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シリーズ対談 TVメディアと子ども(4)
メディア・リテラシーの可能性
高橋康雄[江戸川大学教授]×小平さち子[NHK放送文化研究主任研究員]

 メディア・リテラシーの問題はいつの時代にも存在した。諸外国では20世紀初めの映画鑑賞能力を高めるための取り組みから始まり、今日では産業としてのテレビ作品をどう見るかという観点から、多様なリテラシー教育が行われている。両氏は欧米の例を紹介する。「オーストラリアの公共放送の学校用テキストでは、日本でいう国語のところに、『お話はどうやって作られるか』という小学校低学年のシリーズがあるんです。『ああ、これは国語のふつの番組かな』と思って見ていくと、後のほうになると漫画やテレビアニメ、あるいはテレビドラマがどのように作られているかということも、このような年齢の子どもたち向けの教育番組の中で、ちゃんと取り上げられているんです」(小平氏)。「ビクトリア州ではアート(芸術科)の中に『メディア・エデュケーション』というのが入っている。だから国語的な面は国語で、表現的な面ではアートでというふうに、いろんなところでやっているんじゃないでしょうか。言わばカリキュラムの中にちりばめられていて、それをメディア教育あるいはリテラシー教育と呼んでいるのかもしれません」(高桑氏)。

 翻って、日本におけるリテラシー教育について、両氏は二つの可能性を指摘する。一つは、それぞれの家庭が自分たちにとってのテレビやテレビゲームの意味を考え、どんな見方をするのかというポリシーをもつべきであるということ。もう一つは、子ども自身が「表現者」になることで培われるリテラシーである。カメラ、ビデオ、校内放送といった子どもに身近なメディアが教育現場でもっと活用されれば、メディア・リテラシーを育む可能性が非常に大きくなると両氏は言う。「メディア・リテラシーというと、どうしても受ける側の問題として注目されがちだけれども、書くとか話すことのリテラシーももっと大事にしていかなきゃと思いますよね。それが抜けると、やはり、今までのような、マスコミ社会の中で子どもということだけが話題になって、自分から進んで表現するという、これからの社会で必要な能力を伸ばすことを忘れてしまう危険性があると思います」(高桑氏)。「メディア・リテラシーの教育も、受け身で教育を受けるのではなく、子どもたちが主体的に関わっていくという形で発展していくと、子どもにとっても楽しいし、大人もそこからさらに一緒に学ぶことができるわけですからね」(小平氏)。

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