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おわりに これからの教育を支えていくために必要なこと


1. 多様な考え方を知ることが重要
 最後に,これまでの報告の結果と本研究活動の意義を踏まえ,将来的な教師あるいは学校教育に関する若干の問題提起をしておきたい。
 昨今の教育現場は,社会とのつながりを意識しているように見える。例えば,民間企業での職歴を持つ人を校長先生として迎える動きも見られる。これは,社会に対して「閉ざされた空間」である現状から,「開かれた学校」を目指し,従来の学校教育のあり方を変えていこうとする試みであると,筆者は認識している。その背景には固定化された学校イメージが存在し,それを担っているのが固定化された教師イメージを持った学校教師であり,さらにそれを継承しているのが教職志望の大学生なのではないかと,研究チームは考えた。その継承に関しては,前章までで明らかにすることができた。
 ところで,「大学生の教師観調査」の当初の設計目的に対応した本研究活動の予定に変化が生じたことについて,「はじめに」の中で触れられていた。この点に関して,念のため言及しておきたい。本研究活動を企画した時点では,「理想の教師像研究」として展開する予定だった。しかし,ある大学の「大学生の教師観調査」のデータを見たときに,研究チームは当初の目的を変更する必要性を感じた。その理由は,その大学の調査結果が我々の予想以上に「固定化された学校・教師イメージ」に合致していたからである。つまり,その大学の学生たちの考え方の中に,従来の学校教育のあり方を読み取ったのである。それはまた同時に,「理想の教師像」のイメージそのものでもあった。その時点で,「教育実習を経験し現場の"現実"を知っている大学生までもが,固定化されたイメージを持っている理由はなんだろう」と感じ,その背景に教師文化の存在を感じたのである。何らかの行動様式や思考パターンとしての文化が学校や教師には存在し,それが教職課程を通じて継承されているのではないかと考えた。そして,その固定化されたイメージ以外にも,教師や教育に対しては様々な意見や考え方がある。その「様々な見方や考え方」に気付く必要はないのだろうかとも考えた。その疑問に対する考察が,本報告書である。


2. 情報を発信し続けること
 筆者は主に「大学生の教師観調査」の結果をもとに,チャイルド・リサーチ・ネット(Child Research Net)1)ホームページ上「Teachers Club」コンテンツ内に「教師ってなに?」というテーマで,4回にわたり検討課題を調査結果の一部からピックアップし,大学生や教職経験者の生の声も交えて紹介していた2)。そのデータや個別アンケートなどでの生の声を見ていく中で気がついたことは,上述したように特に教職志望の学生だけでなく,現役の先生方の中にも,固定化された教師像が強く内面化されていることであった。しかし重要なのは,その是非を論じることが目的ではないということである。前章までにも触れられていたが,やはり問うべきは,学校現場が変わろうとしている状況の中で,現場の先生だけでなく,教職志望の学生たちが,教師や教育に関する固定化されたイメージを強く持っていることそれ自体であり,同時にそれを変えていく必要はないのかを検討することである。
 また一方では,教師や教育,学校に関しては様々な考え方(イデオロギー的なものではなく)があることを知るということも重要である。教師が,あるいは今後教師になろうとする人々が特定の考え方,特に向学校文化的な行動様式や思考パターンを強く内面化することには,多少なりとも危機感を感じないではいられない。「子どもを理解すること」が最重要かどうかはともかく,向学校文化に適応的でない境遇にあると思われる子どもたちやその親とも接することは避けられないからである。
 筆者の活動の結果として,一つの考え方をピックアップすることで,多様な考え方を喚起することができたかどうかは分からない。しかし重要なことは,多様な考え方を喚起できるような何らかの情報を発信することと,教職志望の学生たちが多様な考え方を受け入れることができるかどうかということである。教師としての力量を決定する要因の一つとなると考えるからである。


3. 「教師のたまご」とこれからの教育を支えていくという発想
 昨今の社会は秒単位で変化していくとも言われる。それと比べると,実証するのは非常に難しいが,学校教育現場の変化の速度は非常に遅いように,筆者は感じることがある。ところで教育に関して重要なことは,教育,特に学校教育が「公教育」であることであり,国民には等しく受ける権利があり,また「受けさせる義務」もあるということである。このことを考えると,教育が一個人のためだけではなく,社会のためにも存在することに気がつく。それゆえに,一貫して「変化してはいけないもの」もあるはずである。それを筆者は「教育に関して一貫して維持するべきもの,守り抜くべきもの」という意味で,「教育の聖域」と表現したことがある。「大学生の教師観調査」の結果,教職志望の学生の考え方には,その「聖域」が強く存在していることを感じたのも事実である。教育が公教育として存在する以上,重要なことの一つには「聖域」を守ることがある。しかし,「聖域」を守り抜くのではなく,維持しつつその周辺を変えていくこともまた,必要なのではないだろうか。本報告書で一貫して注視してきた固定化された教師イメージは「聖域」にはないはずである。
 「聖域」の構成要素をピックアップすることやその是非を問うことが本報告書の目的ではない。大学生の教育に関する考え方の中だけでなく,我々の教育への考え方の中にも「聖域」は存在しているだろう。それぞれの立場での「聖域」を論じ合うことは,教育にとって必要なことを広く論じることでもある。特に,学校教育現場の様相が変わろうとしている昨今である。教師を目指す学生たちにとっても迷いを生じやすい状況に違いない。
 教職志望の学生たちが「教師のたまご」であることを考えると,彼らの考え方はすなわち,今後の教育への考え方を示唆しているものであり,教育そのものを考えていく上でも重要である。それを明らかにすることで現在の大学生の考え方を提示し,教職志望の学生だけでなく,教育の研究者,親,もちろん学校現場など,様々な立場からの考え方も提示することで,教職志望の学生たちが,自らの教育に対するスタンスを相対化し,同時により広い視点での教育に関する考え方を形成する契機になるだろう。同時に「迷い」に対する示唆を与えることも可能である。また一方では「教師のたまご」以外の大学生たちの考え方にも,示唆的な側面があることが,前章までに明らかになっている。
 これからの学校教育が「社会に開かれた学校」を目指すならば,第4章でも触れているように,学校教育の関係者だけでなく,広く教師や教育に関心を持ち,社会全体で教育を支えていくという考え方が重要になるだろう。そしてまた,その考え方を触発する必要性も,研究チームは感じている。
 本報告書はその契機としての存在を意識しており,それこそが本研究活動の意義である。


 最後になりましたが,本研究活動を展開する中で,「大学生の教師観調査」にご協力いただいた各大学の先生方ならびに大学生の皆さま,座談会や個別アンケートにご協力いただいた大学生や教職経験者の皆さま,また本研究活動に多大な示唆と助言をいただいた上智大学の武内清先生に,深くお礼申し上げます。



1) http://www.crn.or.jp/
2) http://www.crn.or.jp/LIBRARY/TEACHER/T_W/index.html


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