こうして、ベンとチキチトとの奇妙な、まぼろしの共生が始まるのです。
はじめのうちは、それはそれで、それなりに楽しく、結構よかったのですが、しだいにベンはすっかり、チキチトとの[生活]の中にばかりいるようになってしまいます。授業中も上の空、遂には、横断歩道を渡るとき、チキチトに気をとられ、赤信号にも気づかず渡ろうとして、車にぶつかってしまいます。
ここから、物語はまた新たな展開を見せます。
しかし、前作(4年前)『トムは真夜中の庭で』のようにファンタジーではなく、あくまでもリアルな世界で語られていきます。にもかかわらず、「心」をいう見えない世界をこれほどまでに見事に、少年の心の渇望と彼をとりまく大人たちの思いや現実を描き出しています。イギリス文学のもつ優れて心理小説的な魅力を充分に供えた逸品です。
実は、この作品を私に教えてくれたのは、私が学生時代に家庭教師をしたひとりの少女でした。勉強の後に『トムは真夜中の庭で』を読んでやっていると、学校の図書室に「ピアス」という人の本があるというのです。
児童文学について、まだ多くを知らず、面白い思った本をただ読んでいた私は、早速彼女に借りてきてもらって、まぎれもなく同じ作者の作品だったこの本と出会ったのでした(当初の版は学習研究社の「少年少女学研文庫」の一冊で、堀内誠一さんの装丁になる小ぶりの赤い箱入りのシリーズでした)。
もう一つ、犬の話の最後として。この時の少女に私は一匹の白い子犬をプレゼントされました。
「先生がきっと喜ぶと思って、お友だちの家に生まれたのを、もらってきちゃった」
瞳を輝かせて語る少女に、私はアパート住まいで、犬は飼えないの、とはどうしても言えずに、貰ってきてしまいました。そしてその子犬の名を、『トムは真夜中の庭で』の少女にちなんで、ハティと付けたのです。
結局、ハティは実家に預けて育ててもらい、彼女は14年の生涯を全うしました。
そのハティを毎日散歩していた父が15年前の夏に亡くなり、翌日、友人の家で生まれた子犬が、実はアンだったというわけです。
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