京都大学文学部教授 加藤尚武
日本の社会あるいは教育においては、子どもの〈社会化目標論〉と<自発性尊重論>の二つが支配的であるが、加藤氏はここで、第三の考え方、すなわち〈自律性形成論=オートノミー目標主義〉が必要であると言う。オートノミーとは、「一人ひとりがこの判断枠で処理していけば、社会と自分との妥協が成り立つという、自主判断による協調の目安」であり、<他者危害の原則>とも言い換えられる。これはもとより自由主義社会の基本であるが、日本の倫理教育や道徳教育にはもとよりこの概念はなく、だからこそ先の二つが混乱する形で対立してきたことを氏は指摘する。 |
放送大学教養学部教授 宮澤康人
児童中心主義の考え方は、教育学においてすでに理論的・実践的にも克服された思想であるとされているにもかかわらず、その根底にある心情は、いまだに多くの人の心をとらえて離さない。「子どものための学校」「生徒が主人公である教室」といた表現が、自明のことのように繰り返されるのはなぜか−宮澤氏は、この疑問に対し、児童中心主義はむしろ「近代の大人たちが直面した絶望の産物」であると想定する。 |
電気通信大学人文社会学系列助教授 森 重雄
「学校神話」という言葉がある。殺風景な空間に過ぎないのにもかかわらず、「学校は厳然たる空間として存在しなければならないし、子どもたちもそこに通わなければならない」という我々のイメージのことである。森氏は、「建築物としての学校」の登場の歴史から、この殺風景な空間が、いかにして神話的な空間として位置づけられるようになったのかを解いていく。 |
国立学校財務センター教授 市川昭午
臨教審以来、現在の教育改革におけるキーワードは、戦後の画一教育の批判としての「個性主義」である。市川氏はこれを「一見、もっとものことなようだが、基本的に誤った考え方である」と指摘する。学校教育とは本質的には画一的であり、特に公教育では多方面にわたって法令の規制を受けざるを得ず、そこで個性主義が実現可能であるとは言い難い。もし、本当に教育原理を個性主義へと転換するのであれば、国民教育制度を解体し、学校教育を廃止ないしは公立学校を私立化するなどの「個人教育化」を進める方が筋は通っている。しかし、そうなった場合、教師は職を失い、子どもは行き場所を失い、親は廉価な教育機関を失ってしまう。世間の人びとも、行き場もなく街を徘徊する子どもの出現を望まないだろう。つまり、今の学校に代わるシステムが見出せず、また現在の学校が解体されることを歓迎しないからこそ、今ある学校制度の範囲内で少しでも個性主義を実現させようとするのだと氏は言う。 |
東京工業大学大学院社会理工学研究科教授 矢野眞和
学校と社会システムの関係は、個人の生活レベルから考えれば、「学歴」と「人生」の問題であると矢野氏は言う。個人の人生は、家庭・学校・職場というように生活の拠点を移動させていく。教育問題として取り沙汰されているものの一つが、ここでいう「学校」と「職場」の関係である。そこでは「学歴主義」「偏差値」が問題視され、その克服が教育改革の柱となっている。一方では、学生の採用に際して「学歴不問」を掲げる企業も現れるようになった。しかしながら、氏はこうした時流に疑問を投げかける。「学歴不問を手放しに喜んではいられない。学歴が人材の資格として魅力あるものになっていないという証拠だからである。学歴と人生が無関係であるのは奇妙だし、学歴だけで人生が決まるのも
奇妙である」。 |