花園大学教員 浜田寿美男
発達心理学者の浜田氏は、子どもの生活世界を枠づけする軸である時間の流れに着目する。乳幼児期の子どもの世界は、身体の直接的な働き(感覚や運動)で構成されており、過去・現在・未来といった時間軸は存在しない。その後、学齢期に至るまでの間に、子どもは模倣や言葉を獲得し、生活世界にはイメージや概念、思考の世界、現在に過去や未来を重ねる世界の二重化が起こる。しかしながら、この頃の子どもの世界は圧倒的に〈いま〉が大きいと氏は強調する。「学齢前後にはまだあくまで〈自分のいま〉が軸で、その周辺をほんわりと過去と未来がくるんだようなイメージだといえばいいだろうか」。 |
精神科医 滝川一廣
「子ども集団の現代的特徴は、かつては大きな役割を果たしていた大将格の年長児を核に近隣の諸年齢の子どもたちがおのずと群れ集まった自然発生的な子ども集団が消えて、保育園、幼稚園、学校など大人が人工的・制度的に組織した子ども集団に全面的にとって代わったことだろう」と滝川氏は言う。言い換えれば、現代の子ども集団とは年齢ごとに輪切りにされ、大人の直接の管理・保護下に置かれた集団である。これは子育てが手厚くなったという面では評価に値するのだが、当事者の子どもたちにしてみれば、「早期から平準性の高い集団の中で大人に丹精されつつ育まれる傾向が強まり、これは現代の子ども集団に独特のデリケートさを与えている」面もあると氏はとらえている。現代の子ども同士の世界は「大人の社交世界のように微妙に気を遣い合う世界」になっている、と。 |
関西大学社会学部教授 岩見和彦
もともと学校は、「結合=つながり価値」と「分離=序列的価値」という二つの規範がせめぎ合う場であると岩見氏は言う。子どもたちはこの同質化(統合)と差異化(分離)という二つの規範を軸にして自分の生活する座標を戦略的に決めざるを得ないと。一方で、消費社会の「欲望」とメディア社会がバーチャルに作り出した新しい「世間」によって、学校システムの求心力は弱まり、子どもたちの生活世界は遠心化している。「多数派は身近な他者よりも商品とメディアが作り出す『世間』に誘惑され、クラスとか学校といった枠組みの色合いを脱色したような形で、あるいはそれを超えて他者とつながり、同質的な『生徒』からの脱出を試みる。そうした世間の人であることが、子どもたちの友達基準になっているようなのである」「そういう『心理的脱獄』を実体化し自由人イメージを擬似体験させてくれるのが、高度消費=メディア社会なのである」。 |
大阪市立大学文学部専任講師 石田佐恵子
TV番組やCM、雑誌などのメディアが与えるイメージとして、「個性的に突出した『スター』が看板となるような番組やCMはあまり見られなくなり、とにかくみんなで集まってワイワイ・ガヤガヤやっているような、そんな画面が目につく。そこで振りまかれているのは、ステキな〈仲間〉たちのイメージであり、大勢で何かすることの楽しい雰囲気だ」と石田氏は言う。確かに、70年代以降のTVの「学園もの」ブームやお笑いタレント・グループなど、メディアは常に〈仲間〉イメージを提供してきてはいる。が、それらの〈仲間〉イメージはすでに消費し尽くされ、現在は、〈遊び〉や街といった空間に求められていると氏は指摘する。それは「お互いの本名や年齢すら知らないような、単なる遊び集団として街で出会う仲間」であり、「あだ名で呼び合い、共有しているのは音楽の好み程度、なにげない話題で盛り上がり、時間が来れば別れ」、「ワイワイ楽しく過ごしても、そこでの自分は〈真の〉自分ではない」と思ってしまうような関係性である。 |