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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第6章 「母乳哺育のすすめ・・お母さんのオッパイは自然のおくりもの−1」

乳首とくちびるの敏感なスキンシップが大切

 赤ちゃんにはおっぱいをすいながら、お母さんの目をじっとみつめている時がある。こんな時、赤ちゃんはおっぱいを吸うのを止めることがあります。お母さんからの語りかけを待っているのです。
 お母さんも赤ちゃんの目をみながらおっぱいを与えています。その距離は30センチほどでしょうか。赤ちゃんが見ることの出来る距離です。じつに自然なアイ・トウ・アイ・コンタクト(目と目のふれあい)ができています。美しいふれあいのシーンです。そんなとき、母親の母性愛はふつふつと湧き出て、思わず語りかけるものです。
 母乳で育てることは、母子相互作用の立場からみると、まことに好ましいことになります。乳首という母親にとって非常に敏感な部分と、くちびるというこれまた赤ちゃんの敏感な部分との相互作用によるスキンシップ、タッチですから。
 触覚を中心とする母子相互作用です。ふくよかな乳房と柔らかいほっペがふれあうここちよさも、母子双方に共通なものでしょう。赤ちゃんは、おっぱいのにおいとともに、お母さんのにおいを感じながら、お乳をのんでいるのです。赤ちゃんはそうしながら、おなかを満たして満ち足りた気持ちになります。母親も、わが子の乳くさいにおいを、心になごむものとしてうけとめています。
 母乳哺育とは、五感をとおしての人間的なやりとり、母乳の味やにおい、スキンシツプ、目でみる、そしてお母さんが語りかけるというぐあいに、これ以上のものはないといっても過言ではないくらい、全ての感覚機能を使ってする理想的な母子相互作用を働かせる方法です。
 どうしても母乳がでない場合は、粉ミルクに頼るしかありませんし、また幸い科学・技術のおかげで、よいものもあります。しかし、母乳哺育の大きな意味を考えると、ぜひ母乳で育てていただきたいと思います。
 第一に、人間は哺乳動物です。哺乳動物といえば、だいたい1億年前に、この地球上にあらわれた動物です。人類は数100万年かけて、猿人、原人、旧人、新人と進化してきました。そしてどの時代にあっても、女性の乳房に対する畏敬の念が流れています。
 たとえば、私たちのひと時代前の人類、ネアンデルタール人に代表される旧人や、クロマニヨン人に代表される新人は、ヨーロッパとアジアのあちらこちらに住んでいたといわれています。そういう人たちも、母乳が非常に大切だということを考えていたようです。ビーナス・フィギュアという女性の像を、マンモスの骨や牙、石あるいは木を削ってつくったりして残していますが、それにはほとんどといっていいくらい、立派な乳房がかたどられていることからも明らかです。
 文化人類学の専門家は、それについてさまざまな意味づけを行なっていますが、結論として、母乳は人類生存にとって欠くことのできないものであるという認識が、当時からあったのではないかとされています。それは、考えてみれば明らかです。
 私たちは今でこそ、母乳がでなければ粉ミルク、あるいは牛乳を使うことができますが、当時は、母乳がでなければ、子どもは絶対に育たなかったのです。母乳で育てられるということは、そういう意味で、ほんとうに人間の自然な営みであり、すべての原則はそこから出発すると考えなければなりません。

天の川はギリシャ神話の母乳の流れ

 天の川のことを英語で「ミルキーウェイ」といいます。中学校でこのことばを習われたことでしょう。「ミルクの道」という意味ですが、その語源はギリシャ神話にあるのです。ジュピターが、生まれてまもないへラクレスを支えて、生みの母親ではありませんが、自分の妻ジュノーの乳首をすわせました。すると、母性愛豊かなジュノーの乳首からお乳がほとばしって、川となって天空を流れた、それがミルキーウェイというわけです。
 天の川は天文学用語では銀河といいますが、英語でガラキシーといいます。この「ガラク」も「乳」という意味ですし、「キシー」というのは「流れ」るという意味なのです。英雄へラクレスと母乳を結びつけたところに、古代ヨーロッパ人の母乳に対する憧憬や畏敬を読みとることができるでしょう。
 日本の神話のなかにも、母乳信仰といっていいような話が残っています。例のイナバの白ウサギが、ワニに皮をはぎとられて赤裸にされたという話をご存じでしょう。そのとき白ウサギがうけた治療はなんであったか。まず体全体に母乳が塗られました。そのあと蒲の穂綿にくるまってキズを治したのでした。
 古今を問わず、洋の東西を問わず、母乳の偉大な力を讃える話や遺跡はまだまだたくさんあります。それは、人間のごく自然な感情の発露ではなかったかと思われます。人工乳をつくる技術が非常に高まった現在、ややもすると母乳に対する正常な認識が少しゆがめられていると感じるのは、私ひとりではないと思います。
 それは、母乳によって育てられるか、育てられないかで、赤ちゃんの運命がきまってしまう地域もあります。アフリカはその代表でしょう。

高いお金で粉ミルクを買うアフリカの現象

 アフリカあたりでは、いわれなくても母乳哺育がごく自然に行なわれているのではないか、と思う人が多いのではないでしょうか。ところが、そのアフリカでも、欧米のミルク会社が、高速道路などのわきに大きい看板を出して広告をしています。それにつられて、アフリカの親たちも、一所懸命働いたお金のなかから、1カ月の収入の大部分にもあたるような高いお金を払って、粉ミルクをやっと1缶買うようなことをしているそうです。色の黒い母親さん達は、あの白人のように育てられればと思っているのです。
 あまりにも高価なものですから、薬と同じつもりで、基準より薄めて赤ちゃんにのませたりします。しかも、溶かす水そのものがきれいでないため、人工栄養で育てられる子どものほとんどが下痢で死亡してしまうという悲劇があちこちでおこっています。もちろんミルクそのものに罪はないわけですが、母乳よりもミルクがよいと思わせるような広告に罪はないのでしょうか。WHO(世界保健機構)や私たち小児科医のグループである国際小児科学会が、アフリカで粉ミルクを積極的に売るのはやめようという提案をして来たのは、こういう事情があるからです。それは、私が会長をしていたときの最大のテーマでした。
 わが国は、たとえ粉ミルクで育てても、アフリカでおこっているようなケースはまずありえません。だからといって、母乳よりも粉ミルクがよいという考え方はできません。
 10数年前の粉ミルク万能がいわれたころにくらべて、最近、母乳哺育が復活しつつあるのは喜ばしいことです。私は、日本母乳哺育学会をつくり、年1回の学会を開いています。来年は、16回になります。これからしばらく、学会の成果もふくめて、その母乳哺育のよさについて話していこうと思います。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。



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掲載:2003/10/03