浜野氏はストレートにビデオゲームの内容と表現にこだわる。ビデオゲームは欲望主導型(=マスメディア)の、子どもを対象とした(=ディズニーランド)商品だと指摘する。そのためかビデオゲームのビジネスに参入している企業のほとんどが、顧客対象を低く見なしている印象を持つという。氏には、ビデオゲームの大成功によって、マルチメディア社会全体が多様な可能性を捨てて、特定の表現に向かっているという危惧がある。 |
映像作家 岩井俊雄
映像作家として活躍する岩井氏は、パソコンやビデオゲームの魅力が“インタラクティブ”という言葉に集約されている現状に疑問を投げかける。インタラクティブ”という言葉は“相互作用”と訳されて終わってしまい、コンピュータとのやり取りがもたらす結果まで表現し切れていないためだ。 |
精神科医 小西聖子
ビデオゲームに夢中になっている子どもに対して、漠然とした不安を抱く大人は多い。それに対して小西氏は、「ビデオゲームの影響など大したことはない」と言う。その理由の1つは、「大人は子どもの遊びの内容にではなく、熱中することそのものに対して不安を感じている」に過ぎないからだという。つまり、「熱中する子どもの統制されないエネルギー自体が大人の不安の源泉なの」であり、大人の不安の正体は大人自身が作り出しているものだと言うのである。さらに、「テレビがもたらした子どもの精神生活の変化に比べれば、ビデオゲームのもたらした変化は小さいものである」とも付け加える。 |
教育評論家 斉藤次郎
ビデオゲームに関して、評論家の斎藤氏が最も注目するのは、ビデオゲームに子どもが没入していることなどではなく、ビデオゲームが「値段に見合うだけの、おとなの観賞に耐え得る内容を獲得した」ことである。「これは子ども文化史上画期をなす事柄」であるという。しかし、氏はその出来事に功よりもむしろ罪を見ている。「ボーダーの消失は、制限された立場としての子どもの不利益を、多少は減らしたかもしれないが、同時に大人なみの不利益をも子どもたちにもたらしたはずである」と。 |
Copyright (c) 1996-, Child Research Net, All rights reserved