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小林登文庫


「子ども学」によって21世紀こそ子どもの世紀にしよう―パラダイムの転換を求めて―

掲載:2000/4/21

「3.パラダイムの転換を求めて」へ
2.20世紀末の兆候

 宗教的に"century"や"millennium"は、その終わりとか始め、特にいろいろな出来事がおこれば特別な意味を持つことになる。特に今年は、20世紀の最後の年であり、新しい"millennium"の始まりで、その思いは強い。わが国で最近起こっている社会・経済・政治・宗教などの混乱は、「世紀末」という言葉に結び付けて論じられているのは、それによろう。

 この「世紀末」という言葉は、そもそも前世紀末期、1886年パリで上演された風俗喜劇のタイトル、"fin de siecle"の「世紀末」である。19世紀末のヨーロッパの思想・哲学にみられた特徴を広くまとめて、デカタンスやスノビズム(退廃趣味や俗物主義)を世紀の終末の兆候や意識の代表としてみたのである。19世紀を通じて流れていた文化の中に潜在していたものが表面化したものと言えよう。

 現在の我々の周囲に起こっている子ども達の問題も、20世紀の世紀末の兆候のひとつとしてみるべきかも知れない。勿論、社会のいろいろな混乱状態とも関係しよう。そこには、10前には想像もできなかったような現実があるのはご存知のとおりである。

 20世紀最後の年にあたり今世紀を省みると、想の深いものがある。その前半で2つの世界大戦を経験し、その後半では科学・技術の進歩のおかげで、少なくとも先進国は豊かな社会を作り上げた。しかし、発展途上国では、局地戦ではあるが、石油資源、さらに宗教や領土の問題による戦争が続き、貧困と飢餓に苦しんでいる。

 今、世紀全般の2つの大戦で、戦争の形式が科学、技術により非戦闘員、特に女性と子どもを巻き込むようになったことも忘れてはならない。

 わが国についていえば、第二次世界大戦の荒廃の状態から考えると、現在の生活の豊かさは想像をはるかに越える。有り余る物資や食糧、発達した交通・運輸、そして自動車・新幹線・飛行機と国内ばかりでなく外国まで広がり、宇宙旅行の話さえも出ている。また、テレビは勿論のこと、携帯電話や、インターネットの普及からみると、最近の情報化も目を見張るものがある。そして情報機器のデジタル化は、さらに大きな変化をもたらすことに間違いない。エネルギーも、石油ばかりでなく、原子力を利用し、生活に必要な夏の冷房、冬の暖房までの電力をまかなっている。医療でも、難病を含めて、いろいろな病気をコントロールすることが可能になり、子どもも少死化し、長寿社会が進んでいる。

 しかし、身の回りには、産業廃棄物ばかりでなく、生活廃棄物の山、廃車をつぶしたみにくい金属板が山積みになり、原子力燃料から出た放射性廃棄物は捨てるところがなく、最近になっては、臨界事故まで起こしている状態である。

 先の"millennium"に確立された人権についても、わが国の人権問題はまだ少ないが、現在世界あちこちの民族紛争では、第二次世界大戦のナチス以上の大量殺人が行われている。戦争はますます女性や子どもたちのような非戦闘員を巻き込んで難民を作り出している。戦争と関係ない豊かなところでも親による子どもの虐待、そして殺人まで多発しているのである。宗教によってでさえも、同じことが起こっているのは、ご存知のとおりである。

 このような出来事を見ると、21世紀に向かって社会のあり方、生活のあり方を、何か大きく転換しなければならないということを我々に教えている。

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