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多文化教育−学校での実践編−

ロンドン市内の小中学校を訪れると、多様な言語で書かれた学校案内図と共に様々な文化のお祭りについて子どもたちが学習した形跡が掲示板に見られる。
一見成功している実践のように見えるが、これだけが多文化教育実践の形であると言えるだろうか。

前回は、多文化教育の目指すところ、考え方について見てきた。今回は、そこから学校における実践例や課題について考えていくことにしたい。1.学校での実践の様子や事例、2.実践の難しさ、3.子どもたちの声、4.今後の展望、の順で述べていくことにする。

1. 学校での実践の様子や事例

「多文化社会」は英国内で長い歴史を持つが、それを反映する多文化教育が学校内で実践されてきたのは近年のことである。多くの学校で取り組まれている実践としては、学校の図書室に置く本を様々な民族やその民族の物語が出てくる本にする、彼らのお祭りについて学び、そのお祝いをする等が挙げられる。

文化というものの規定は数多くあるが、それは氷山に例えられることがよくある(Fennes and Hapgood, 1997) 。図1のように、文化には意識され目に見えやすい部分と無意識で目に見えにくい部分があり、学校での実践はいわば氷山の上部を扱ったものが多い。しかし、文化の違いでおきる衝突や差別というのは、氷山の下の部分が根になっていることがほとんどであり、どれだけ下の部分についての話し合いや実践がなされているかが重要になってくる。イギリスにおいてもこの下の部分の理解を含めた実践はまだ発展途中であると言え、ある校長先生は多文化教育の典型的な実践として「3S」つまり、「サリー(服)、サモサ(食べ物)、スチールバンド(カリブ海沿岸で演奏される音楽)」(Houlton, 1986)を挙げるほどである。

文化の氷山の概念

Fennes, H. and Hapgood, K. (1997) Intercultural Learning in the classroom:
Crossing Borders. 参照


図1 文化の氷山の概念

そのような一見表面的な実践に終わってしまう内容とは別に、英国の多文化教育の実践で特徴的なものとして「宗教の時間」が挙げられる。学校制度が始まって以来、キリスト教について学ぶために設定された時間であり、現在でも国定カリキュラムに含まれている時間である。現在では、キリスト教関係の学校であっても、イスラム教、ヒンズー教など、他の宗教や価値観、考え方について触れていく学校がほとんどである。多民族の生徒を持っている学校ではなおさらで、罪の定義、男女や年齢などにおける社会的な位置関係など、価値観についての話し合いや議論がそれぞれの宗教を持つ子どもたちによって行われる。

ホルトンは1986年の著書で多様性や多文化教育の発展の仕方について以下の4つの段階を挙げている。

1. 全てを同じように扱う段階
「多数者文化も少数者文化も学校では区別をつけない」という考え方であるが、その学校がすでにある一定の文化的価値基準により運営されているという点で全ての生徒にとって「平等」であることはできない

2. 特別に必要性があるものとして扱う段階
少数者は、多数者の文化や言葉を理解する必要があるものとして捉え、英語学習の補助等に力を入れる

3. 妥協のモデルの段階
ブラック学やアジア学習などの時間を設定する。しかし、そのクラスを選択している人しか多文化社会について学ぶことができない

4. 多文化の側面を持ったカリキュラムの段階
全てのカリキュラムにおいて、多様な社会、民族についての配慮、日々の多文化教育の実践が目指される


4の段階では、英国における言葉や文化の多様性に関する様々な事実について教えたり、それが自分たち子どもや家族に与える影響、そして差別について教えていくことも含まれている。答えがはっきりしない事柄や課題を扱う際には、子どもたち自身が問いを発し、それについて深く考えていくためにディスカッション(議論)やロールプレイ(役割劇)など「参加型」の手法が用いられている。

教科や教材に多文化の側面を入れるだけではなく、民族少数者の自尊心を育てていくための「メントー(mentor)」という制度を取り入れている学校も多くある。「メントー」とは「信頼できる助言者、そばにいてくれる人」という意味で、同じ民族出身者で前向きに生活をしている人々を地域から学校へ招き、生徒と一対一、又はグループで生徒は学習や相談にのってもらったりする。今までは、地域からのボランティアという形が多かったが、最近では正規のスタッフとしてメントーを置く学校もあり、ロンドンでもその実践が始まっている。また、民族少数者サポート部という部に専門のスタッフが2名〜4名常勤で配置されている場合もあり、彼らが生徒の英語学習の手伝いや生活相談にのっている。

2. 実践の難しさ

多文化教育の実践の多くは、学校のカリキュラムを通して実践されている。しかし、その中でも大切だと認識が高まっているものとして、スクール・イーソス(学校風土)がある。いくら多文化理解の教育といって様々な民族に関する授業をしていても、学校内の少数者に対する先生の態度、個々に起こった問題に対する対処の仕方、学校にいる少数者出身の先生の数、教員と生徒の関係など多くの要因(隠れたカリキュラム)が、生徒が多様性を尊重する人間に育っていくかどうかに影響を与えると言われている(図2)。そのため、多文化教育は一つ一つ孤立した実践ではなく、日々の連続したものであり、それをより多文化や多様性を尊重したものにしていくための試みがなされることが期待されている。



Epstein, D. and Sealey, A. (1990) "Where it really matters.." developing
anti-racist education in predominantly white primary schools. 参照


図2

学校内のみでなく学校外のイーソスを創りあげていく実践として、ロンドンの都心部の小学校では親を学校へ招き、学校における多文化教育の実践とその哲学をみてもらうようにしているという。またお祭りや発表会のみではなく、何か些細な出来事が起きた際も、スタッフとの意識の連携を図ると共に、親とも協力して解決に向うための行動計画を立てるようにしている。「今からもっとやっていきたいことはより多くの親と共に多文化そして反差別の教育を実践していくことです。」と校長は語る。

3. 子どもたちの声
実際の社会問題などを扱った教材は生徒により深い考えを促したり、データを取り込んでいくことに興味を持たせることができると言われている(Richardson & Wood, 1999)。それだけではなく、自分の文化や身の回りのことについて扱う授業は子どもたちにやる気と多くの気づきを与えているだろう。

英国中心部の都市バーミンガムの子どもたちは、地域の教育センターによって行われた「私たちの過去を書く」という教育事業の中で英国に移民してきた人たちの歴史や英国社会への貢献について調べた。ステレオタイプや差別と戦いながらもそれぞれの文化を背景にして社会に貢献してきた人について学ぶことを通して自尊心を高め、他を思いやる心を育てることが目的だ。彼らは自分が選んだ「ヒーロー」や「ヒロイン」について図書館やインタビューなどを通して調べ、その人の歴史をまとめ、自分オリジナルの冊子を創った。「子どものころからこういうことを知っていることはとても大切なことだと思うんだ。」、「民族少数者がこんなにこの国で活躍していたって知らなかったわ!」と興奮した面持ちで子どもたちは答えていた。

又、多文化や多民族を取り上げた別のクラスに参加した子どもたちは、「私たちのほとんどが人として成長していくために役に立ったと思うわ。ここ数年で、私たちの態度が変わったもの−少なくとも私のはね。」、「この授業を受けたとき、これは本物だ!と思ったんだ。」 と語っている(Gillborn, 1995)。

4. これからの展望

多文化教育は、主に都会や多文化を持つ学校で行われていることが現在は多いが、郊外など白人が多数を占める学校での取り組みの必要性を訴える議論もますます高まっている。社会からのメッセージが様々なチャンネルを通して来るとすれば、白人の多い地域でも多文化を尊重していく心や態度を育てる教育を実践していかなければならない。調査によると多文化が入り交じって存在する地区に住んでいる人よりも、郊外で接触が少ない人ほど逆に偏見をもちやすいとも言われている(Epstein&Sealey, 1990)。

実践では、子どもたちの周りにあるものから始めていくことが大切で、多文化が共存していない地域での実践ではメディアや本などが使われている。テレビ番組や本の中から、登場人物や話の内容が偏見に満ちたもの、又は偏見を助長するものでないかを探し見つけていく。ある小学校では、それらを見つけた後、子どもたちが自分たちの気がついたステレオタイプ(偏見)とそれを本の中で変更する提案について出版社に手紙を書いたりもした。

また人種や民族の違いについて考えることがまだ難しい場合には、ジェンダー(性差)の観点から、ステレオタイプや子どもたちの身の回りで起こる不公平な経験はないかを考えていく活動も、将来の多様性を見る目の育成に大きく役立っていくと考えられている(Epstein and Sealey, 1990)。

The real voyage of discovery is not in seeing new lands but in seeing with new eyes. − Marcel Proust
本当の意味での発見の旅は新しい土地を見ることではなく、新しい目(視点)でものを見ることである。−マーセル・プロウスト

子どもたちにより多く「発見の旅」の機会を提供していきたい。



参考文献
Epstein, D. and Sealey, A. (1990) "Where it really matters.." developing anti-racist education in predominantly white primary schools. Birmingham: Development Education Centre. ISBN: 0 948838 11 6

Fennes, H. and Hapgood, K. (1997) Intercultural Learning in the classroom: Crossing Borders. London: Cassell. ISBN: 0 304 32685 2

Houlton, D. (1986) Cultural Diversity in the Primary School. London: B.T. Batsford Ltd. ISBN: 0 7132 4865 2

Gillborn, D. (1995) Racism and antiracism in real schools: theory, policy, practice. Buckingham: Open University Press. ISBN: 0 335 19092 8

Richardson, R. and Wood, A. (1999) Inclusive schools, inclusive society: race and identity on the agenda. Stoke on Trent: Trentham Books. ISBN: 1 85856 203 1



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