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−対 談−
最新の脳科学は、子ども観をどう変えたのか
小林 登 × 澤口俊之

1  生物学をベースにした「子ども学」の確立が急務
小林 まずCRNをなぜ私がつくろうと思ったのかという話から始めさせていただきたいのですが、1992年にノルウェーのベルゲンで「チルドレン・アット・リスク(危機にある子どもたち)」というテーマで子どもの問題を話し合う国際会議がありまして、それに呼ばれたのです。その主催がノルウェジアン・センター・フォー・チャイルド・リサーチといいまして、子どもの問題を学際的に研究する国立研究所だったのです。その名称のチャイルド・リサーチを私は「子ども学」と訳したらどうだろうかと思ったのです。
 子どもを学際的に見た方がいいというのが昔からの私の持論で、それをもう一度、新しい立場から提唱するために「子ども学」という言葉を使い始めました。今の子どもたちの問題をいろいろ考えてみると、どうしてもひとつの学問だけでは解決が難しく、学際的な研究が必要になってくる。そのような話し合いの柱になるような学問です。
 「子ども学」については、子どもは「生物学的な存在」として生まれて「社会的存在」として育つ――そういう考え方を理解できるような学問体系でなければいけないと考えました。生物学的存在としての子どもを対象とする学問は、いわゆる遺伝生物学であり、従来私たちがやってきた医学や保健学のようなものになるのではないかと思います。社会的存在としての子どもを対象とする学問は、子どもと社会とのインタラクションを学問的にとらえるという意味で、小児生態学(チャイルド・エコロジー)を柱とするものではないかと考えています。
 私は5年前に国立小児病院を定年退職したのですが、なんとか「子ども学」の運動を展開できるような場所をつくりたいと思っていたところ、ベネッセの福武總一郎社長が応援してくださるというので、インターネットによるサイバー子ども学研究所をつくることにしたわけです。
 なぜ、インターネットなのかといえば、ベルゲンの国際会議が終わった後に、「21世紀は子どもの世紀にしなければいけない。そのためには、新しい研究所よりはむしろ世界の子どもに関心をもつ人たちをインターネットでつないでしまおう」――そのような話し合いが行われ、その考えに私も賛同したからです。
澤口 すばらしい構想ですね。私は「子ども学」という学問を考えていたわけではないですが、小林先生のお考えをお聞きして大変共感しますのは、生物学をベースとして子どもを考えていらっしゃるという点です。現在の子どもの環境というのは、それこそ生物学的にいって変わりすぎました。「普通の環境」で子どもを育てられなくなっている。人類誕生から数百万年も続けられてきた子どもの成長に必要な環境が失われていることが、現在の多くの子どもをめぐる問題の原因ではないのかと想像されます。霊長類である、生き物としての子どもがどんな環境で育つべきなのかを知っておかないと、今後はもっと大変なことになると思います。
 子どもとはどういうものなのか。人間の幼児期が長いのはなぜなのか。母親や父親はどんな役割をもっているのか。人間の心とは何なのか。そのような人間の本質を踏まえた上で教育理論を組み立ててほしい。実は、そのような研究は皆無だと嘆いていたのですが、小林先生のご著書(『育つ育てるふれあいの子育て』風濤社)が、そのような内容であったことに大変驚いています。
 一般の子育て本を読むと、行動主義的な考え方がまだまだ幅を利かせているような気がします。人間の子どももハトやラットと同じように、外界からの刺激を適当に与えれば育つんだと思っているところがあります。もちろん子どもはさまざまな条件づけに応じて豊かな力を示します。しかし、それはあくまでも表面的な能力に過ぎず、条件反射や条件づけだけでは決して子どもはまともに成長しないわけで、やはり生物学的な観点を踏まえた子育てが必要だと思います。
 結論からいえば、ちょっと抽象的ですが、私は人間の進化的な履歴を踏まえた教育環境なり教育理論を早急につくるべきだと思っています。



2  前頭連合野を育てることで人間の知性は発達する
小林 最新の脳科学から見て先生が一番問題だと思っているのはどういうことですか。
澤口 最近の研究では、人間の脳の中でもっとも高度な機能を担っているのは、前頭連合野であることがわかっています。そこを育てることが一番重要なのです。前頭連合野とは、言語的知性、論理数学的知性、絵画的知性、音楽的知性など、人間のさまざまな基本的な知性を統合するメタレベルの知性としての機能をもつ部位です。野球の監督のようなもので、どの選手をいつどんなふうに起用しようかとあれこれ考えながら、敵の様子をうかがったり、ゲームの進行具合を確認するような役割をもっているところです。
 チンパンジーの前頭連合野は人間の6分の1の大きさしかありません。進化的にはチンパンジーの脳は人間ともっとも近いと言われているのですが、それでも前頭連合野の比率は断然小さい。つまり、人間を人間たらしめているのが前頭連合野なのです。
 前頭連合野がそのように大きくなった理由については、今から300万年ぐらい前の家族の発生と絡めて考えています。というのは、その頃に男女差が縮まって、一夫多妻ではあるが現在の家族形態に近いものが生まれてきたらしいのです。5,6人のユニットが20ぐらい集まって社会を形成していた。そこでの家族関係や家族間の社会関係が、前頭連合野の発達を促すことになったと推測されます。
小林 前頭連合野をうまく動かすためにはどういう教育をしたらいいのですか。
澤口 結論から言うと、「遊ばせろ」ということになってしまう(笑)。ただ、それではあまりにもありきたりだと思われるでしょうから、もう少し詳しく言うと、多様な社会的関係なり体験をするための機会を与えろということです。それも脳がもっともドラスティックに変化する感受性期、8歳ぐらいまでにやるべきことをやっておかなくてはならない。
 小林先生が先ほどの「子ども学」の定義でおっしゃった、生物学的存在が社会的存在になるというのは、まさにそのとおりだと思うのですが、ただ、脳科学や進化生物学では、社会的存在になるというのも生物学的なプログラムであり、子どもの頃からそういう仕掛けがあるからだと推測されているのです。社会的な相互作用は子どもの頃から必要だと考えられています。
小林 例えば、オギャーと生まれたときには母親と子ども、それからその次に父親が入ってきて三角形になりますね。そして兄弟や祖父母がいれば、またそこで増えていく。そういう家族関係の変化は前頭連合野の発達と関係しませんかね。
澤口 そうですね。実は、私はあまり社会化を段階的に考えていなかったのです。とにかく生まれたときからごちゃっといろいろな人がいればいいと単純に考えていたものですから。それで、私も小林先生のご著書を読ませていただいて目から鱗が落ちたところなのですが、おっしゃる通り良好な母子関係から始まって、父親、兄弟、祖父母というふうに大家族へと発展することでいいわけです。でも、実際にはそのような家族環境が、現在は失われていますよね。
小林 それで、家族だけではなく、子ども同士が遊びまわる環境をということになるわけですね。
澤口 その際に、ただ友達がたくさんいればいいということではなくて、濃い人間関係が存在することが大切だと思うのです。いじめやケンカ、いざこざ、取っ組み合いといった一見ネガティブな関係と、仲良く助け合い、協力し合い、喜び悲しみ合うといったポジティブな関係が入り交じった複雑な社会関係がなければ意味がないということです。体と体で触れ合いながら育まれていくような、そんな濃い人間関係ですね。
小林 それはまったくおっしゃる通りですね。管理された人間関係ではなく、自然の発露としての人間関係は子どもにとって必ず何らかの意味があるわけでしょうから。
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