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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第1章「胎児はなんでも知っている-4」

羊水のなかでも「呼吸」し、歩いている

 おなかのなかの赤ちゃんについて、昔のせまい常識の範囲で考えているかぎり、とんでもない間違いをおこすものだということは、これまでの話で少しは理解してただけたことでしょう。たとえば、あの羊水のなかの胎児が私たちと同じように呼吸運動をし、歩いているといった話も、まったく常識からはずれているようにみえます。しかしじっさい、胎児はそうしていると考えられるのです。
 生まれてからの赤ちゃんや私たち大人の呼吸運動とは、気管・気管支・肺をとおして空気として酸素を血液の中にとり入れ、炭酸ガスを吐きだすことです。肋骨のあいだの筋肉が収縮したり伸びたり、横隔膜が上がったり下がったりして、呼吸をしているのです。肺を包んでいる胸郭がふくらむと、空気は鼻から気管・気管支をとおって肺をふくらませながら入るのです。横隔膜が上がって胸郭がしぼむと、呼気として空気を吐くのです。
 そして胎児は、ちょうどこの呼吸運動のように胸を動かして、羊水を肺のなかに入れたり出したりしています。この事実は比較的早く、今から50年も前に知られていました。呼吸は事実上できないはずなのに、呼吸と同じように胸郭が動くとはどういうことでしょうか。おそらく、羊水が気管をとおして肺まで入っては吐きだされていると考えられます。だから胎児のこの動きは、胸郭運動とよばれています。呼吸をしているようですが、私たちが行なっている空気をすったり吐いたりする呼吸とは少し違うので、呼吸様運動ともよばれています。
 赤ちゃんが、子宮から外へでた瞬間にまず行なうのは、オギャーと産声をあげることです。肺呼吸による第一声です。羊水の生活から大気の生活に瞬間的に移るときのもっとも重要な変化です。赤ちゃんはその瞬間にそなえて、羊水をのんで呼吸の練習をしているのです。その努力の積み重ねがあってはじめて、気管、気管支、肺、胸郭、横隔膜という呼吸の生体システムを働かす呼吸のプログラムに「オン」のスイッチが入れられるというべきでしょう。胎児はこのように、生まれるときのために、いろいろと練習しているのです。
 呼吸の予行演習は、生まれてすぐその成果が発揮されますが、なかには時間がたたないと報われないものもあります。そのひとつが歩行です。胎児は羊水のなかで歩く練習をしています。羊水のなかでは、じっさいには宇宙遊泳のようなもので、浮力があり重力は弱いのですが、早いケースだと受精後28週(約7カ月)あたりから、何かの刺激で歩行運動をはじめる胎児がいます。これは、ひとつの反射ですから、前述のようにステッピング反射とよびます。生まれてからは、歩行の原型と考えて原始歩行とよびます。
 32週(約8カ月)に入ると、どの胎児も未熟なりに歩行演習にとりかかります。そして37週から38週に入ると、ほとんどの赤ちゃんが歩行運動に近い動きをするようになります。出産が間近になると、そばで大きな音をたてればもちろんですが、特別な音でもないのに、おなかの赤ちゃんがよく動くと、お母さんはときにおなかを足で蹴とばされるような衝撃をよくうけるはずです。胎動を感じてしみじみ母親になった実感をもつわけです。そのとき、胎児は歩き方を練習しているのかもしれません。
 それくらいですから、生まれて間もない赤ちゃんにも歩く能力があります。もちろん、自分の体重を支える力はありませんから、誰かが支えてやらなければ歩けません。誕生1日目から2日目の赤ちゃんでも、両手で支えて立たせて、比較的固いベッドに足をあてると、反射的に歩く運動をします。前に書きましたように原始歩行、ステッピング反射とよぶ理由がここにあります。生後1〜2カ月は原始歩行の能力が残っています。しかし、それをすぎると、いくら手で支えて立たせても、足を動かそうとはしません。そして、ほんとうに自分の力で歩こうとしはじめるのは、1歳の誕生日を迎えたころからです。
 しかし胎児時代のせっかくの歩行演習が水の泡になるというわけではありません。誕生直後には「オン」になっていた歩行のプログラムが、一時的に停止されるだけの話です。それは、歩くという複雑な行動をするにしては、羊水のなかと外とでは、あまりにも環境が違いすぎるからです。
 羊水のなかはいわば無重力状態で、しかもきわめてせまい世界です。これにくらべて外界では重力を感じます。自分の右も左も上も下も、三次元の空間になれていない赤ちゃんにとっては広大すぎて、こわい世界でもあるのです。それに、足腰の筋肉や骨格や、連絡する神経も十分に発達していません。したがって、歩行のプログラムはオフになるのです。しかし、生後12カ月ごろになって自分の足で自分の体重を支えられるようになり、視覚も発達し、ようやくこの広大な三次元空間をみることができ、慣れてくるので、歩行プログラムのスイッチが再びオンにもどされるのです。この時はもう反射ではなく、大脳の指令でスイッチを入れているのです。胎児のころの練習がそのときこそぞんぶんに生かされるとみるべきです。誰も、左足のだし方あげ方、右足のだし方あげ方、両足あげたらしりもちつくぞなどと教えているわけではないのですから。

指しゃぶりも胎児からはじまっている

 おしゃぶりはいかにも生後の赤ちゃんらしいしぐさのひとつです。もう30年近くも前にスウェーデンのストックホルム病院の医師、レナルト・ニルソン博士が胎児鏡という望遠鏡のような機械で胎児が指を吸っていると思われる姿をスケッチしたものを発表しました。ちょっと腹壁を傷つけて、羊膜をやぶらないようにして胎児鏡を入れてのぞいて、スケッチしたのです。これを見て、世界の人びとはびっくりしました。
 親指をおしゃぶりしている姿はいかにも印象的ですが、赤ちゃんは胎児のときからおしゃぶりに親しんでいるのです。これももちろん反射と考えられます。おしゃぶりのしすぎで、親指にタコや、手の甲や腕にキスマークのようなものをつけて生まれてきた赤ちゃんもいると報告されています。
 これまでの観察によると、妊娠12週(約3カ月)ごろになると、口の近くまで手をもっていく動きがさかんにみられます。そして、4カ月半にもなると、たまたま口に入った指を本格的にしゃぶるようです。もっとも、指タコやキスマークをつくるくらいおしゃぶりに励む胎児は非常にめずらしいといってよいでしょう。私の周囲では聞いたことがありません。多くは、たまにおしゃぶりする程度のようです。
 とくにバンなどという音がした場合、胎児は驚いたあとに指を口に入れて、チューチューすうことがよくあります。それはあたかも自分で驚いた自分を慰めているというのでしょうか。誰も「大丈夫、大丈夫」といってくれる人がいないから、自分でそうしているのではないかと考えられるわけです。
 これは遊びのはじまりというのは言いすぎかもしれません。しかしすうことを楽しんでいるようにも思えるのです。人間はホモ・ルーデンス、遊ぶ動物といわれていますが、胎児もすでに遊びのプログラムを胎内試運転しているかもしれないのではないでしょうか。もちろん、楽しむという意識はまだまだないでしょうが。
 生まれた赤ちゃんが指しゃぶりするのは、生後3週間から6週間たったころからです。そのころからめだって活発になる手足の運動ですが、手が偶然にも顔にぶつかって口に触れたようなときがはじまりです。赤ちゃんは生後1カ月くらいは手をにぎったままですが、その時期に手が口に触れると、にぎったままの手をすうのです。そして手が開いてくると、親指とかほかの指をチューチューと気のすむまですいつづけます。
 生まれてからの指しゃぶりは、口でものを確かめる行為の第一のものと考えられています。赤ちゃんにとって、なにかを確かめるとしたら、敏感な口でやる以外方法がないといっていいでしょう。その感覚をとおして大脳に記憶される情報は、つぎの学習のためのステップと考えられます。脳性マヒの子どもたちにあえて親指のすい方を教える治療法がありますが、それも指しゃぶりが大脳の発達になんらかの役割をはたしていると考えられているからです。
 胎児のころからおしゃぶりをするというのは、みずからを学び育てるということを、あの羊水のなかで試しているのだと考えるのは考え過ぎでしょうか。
 指しゃぶりは、幼児になるにつれてなくなりますが、保育園・幼稚園に通うようになっても消えない場合は、逆に欲求不満のあらわれとみたほうがよさそうです。生活環境や、親の子に対する態度など、自分でことばをしゃべれないだけに、不満を指しゃぶりという行為で示していると考えられるのです。勿論、格別異常なことではありません。
 もっとも、指にタコができるくらい胎児時代に指しゃぶりして生まれた赤ちゃんは、欲求不満を解消するためにおしゃぶりをしすぎたのだと断定するにはデータ不足です。しかし、口で指の存在を確かめるというそのことが、未完成ながらもよく発達した大脳に刺激を与え、新しい情報をたくわえていることには変わりありません。心の芽生えを確かに示すものと言えましょう。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。



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掲載:2001/10/26