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慢性的なストレスと心身症
静岡大学保健管理センター助教授  石川憲彦

 石川憲彦氏はストレスや心身症の問題点を「共存」というキーワードによって明確にしていく。一般的には共存や共生というキャッチフレーズは、症状の改善という文脈で語られるものであるが、氏は「改善の見通しの定かならぬ」共存を念頭において話を進めていく。つまり、氏は「治療する・よくなる・治るといった言葉によって治るものと治らないものを対立に追い込む」のではなく、効果が無関係なところで、初めて共存が可能になると考えている。

 「治療する・よくなる・治るといった言葉で治るものと治らないものを対立に追い込む」ものとは、いわゆる医学があり、また精神医学・心理学がある。氏はそういった学問の限界を「個別の存在を抽出し、抽出したもの同士を関係させ」ていることにあるとして、あえて退ける。また一般的には「共存」という考え方の成果として語られる家族療法やホリスティク医学も、「広く浅い寄せ集め」に過ぎないとして、氏の言う「共存」からは区別される。そして、人間が生きていく「全体の文脈に巻き込まれる中で関係し合うことにおいて、関係を相対化しながら関係の到達点を共有することで、初めて心身医学が成立する」と、新しい方向性を示唆する。

 氏は具体的な事例として、アトピー性皮膚炎に苦しんでいた女子高生との関係について紹介している。その少女は自分自身のアトピーによる身体的コンプレックスから、障害児教育に目覚める。そして、自分に可能性の1つを教えてくれたものとして、アトピーは「治らなくてもいい」と考えるようになったという。「治ってよかったという体験だけではなく、治らなくても自分は自分だと誇れる自分とどう出会えるか、わたしは今の苦痛を避けないで経験する必要があったのだ」という少女の言葉に触れることで、氏は緊張した医者患者関係から、一緒に共存できる一人の人間の立場に引き戻されたという。


慢性疾患を抱えた子どもをサポートする
京都教育大学助教授  松浦賢長

 子どもの慢性疾患に関しては、子どもの Quality of Life(QOL:生活の質)を優先させようという考え方がさかんだ。「以前は、十分な安全をとろうとするあまり、子どもの生活面において『制限』や『規制』を優先するという考え方が幅を利かせていたような側面もみられた」が、「現在では、子どもの安全も考慮に入れつつ、最新の医学知見をもとに、できるだけ『制限』や『規制』をゆるやかにし、かつ、子どもたち自身が自分たちでケアしていかれるように、そして子どもが最大限の成長をとげられるように援助するということが基本に」なってきている。

 松浦賢氏は、そのような管理・サポートのモデルケースとなる、学校現場の糖尿病について取り上げることで、慢性疾患児の問題を検討していく。糖尿病の子どもはインスリン注射、食事療法、運動療法という、「健常な人の想像を超えるような自己管理」を一生続けていかなければならない。氏は糖尿病の子どもの学校生活への要望として、「特別扱いしないでほしい」「疾患を知られたくない」「注射を打つ場所や時間がほしい」「必要なときに気兼ねなく補食したい」などの代表的な意見を紹介する。

 本人たちの要望の中にも、「特別扱いしないでほしい」と「必要なときに気兼ねなく補食したい」という相反する主張があるように、まわりの人間が矛盾する要望に戸惑うケースもあるという。しかし、氏は、トラブルが発生しそうな場合には、慢性疾患の子どもを特別扱いするというやり方ではなく、本人たちの自己管理を尊重しながら、周囲の有機的なネットワークで支えることをめざしてほしいと考えている。そのためには、本人はもちろん、教師を始め周りの子どもたちも、関わるすべてのものが病気についての深い理解を示すことが大切だという。


動かない生活が子どもの体を変えている
女子栄養大学助教授  太田恵美子

 太田恵美子氏は、子どもの体に起きている日常のトラブルが「より多様化、深刻化」してきているという。「大人の夜型生活や便利さを優先する省エネ傾向の生活スタイルがそのまま乳幼児の生活に表れている結果」だとして、「乳幼児の生活における夜型化の進行、早朝からのテレビ・ビデオ視聴、身体活動の減少などは、子どもの目の輝きを奪い、生命力さえも脅かしかねない状況だと」危機感を募らせる。

 1990年に行われた「幼児健康度調査」(日本児童手当協会、日本小児保健協会)によれば、いずれの年齢でも午後8時台の就寝が減少し、10時以降が増加している。就寝が遅くなった分、起床時間も遅くなっただけではなく、昼寝の時間や食事の時間などの生活のりズムも乱れていることがわかるという。また、都内の保育園・幼稚園児約1000名に視力や立体視の機能を調査した結果に触れながら、「生活における身体活動の省力化傾向の進行に加え、幼少期からの外遊びも減少傾向にあり、視機能はますます発達しにくい状況にある」と指摘する。

 いったん現象として現れた子どもの身体機能のアンバランスは、取り返しがつかないものに思えるが、原因は日常生活の乱れの積み重ねにすぎない。日々のライフスタイルを変えていくというささやかな努力で、かなりの効果が期待できる。しかし、「ほんの少し生活を変えることで、体が順調に発達していくことがわかっていながら、それを実行できないところに現代社会のゆがみがある」という。氏は、子どもの発達を蝕む要素がますます増えているだけに、「つねに現状をとらえ、問題点を見つめ、必要な指摘を繰り返し続けることが」大切だとし、今私たちにできることは、「子どもの発達を少しでもプラスの方向に進めていく実践のチャレンジを持続していくことだ」と訴える。


健康教育によるセルフケア
日本総合愛育研究所地域保健担当部長代理  小山 修

 セルフケアが登場したのは、「1970年代後半の欧米からであると言われている。それはとくに、感染症から成人病や慢性疾患対策へと疾病構造が転換しつつあった先進工業国において」であり、「一般の人々や患者を単なる対象者として観るのではなく、人々が行っている日常的な自己管理行動を見直し、新しいシステムのなかに位置づけていこうというものであった」。自己管理行動とは、簡単に言えば、睡眠を十分にとること、入浴を定期的に行うこと、トイレでは手を洗うこと、かぜなどの軽い病気の判断や簡単な傷の手当は自分で行えることなど、専門家の援助なしに行う保健活動全般のことである。

 健康教育学が専門の小山修氏は、セルフケアという考え方は、基本的に自立している大人に対してのものや慢性疾患の子どものためのものであって、一般の健康な子どもに対して使われることは少ないことを指摘する。一般に子どもたちのセルフケアというのは、無意識に行われていることがほとんどで、実際にその行動を支えているのは親であったり、保育所・幼稚園・学校の指導者であったり、同年代の仲間であったりするという。つまり子どものセルフケアに関しては本人だけではなく、その周りも含めて考えていかなければならないということである。

 このセルフケアの能力を高めるものとして大切なのが健康教育である。健康教育とは「人々の自己管理や自己決定能力を高め、望ましい保健行動へと導く役割を担う」もので、「これまでの専門家中心の健康教育に対して、人々の主体性を重視した健康学習が重視されている」。「保健指導場面のような一対一の個別的な形態と、育児学級などのような集団的な方法があるが、いずれの方法にせよ、基本的には学びの援助(動機づけ)とそのための機会づくり(参加の促進)が重要である」という。


子どもの健康と東洋医学
武谷病院小児科部長  甲賀正聰

 近年になって、子どもの病気が変わったということは、多くの人が指摘するところである。それにともなって、医学の考え方も変わり始めている。甲賀氏はその流れを端的に「『集団の医学』から『個の医学』へ」と表現する。

 過去に多かった病気である感染症は「数としてはたくさんでも、薬や処置、患者さんへの説明など皆一律で個人差を考慮に入れなくてもよく、『集団の医学』」で対応できた。しかし、「現在増えている病気、アトピー性皮膚炎、心身症などは、同じ療法でも治るもの、治りにくいものありで、生育歴や家庭生活など個人的な多くの因子を十分に考慮しなくては治療はできない」。それだけに「個の医学」が重要だという。

 氏は「個の医学」の考え方の基本に、「東洋医学的発想」を置いている。「検査や医療機器のない時代に発達した東洋医学では『未病を治す』という発想」、「身体の微細な兆候を観察して、病気を未然に防ぐという考え」があるという。「極端な場合、西洋医学は『検査に異常がなければ病気でない』という判断もされかねない」が、東洋医学には「全人的視野で人間をとらえる」発想があるという。

 体の不調を訴える現代っ子の多くは、病気と言うよりも、気・血・水の巡りの悪い、「気虚」や「気鬱」の状態だという。そのような子どもたちには西洋医学的な治療よりも、「早寝早起き、十分な睡眠、屋外での適度な運動が必要である」という。氏は「病気の種類は時代によって変化するが、健康づくりには流行はない」とし、「健康の証しとも言える快食・快眠・快便はいつの時代にも共通のもの」としている。氏は、子どもにも親にも「当たり前のことが当たり前になされていない時代だから、『当たり前のことがまず大切』と教えている」という。

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