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小林登文庫


「子ども学」によって21世紀こそ子どもの世紀にしよう―パラダイムの転換を求めて―

掲載:2000/4/21

「4.「子ども学」―子どもにも関する学問にも
パラダイムの転換が必要」へ
3.パラダイムの転換を求めて

 20世紀の世紀末の兆候の根源はどこにあるか。その答えを出すのはきわめて困難である。清水らによれば、現在の社会の混乱の基本は、デカルトの考え方、すなわち西洋の伝統的カルテシアン哲学の破綻にあるという。デカルトの哲学は自分と他人を分けて客観的に考える自他分離がすべての出発点であるが、それが、行き詰まり、逆にいえば、包括的、統合的、また学際的に考える、さらには我々東洋人が持っている東洋的な考え方も、考え直して取り込まなければならないという発想である。

 インターネットで世界を結んでしまうというような現状から見ても、関係とか、共生とか、共創とか、さらには西田哲学のいう場とか場所とかいう考え方を取り込んで、我々の考え方を再編成しないといけない時代になっているというのである。

 ご存知のようにデカルト(1596-1650)はフランスの哲学者で,"discours de la methode"を1637年、亡くなる10数年前に発表した。要するに、学問において、真理を追求するための方法は、自他分離にあり、客観的に見る、科学的に見ることとは何かを論じた。"cogito ergo sum"と我々が昔習った考え方である。

 自分と他人を分けて客観的に見なければいけないという考え方は、要素還元主義、そして分析論を体系付けた。それは、まず無機化学を、ついで物理学を発展させ、つづいて有機化学、そして生命現象を追求する方法に大きく関係し、生物学でも分子生物学とか遺伝学へと、400年近くかけて現在の自然科学体系に広がった。現在我々が物を考えるときには、分子・原子まで、体を考えるときには細胞、さらには遺伝子まで考える時代に入っている。

 そういう分析論的な考え方、atomismー原子論的な考え方、あるいはreductionismー還元論的な考え方が、科学技術を発展させて、私たちの豊かな社会を築いた。たとえば、動物組織から抽出したインシュリンを使っていた我々は、人間のインシュリンの遺伝子を取り出して、培養細胞の中に組み込み,それを培養するという遺伝子工学による方法でインシュリンの大量生産を可能にし、多くの糖尿病患者に貢献していることは明らかである。

 しかしながら、冒頭に申し上げたように、現在我々の身の周りでは生活廃棄物や産業廃棄物の山、医療廃棄物の輸出問題、さらには我々の生活空間までもがいろいろな化学物質によって、汚染されている。グローバルに見れば、南米やアジアの森林の伐採から始まって環境破壊まで、生活の豊かさを求めるが故にいろいろな問題が起こっているのは周知のとおりである。

 従って、ここには自他分離では済まされない現実がある。今我々は、関係とか共生とか共創、さらに場とかいう考え方も取り入れてこれからの道を探りなおす必要がある。自然と共に生きる、他者・異文化の人々とも関係を持つ、などが求められているのである。それには、学問のパラダイムの転換が求められている。

 このような問題について、外国でも関心があり、ドイツの哲学者、心理学者、数学者、物理学者が参加した会議も何回か開かれ、ドイツでは「場」に準ずる考え方として、"syntopy"「場を共にする」という考え方の提唱さえもしている。それこそ要素還元主義の伝統的な国であるドイツでも、学問的にはそういう新しい方向を求める力が強くなっているのである。

 第二次世界大戦直後、ドイツはまず第一に子どもたちの教育だと考え、学校のあり方を変えたという。先生が教壇に立って生徒に教えるという従来のクラス形式から、先生も生徒も一緒に学ぶという方式に小学校から変えたという。やっとわが国でも最近になって、従来の私たちが習った先生と生徒という関係でやるような授業ではなく、「総合的な学習」も含めて、授業のあり方を変えている。そういうようなことを終戦直後にドイツは始めている事実は、ドイツのグループが"syntopy"という発想を持った事と関係しよう。

 しかしながら、生命現象については、一般的にもreductionismのみではすまされないと考えられてきた。しかし、分析論的な考え方を否定したら、今の豊かさをつくる科学・技術の基盤は失われるわけで、それを否定することなく取り込み、乗り越えて、統合論的というか、関係とか共生、場とか場所ということも考える理論に転換しなければならないのである。

 生命は、ビッグバンから始まって、元素、原子、分子が出来、物質そして地球が出来、その原始の海の中でたんぱく質、核酸が出来、そして原始的な単細胞ができたと考えられている。その原始的な単細胞が出来たときに、ミトコンドリアとの共生があって、多細胞動物に発展したともみられる。生命は、誕生という点からみても、共生が出発であったといえる。

 したがって、生命とか人間を考える場合には、いつも対立する考え方、つまりreductionismとholismー還元論と全体論、分析的に見ると統合的に見る、決定論的に見ると確率論的に見る、さらには、ダーウィニズムに対するラマルキズムという考え方、教示的な考え方と選択的な考え方もあるという様に、常に2つの対立する立場から、私たちは生命現象をみてきた。生物としてのヒトと文化を持っている人間、セックスでも、ジェンダーという考え方、あるいは心と体というように、生命あるものは常に2つの側面があるのである。

 生命体には階層構造があって、原子、分子から高分子になり、細胞内の小器官になり、細胞ができ、組織ができ、器官ができ、器官系ができ、個体ができる。さらに集団ができ、社会ができ、生態系ができ、地球というように生きている状態は広がっていく。この生命体の階層構造を上から下に向かえば分析論的、下から上に向かえば、統合論的になっていく。従って、生命体は常に2つの側面を持っている。その2つの側面をどのように統合して考えていくかということが今私たちに問われている。

 この2つの立場を統合するという考え方は、この20年ぐらい、科学哲学の中で大きな論争であった。それを整理したのがArther Kestler、ハンガリー生まれの左翼的な哲学者で、スペインの反フランコ闘争などにも参加したが、最後はイギリスで尊厳死協会に関係し、自らが安楽死の道を選んだという。

 彼はホロン(holon)という考えを提案している。"holos (whole)"はホロニズムー全体論の「全体」という意味で、"on (particle)"は「粒子」という意味である。ホロン(全体子)は分析論的側面と全体論的側面とをあわせ持つような状態で、それが生命ある状態であるというのである。生命は、全体と部分の2つの顔、双面の顔を持ったヤヌス的存在なのである。ヤヌスというのは2つの顔を持った神で、ヨーロッパに行くと良く見る像である。

 上述の階層構造は、organic hierarchy (有機的階層構造)で、自然に自己組織化されるものである。人間の場合は、受精卵から出発して、父母から受け継いだ新しい遺伝子の組み合わせの情報によって自己組織化され、生きているヒトなり人間ができるといえる。stableでself-controllingなorganic hierarchyを持ったシステムが、生命だといえる。


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