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Vol. 17, No. 8, August 2001
1. 専門家が発言
「遊び」は今や禁句となった


専門家が発言
「遊び」は今や禁句となった


レスリー大学 メアリ・マインデス

 子どもたちはこのごろ遊ばなくなった。就学前から勉強を始め、年齢を問わず宿題の山を抱えさせられている。学校によっては休み時間をやめてしまったところもある。子どもが必要とし楽しむ昔からの束縛のない自由な時間よりも、スケジュールに基づいた活動を薦める親が増えている。

 管理者や親に尊敬されたいと思うなら、幼児クラスの観察者は「子どもたちは遊んでいます」と言う前に少し考えたほうがいい。「遊び」という言葉を使っても、高い評価は得られない。その代わりに「子どもたちは街角で運動神経を発達させ、チームワークについて学び、数の概念について考えている」と言うことができる。この言葉は真実には違いないが、学習活動における非常に重要な要素であるところの、「もの」とアイデアで遊ぶ機会を無視している。

 昔は、自分たちでタレントショーを演出したり、街角でレモネードを売るの子どもを親は誇りにしたものだった。衣装を縫ったり、「レモネードあります」などという看板を作るのを手伝ったりした。現代の親にとって、このような自分でやるお店はスケジュール化された活動ほど重要でなくなっている。

 「遊び」は今や禁句となりつつある。幼い子どもにとっても、遊びの時間はなくなりつつある。プレスクール・プログラムは身体と社会活動を重視したものだったが、いまでは勉強に重点が移っている。「最初が肝心」という言葉が決まり文句だが、その意味するところは試験で最高点が取れる機会を子どもに与えようということだ。

 試験の点数を良くしなくともいいと言うのではない。しかし遊びの時間を犠牲にしてまで努力すると、子どもたちの多くは潜在的な学力を伸ばすことが出来ず、自己発達の基本的な局面を奪われてしまう。

遊びの利点

 子どもたちは遊びを通じて、自分のための意味を組み立てることができる。二人の子どもが経験を共有するとしても、それぞれが異なるやり方で経験を整理する。往々にして遊んでいる間に子どもたちは自分が経験していることを取り込み - たとえば本で読んだりテレビで見たことのように - その意味を知る。

 ごっこ遊びを例に取ってみよう。マーク・トウェインのトム・ソーヤーとハックルベリー・フィンのシリーズを覚えていますか。あの話には遊びの例が沢山含まれている。「トム・ソーヤーの冒険」の中には、子どもがリバーボートの船長のつもりになる場面があり、このごっこ遊びでは、船長の仕事や船に関する基本的な言葉を覚える以外に沢山の意味がある。ごっこ遊びに伴う感情、すなわち船長のもつ権限や決断を下せるという満足感などである。

 大人も真の心理的効果を生み出す役割を演じていると考えて、同じように演劇的なごっこ遊びをすることがある。このごっこ遊びは、新しい機会を求めようという熱意を生み出すのに役立つ。子どもでは、まねをすることのもたらす感情は大きな志をいだかせ、イニシアティブを取らせる。

遊びが減っている

 遊びから遠ざかる傾向にはいくつかの要因がある。ひとつは管理が厳しくなっていることだ。誘拐や子どもが襲われる事件の報道があると、親は子どもだけで遊ばせることをしなくなる。何かが起こるのではないかと心配だからだ。

 子どもの間での暴力や反社会的行動が増えたり、実際にそうでなくともメディアの関心がこの問題に向かうにつれ、反社会的行動に目が向くようになった。もし子どもが何かを拾って、これを武器として使ったら、大人は子どもの手からそれをもぎ取ろうとするだろう。

 この種の努力は大切だが、この手の遊びは必ずしも破壊的でないことを理解しなければならない。ゲームの最中に、子どもが死んでいく人を演じたとしても、これは必ずしも鬱の徴候でもなく、死に心を奪われているものでもない。というよりも子どもは、−ほとんどの大人が十分に理解し得ないような−非常に難しい概念を理解しようとしていることを表しているのかも知れない。死の概念とこれに伴う感情は、遊びを通じて体験される。

 他にも遊びの価値を低く見る傾向がある−子どもにはすべて最善のものを与えたい善意の親である。この世の中では、ペースが非常に早いので、子どもが理想の場所に到達し理想的な人々に会えるよう親は子どもの発達をせきたてる。彼らはひとつの場所から他の場所へと、子どもをいつも引きずりまわして、忙しくさせている。その結果、活動が多すぎて子どもの重荷になる。

 親は、構造化された活動と遊びのバランスを取らなければならない。大部分の場合自分の子どもを理解し、親としての本能に依存すれば、バランスが取れる。組織化された活動は重要だが、自由な遊びを除外するまでのことはない。

遊びは子どものエネルギー供給源

 遊びの魅力は、子どもたちが次におこることを心配せずに自分で決断できるところにある。遊びはこどもに創造的エネルギーを用いる機会を与え、往々にして結果を問わず、経験からなにかを学びとらせる。

 十分な遊びの時間を与えられない子どもは、臨機応変に物事を処理することが出来なくなることがある。遊びがないと、子どもたちは心理的に他人に頼りがちになる。自分のためや自分自身でできることが思いつかないので、他人からの指示を待つ。また他人の意見に依存することが多くなる。一方、遊びの機会を十分に与えられた子どもたちは、自分で物事を決めることが気持ちよくできる。自分で行動でき、新しいことを試してみるのも怖がらない。

 遊びは非常に重要である。人間らしさの一部である。より高い水準を追求するあまり失われてはならない。実際のところ、遊びは高度な水準の、心理的、社会的な幸福に貢献する要因のひとつである。自由な遊びの時間を奪うことによって、個人から大きな創造のためのエネルギーを取り上げることになり、最終的には社会が損をする。

 メアリ・マインドネス:レスリー大学(マサチューセッツ州ケンブリッジ)児童心理学・幼児期教育学教授。年に一度開催されるニューイングランド幼稚園会議のコーディネーターをつとめる。会議は幼い子どもの発達と教育に関心を持つ専門家が世界中から集まる。本文はLesley Magazineに初出。(www.lesley.edu/kc 電話:1―800―999−1959 X8922)




The Brown University Child and Adolescent Behavior Letter, August 2001
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Source: The Brown University Child and Adolescent Behavior Letter
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