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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第3章「赤ちゃんのすばらしい能力―そのプログラムは体の成長、心の発達の原点−7」


「したい」「信じる」も心のプログラム

 では、もう一歩踏みこんで、赤ちゃんにも「これをしたい」「あれを信じる」といった心のプログラムはあるのでしょうか。じつはそれにも独特のプログラムが、人間には発達していると考えるべきであると思います。
 「したい」という意欲がおこるのは、脳のなかに報酬システム(リオーディング・システム)があるからだと考えられています。たとえば、ジョギングやマラソンに例をとってみましょう。やったことのない人は、あんな苦しいことをどうしてやるのだろうと思うに違いありません。しかし、毎日走っている人はほんとうは楽しくて仕方がないはずです。なぜなら、走っているうちに苦しくなることは苦しくなりますが、ある時点からエンドルフィンとよばれるモルヒネによく似た物質が脳のなかで分泌されるからです。そうすると苦しみが快感に変わるのだと説明されています。すなわち、快感が報酬(むくい)になっているのです。
 このことは動物実験でもたしかめられています。ネズミの頭に針を刺して、足でスイッチを押すと、弱い電流が脳に流れるような装置をつくります。刺す針の位置を少しずつ変えていくと、あるところで、ネズミがみずからスイッチを踏みつづける場所にあたります。その部分を刺激するとエンドルフィンのようなものが分泌されて、ネズミは快感に酔うわけです。そういうことをおこさせる脳の部位を報酬センターとよびます。意欲のプログラムはそれとつながっているプログラムなのです。
 では、なにかを「信じる」という心の動きはどうでしょうか。これについては第5章でくわしく触れたいと思いますが、とにかく人間というのは、赤ちゃんを含めて、なにかを信じないと生きていけない存在です。このプログラムがあるからこそ、これは正しいか、こうすればよいか、参照して決めることができるのです。
 たとえば、神様を信じるとか、あるいは逆に神様がいないことを信じる(無宗教)とか、もっと身近なところでは「あしたもまた太陽が昇る」といった信じ方もあるはずです。とにかく人間は何かを信じていないと生きていけませんし、そうでないと自分の行動が成り立たないのです。また、「1+1=2」であることを信じなければ、算数は成り立ちません。
 脳には、このような高尚な精神機能を司る神経細胞のネットワーク・システムがあるのです。なにを信じるかはべつとして、赤ちゃんの時代に、当然信ずべき対象(母親や父親、家族)を信じられないと信じこんでしまったら、話はやっかいになるはずです。ですから、優しく子育てをすることによって、このシステムのプログラムにスイッチを入れて、基本的信頼をつくり上げなければならないのです。
 第5章では、その問題にくわしく触れたいと思いますが、なぜやっかいになるかは、結局、信じるという心のプログラムが赤ちゃんにそなわっているにもかかわらず、それが阻害されることからくるのです。良い情報、感性豊かな情報でスイッチを入れることが出来なかったため、さまざまな心のひずみ(それは体のひずみにも影響してくることです)が生まれるからなのです。
 もって生まれたプログラムどおりに進ませないと、赤ちゃんは心も体もスクスクと育ってはくれないのです。子どもにとっては、「生きる喜び一杯になること」「joie de vivre」が必要なのです。

固いプログラムと柔らかいプログラムがある

 プログラムということを、もう少しお話ししておきましょう。プログラムという語感からイメージされるもののひとつに、なにか機械的で、きまっている軌道の上を走るだけのものというイメージがあると思うからです。しかし人間のもつプログラムには、そういう一面があると同時に、そうとばかりもいえない一面もあることをぜひ知ってもらいたいのです。多くの人間のプログラムは柔らかいものなのです。
 たとえば、心臓を動かすプログラムは、一度スイッチが入ると、死ぬまで動きつづけます。とまったときが死です。だから、この循環のプログラムはなかなか変えられません。ただ、変えられなくても、たとえば驚いたり、不安におちいったり、安らかな気持ちになったり――などという心の動きにつれて、心臓の拍動が変わっていくことはご存じのとおりです。しかしその拍動の変化も、プログラムがじつは自動的にコントロールしているからなのです。
 ただ、自分の意思で変化させることができないという意味で、これは固いプログラムといえるでしょう。このようなプログラムは、私はひとつかそれ以上の限られた遺伝子によってつくられていると考えられるのです。ある意味で生存にとって基本的なプログラムといえましょう。
 ところが呼吸はどうでしょうか。呼吸のシステムは、気管、気管支、肺胞、それらをとり囲む胸郭、呼吸筋、横隔膜などで成り立っています。そのシステムが互いに関係しあってプログラムどおりに動いているわけですが、心臓のプログラムほど「固い」ものではありません。その証拠に短時間ですが自分で息をとめることができます。極端にいえば、自分の意思で死ぬまで呼吸をとめておくこともできるかもしれません。現実にはそういうバカなことをする人はいないし、苦しくなってやめてしまうというだけです。ともかく呼吸のプログラムは、自分の意思で数十秒から数分はとめられるし、ゆっくり呼吸したり、早く呼吸したりできるように、少しは変えることができます。だから、呼吸のプログラムは循環のプログラムより少し柔らかいものなのです。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。


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掲載:2002/08/09