な目的が「他人のことを学ぶ」ではなく、「全ての生徒が不安定な民族的に対立している国家や世界における問題を解決していける知識や寛容性を持った担い手(Active Citizens)となる」、「ステレオタイプな概念からの脱却」、「それぞれの個々人が他の文化の視点を通して自分をみることによってより深い自己理解を図る」等という広い意味を含む考えとなってきている。(Banks, 1999:2)

多文化教育は、特に学校におけるカリキュラムの多様化、教員の文化に対する理解の向上、英語や母語の教育の機会などを保証してきた点で大きな貢献をしてきた。白人のみについての歴史やキリスト教だけを扱う宗教の授業ではなく、生徒の持つ文化に関する知識や教材、教育機会を取り入れていくことの重要性は現在広く認識されている。

多文化教育に対する批判

しかし一方で、多文化教育に対する批判もある。まず多様な教育内容がカリキュラム全体に浸透していないということが挙げられる。例えば、民族少数者の文化に関する授業を1時間やったので多文化教育は終り、と細切れかつノルマの形として成り立っている学校が多いことがある。そして又、民族少数者に関する科目が選択制になっている学校では、全員の生徒が多様性を尊重する機会に触れることができない場合もある。この様な点で、学校カリキュラム全体に多文化を尊重する取組みが組み込まれること、より学校全体の風土(Ethos)となるような実践や議論が求められている(Richardson,1999)。

又、多文化教育の議論がカリキュラム改定に力を入れすぎたために生活における制度的差別などについて力点を置かなかったこと、広い社会や文化的力関係から生じる問題に対して関心を示さなかったことも指摘されている(Chivers,T.S.1987, May, S. 1999)。 例えば、それは以下のような状態といえるだろう。

学校: 「ここでは私達はみんな平等ですよ。」
アジア系(注3)の生徒: 「私達が住居や雇用や教育において、第2級市民だということはもう十分に分かっています。」
学校: 「あらあら。それは悪い自己イメージです。アジア人が登場する内容の本を注文しなければ。」
アジア系の生徒: 「移民法やナショナル・フロント(極右政党)についての話し合いはできないんですか?」
学校: 「いやいや、それは政治だからね。そのかわりアジアと西インド文化の夕べのイベントをしましょう。」
(Cole 1986, quoted in Davies 1990)(Translated by H. Yamashita)

差別や制度的な不平等について焦点が置かれにくかった多文化教育に対峙するもの、あるいはそれを支えるものとして「反人種差別の教育(Anti-racist Education)」が1980年代に登場した。反人種差別の教育は、現代の「人種関係」の広いフレームワークの中で学校教育というものを捉えているといわれている。

しかし又同時に反人種差別の教育も人種を越える平等のあり方を追求するのではなく、白人―黒人など人種的な違いや問題を強調する懸念も挙げられている。そこで1人ひとりの持つ文化の多様性を見つめる多文化教育の必要性も再認識され、お互いに2つの教育思想は支え合う形となっている(May,S.1999)。

以上、今回は多文化教育の目的や理論について述べてきた。賛成、批判を含め、多文化教育の理論が交錯し変化していくなかで、学校や実践者はどのようなメッセージを受け止め、どのように子どもたちと向き合っているのだろう。この点は次回注目していきたい。



(注1)
英国内の民族少数者の約半分は南アジア、約3分の1がアフリカ・カリビアン出身、又は子孫である。

(注2)
ブラック−社会的にマイノリティーとして差別を受けているとされる人々を指す。肌の色のみを指しているのではなく、政治的な意味に使われている。筆者(アジア系)もここでは「ブラック」である。

(注3)
ここでは会話の文脈から「アジア系の生徒」として訳したが本文では「Black student」となっている。



より深く知りたい方へ
Runnymede Trust <英> http://www.runnymedetrust.org.uk
Runnymede Trustは人権問題に積極的に取り組む団体。近日政府に提出されたレポート「The Future of the Multi-Ethnic Britain (多民族国家・英国の将来)」は多くの社会的な改善点を提示し、政策にも影響を与えようとしている。

ブリンク・Black Information Link<英> http://www.blink.org.uk
民族少数者に関するニュースや情報の英国サイト。教育や雇用など様々な項目があり、学会報告や政策提言など情報が豊富。


参考文献
Banks, J. A. (1999) An Introduction to Multicultural Education: Second Edition. MA: Viacom Company. ISBN: 0 205 27750 0

Chivers, T.S. (1987) Race and Culture in Education: Issues arising from the Swann Committee Report. Birkshire: NFER-NELSON. ISBN 0 7005 1152 0

Commission on the Future of Multi-Ethnic Britain (2000) The Future of Multi-Ethnic Britain: The Parekh Report. London: Profile Books Ltd. ISBN: 1 86197 227 X

Davies, L. (1990) Equity and Efficiency? : School Management in an International Context. East Sussex: The Falmer Press. ISBN: 1 85000 659 8

Holmes, B. (ed.)(1980) Diversity and Unity in Education: A Comparative Analysis. London: George Allen & Unwin.

Lynch, J. (1986) Multicultural Education: Principles and practice. London: Routledge & Kegan Paul plc. ISBN: 0 7102 0768 9

May, S. (ed.) (1999) Critical Multiculturalism: Rethinking Multicultural and Antiracist Education. London: Farmer Press. ISBN: 0 7507 0767 4

Richardson, R. (1999) Unequivocal Acceptance - lessons from the Stephen Lawrence Inquiry for education. in Multicultural Teaching Volume 17, Number 2, Spring 1999. Stoke-on-Trent: Trentham Books.

Richardson, R. and Wood, A. (1999) Inclusive Schools, Inclusive Society: race and identity on the agenda. Stoke-on-Trent: Trentham Books. ISBN: 1 85856 203 1



LINE
Copyright (c) 1996-, Child Research Net, All rights reserved.