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−対 談−
最新の脳科学は、子ども観をどう変えたのか
小林 登 × 澤口俊之

3  セオリー・オブ・マインドの重要性にもっと注目するべき
澤口 ご存知だと思いますが、「セオリー・オブ・マインド=心の理論」というものがあります。人の身振りを見て心を推測できる能力のことで、いちいち分析しなくても相手の心の動きを洞察できるので一応理論と呼ぶわけですが、それが前頭連合野の働きであることが最近になってわかってきたのです。
小林 セオリー・オブ・マインドができてくるのは、3、4歳ですよね。
澤口 そうですね。それは以前から心理学者などによって推測されていたのですが、最近の脳イメージング研究で、その事実が確認されてきたのです。それで、セオリー・オブ・マインドは実際の豊富な体験のなかでしか育たない力だと、私は思うのです。
小林 子どもたちに遊びをさせないと育たなくなるということですか。
澤口 子どもは発達の段階としていろいろな具体的な実体験を通して社会関係を繰り広げようとするわけです。それを、ちょっと危ないとかいじめにつながるような雰囲気があるということで親がやめさせてしまう。それをやってしまうとセオリー・オブ・マインドは育たないだろうと私は思います。育つとしても、自分がこうやったら母親はこう思うだろうとか、父親はこう思うだろうというような推測で終わる。セオリー・オブ・マインドの対象が非常に限られてしまって、親の顔色をうかがうだけになってしまう。
 セオリー・オブ・マインドが十分に育っていないと、思春期を迎えたときに、平気で人をいじめたり犯罪を犯したりする。相手がどう思うかわからないから平気でたたいたり、下手をすると殺してしまったりすることになると思います。
小林 どういう方法で前頭連合野がセオリー・オブ・マインドに関係しているということがわかったのですか。
澤口 それは非常に単純な研究からです。大人での話ですが、写真を見せて、その人がどう考えているのか、こういう目線のときには何を考えているかを推測してくれと言って……。
小林 脳のどこが活動するかを見るわけですね。
澤口 ええ。そうすると、前頭連合野がピカッと光ったというか、活動したんですね。また、自閉症の人々は他者の気持ちを推測することができないといわれていますが、対照実験として彼らを調べますと、やはりセオリー・オブ・マインドができない。多少できる方もいるんですが、その場合でも前頭連合野があまり活動しないことがある。セオリー・オブ・マインドができない人は前頭連合野が活動しないし、逆に一生懸命セオリー・オブ・マインドをさせたところで前頭連合野があまり活動しない。そのようなさまざまな研究からセオリー・オブ・マインドと前頭連合野が関連していることがわかったのです。
小林 身体的な経験もセオリー・オブ・マインドをつくるのに重要だと言われていますが、そういう体験をする場が非常に少なくなってきましたよね。子どもたちが転げ回って遊べるような森や原っぱも少なくなったし。
澤口 それも大きな問題です。体性感覚は原始的で強烈です。母子関係において「抱く」という皮膚感覚が重要であるのと同じように、子ども同士の関係においても体性感覚や皮膚感覚での体験はインパクトが強いのです。それによって脳の重要な機能であるセオリー・オブ・マインドが育っていくわけです。
小林 セオリー・オブ・マインドのような他者を意識し、他者とふれ合い、相手の心や行動を推測していくことが総合的な知性につながっていくという論拠は、どこからくるのですか。
澤口 実は、言葉の起源はセオリー・オブ・マインドではないかという説があります。もともと人間が進化の過程で言葉を発明したのはどうしてなのかというと、コミュニケーションの手段というふうによく言われますが、コミュニケーションといっても最初は相手の気持ちを類推するわけですから、相手の心とか行動をシンボル化させて、それで理解していくというプロセスがあるのではないかということです。
 つまり、言語にはコミュニケーション以外にも本質的な機能があって、それは「representation(レプリゼンテーション=再現)」です。世界の事物や事象、他者、あるいは自分自身を符号化・概念化して再現すること。そして、世界とその中での自分の動きをシミュレーションすること。言語のもっとも重要な働きは、こうした再現とシミュレーションにあります。それは思考そのものと言っていい。つまり、人間の知性は何を知るために発達したかというと、自分や他人の心や行動を知るために発達したとも考えられるわけです。
小林 なるほどね。ですが、サルにもセオリー・オブ・マインドがあると言われていますよね。
澤口 それは霊長類の研究家のなかでも意見の分かれるところで、ないという人もいれば、あるという人もいるのです。
小林 霊長類学者のプレマックはあると言っていたと思いますが。
澤口 セオリー・オブ・マインドについても萌芽的なものはあるかもしれませんが、やはりヒト特有のものだと思います。というのは、セオリー・オブ・マインドが発達していれば、相手をだますこともできるわけですし、またシンボルを伴ったコミュニケーションが可能になるわけで、人間にもっとも近い種類のチンパンジーのボノボといえども、それらの能力は人間に遠くおよびませんから。
小林 ということは、人間の子どもの集団遊びは、サルの子どもの群れ遊びとは違って、かなり知的な活動を伴うものと言えますね。
澤口 はい。それから、ちょうど言葉を積極的に話し始める幼児期の3、4歳のころはセオリー・オブ・マインドができ始める頃と一致しています。ヒトだけが言葉をちゃんと使えて、セオリー・オブ・マインドもきちんともっている。そういうことから見ると、300万年ぐらい前に原初的な言葉が生まれたと言われていますが、それはおそらく相手の気持ちを理解するためだったのではないかとも思われるんです。
 言語というのが相手の気持ちの理解、セオリー・オブ・マインドを前提に生まれたのか、あるいは逆にすでにあった言語がそれに利用されたのかはわかりませんが、両者の進化的な発祥のタイミングとその理由はほぼ同じと考えられています。まあ全面的にそういうことを言っている人はいませんが、そういう話は少しずつ出てきています。
 もともと私たちは、言葉の能力と同じように、セオリー・オブ・マインドのための能力をもっている。ところが、言葉の能力をもっていても、言葉の環境にちゃんとさらされなければ言葉をうまく話せなくなってしまうのと同じように、セオリー・オブ・マインドにしても、子どもの頃にそれを伸ばす環境なりきっかけを欠いてしまったら、不完全になったり未熟になったりすると思うのです。私がセオリー・オブ・マインドの重要性について声高に主張しているのはそのためです。
 親も先生も子どもが言葉を話せないと、知的な発達が遅れているのではないかと大変心配されますが、セオリー・オブ・マインド、他人の気持ちや行動を理解できるかどうかについては、あまり気にしません。それはとても問題だと思っています。



4  心の動きをモデル化するセオリー・オブ・マインド
小林 脳のセオリー・オブ・マインドの仕組みを、もう少し詳しく説明していただきたいのですが。
澤口 脳科学に引きつけて言えば、もともと我々は脳の中にモデルをもっていて、それに当てはめて理解するという考え方なのですよ。例えば我々は人の顔を認識しますよね。ところが、この顔の認識というのは、いろいろな要素に分解したものを再合成して「顔だ」と識別するのではなくて、すでに顔のひな型が脳の中にできていて、それである情報がくると、「顔だ」とか「Aさんだ」とかいうことがわかるようになっていると考えられるのです。それと同じように、相手に対する心のモデルをもっているので、相手の考えていることをいちいち分析しないでも察知できてしまうというのが心の理論なのです。
小林 人のふり見て、その人の心がわかる、こちら側が理論づけられるということですよね。
澤口 おっしゃるとおりです。脳科学の認識論では、情報に応じて認識が組み立てられるのではなく、あらかじめ経験を通してモデルがつくられているという考え方をします。子どもの頃からのいろいろな体験を通して、こういうときにはこう考えるとか、人間がこういう表情をしたときにはこうだというモデルをもっているということです。それでも理解不能になることがありますよね。そのときは、そのモデルをアップグレードして、よりいろいろな人の気持ちを理解できるようにするわけです。
小林 心の理論が出来上がるというのは、いくつかのプログラムが統合されることだと思いますね。
澤口 そういうことでしょうね。
小林 ひとつひとつのプログラムは、生まれつきもっているかもしれない。それが体験を通して、情報処理のシステムとして出来上がっていく・…。
澤口 そうだと思います。ところで、これは私だけの説なのですが、他者への理解が乏しい青少年に心の理論をもたらすには、より単純な人の心の理論から始めるといいと思うのです。他人の気持ちがわからないで傍若無人に振る舞う青少年を治すのにいい方法は、幼稚園ぐらいに行かせて……。
小林 ああ、幼児期に戻すってやつですね。
澤口 戻すんです。幼稚園ぐらいに行かせて幼児の世話をさせる。相手はかわいい。泣かれては困りますし、やはり慕われたい。そうすると、その気持ちがわからなければいけないので、わかろうという努力をし始める。
小林 なるほど。
澤口 幼児は単純ですから、その心の動きは伝わってくる。さらにいいのは、怒ったりとか、自分の感情に任せてしまうと、相手はなついてくれませんから、自分の気持ちを抑えるようになる。これもまた前頭連合野の働きなのです。激情を抑えるということも学ぶらしいんですよ。それで一石二鳥だということで、とくに問題行動を起こした少年を幼稚園に預けて手伝いをさせるとよくなるのではということです。
小林 赤ちゃんの世話をさせるのもいいかもしれない。
澤口 さらに言うんだったら、イヌを飼うのもいい。イヌの気持ちをわかるとなつきますよね。それで、おなかが空いているとか、怒っているとかいうことを推測することになる。自分よりずっと単純ですから、わかりやすいんですね。ハムスターなどは全然心をもっていないのでダメだと思うのですが(笑)、イヌはああ見えてもけっこう考えてますから……。
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