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−対 談−
最新の脳科学は、子ども観をどう変えたのか
小林 登 × 澤口俊之

5  サルの模倣行動から言語の発生を考える
小林 子どもの脳の発達は言葉といろいろな点で関係しているのではないですか。例えば、大人は機械を渡すとボタンをひとつひとつ押しながらゆっくり覚えていきますね。ところが、子どもはいじっているうちにいきなり自分のものにしてしまうではないですか。そういう獲得の仕方ができる典型的なものは言葉ですから。
澤口 たぶんそうだと思います。昔、言語野といったらブローカ野とウェルニケ野の2つでしたよね。あとは角回という読み書き、書字に関係する部分があるから、せいぜい3つです。ところが、最近の脳科学の成果によると、言語に関係するシステムというのは意外に多いのです。いろいろな部分が関係している。そして、それらはいろいろなシチュエーションで働くのです。
 前頭連合野に関しても、今まで言葉のシステムは存在しないと思われていたのに、3つぐらいあることがわかってきたんです。それは抽象的な言語を操ることとか、コンピューターのプログラミングを組み立てるようなことに関係するのです。言葉に特化しているわけではないので、言語野とは呼んでいないのですが、脳にはそういうシステムがけっこう多いのです。領域としても広いから、やはり人間の脳というのは思った以上に言葉のシステムを……。
小林 いろいろなことに使っている。
澤口 それはちょっと驚きだったのです。他にも、右半球もけっこう使われているんですね。
小林 右半球は言語ではなく音楽などに関係すると言われていますよね。
澤口 言われていますが、やはり言語にもかなり使われていることがわかっていて、とくにイントネーションとかリズムをつくったりするということです。
小林 ああ、感性情報の方だ。模倣行動をしているときに使うミラーニューロン・システムも、ブローカ野がコントロールしているというんでしょう?
澤口 そうなんですよ。そのミラーニューロンは、実はサルでも見られるんですよね。
小林 ミラーニューロンが?
澤口 ええ。今、我々がサルの研究から言葉の研究ができるのではないかという希望をもっている理由のひとつがそれなんですよ。
 例えばサルの場合、手を握ったり開いたりすることに関係する脳の領域は、画像や動画でその動きを見せても活動するんです。ヒトの場合は、道具を命名させると、そこで同じような活動が起こる。つまり、言語には運動系が関係しているようなんです。そして、ミラーニューロンという物真似ニューロンがあるところもそこに近いし、言葉は物真似から覚えていくので、どうも物真似と言葉に関係するシステムが同じ領域に存在しているようなのです。そしてその領域というのは、人間で言えば45野、つまり言語に関連するブローカー野にあたる部分なんです。
 ただし、チンパンジー以外のサルは純粋な物真似はしないんですね。だから、本当の意味での模倣の起源はチンパンジーぐらいからなのですが、実はサルも模倣に近いものならするんです。自分と同じようなものを見たときに、似たような応答はする。そういう意味でのサルのミラーニューロンが、ほぼヒトの模倣行動と関係した領域にあるので、そのあたりをちゃんと調べれば、もしかすると言葉の起源がわかってくるのだろうと思います。
 サルはいくらやっても言葉を覚えないし、セオリー・オブ・マインドももっていないのは、たぶん模倣が手つきの模倣ぐらいで終わってしまうからだと思うんですね。子ザルは母親の食べる仕草はある程度模倣するようですが、例えば、自分の顔を指さして、その真似をしろといってもできない。一方、チンパンジーはポインティング行動はすぐします。それから、シェアド・アテンション(shared attention=注意の共有)──つまり、右側に注意を向けろというふうに、顔を右に向けると、チンパンジーの場合は、右の方に何か注意を向けるべきものがあるのではないかと思って右を向くんですね。
小林 仲間がみんなね。
澤口 そうです。一方、一部のサルの場合も、誰かがふっと右を見たとき、もしかしたら右の方に敵がいるのではないか、異性がいるのではないかと思うらしくて、右を見るんですよ。これを模倣といっていいのかどうかわかりませんが、そういう模倣に近いことをやる。サルはその程度ですね。ただし、チンパンジーの場合はもっとやりますので、段階を追って見たとき、模倣行動がヒトの発達にとって重要だという推測はできますし、それが言葉の模倣になっていく可能性は考えられます。



6  MRIで解明される脳の多様な仕組み
小林 1980年代ぐらいから脳科学本ブームといいますか、脳の本もたくさん出ましたし、遺伝子や霊長類に関係した本も増えてきましたが、何か一つの流れというか転換点があったのでしょうか。
澤口 進化生物学でいうと、人間の進化的な側面を考察する学問がこの10年ぐらいで飛躍的に発達しました。脳科学の方では脳の機能地図は昔から描かれてきていましたが、それがもっと精密になりましたね。これはテクノロジーの進歩によるもので、脳の断層撮影の技術であるPET(陽電子放射断層撮影法)とMRI(核磁気共鳴断層撮影法)の役割が大きいですね。これまでは発達に関してはサルの脳で見ていたわけですから、厳密とはいえなかった。それがMRIによって子どもの脳を直接に画像化して調べることができるようになったわけです。
 子どもの脳を調べてみると、私たちが今まで思っていた以上に脳はダイナミックに変化するということがわかってきました。これまでは、ダメージを受けた個所の機能障害によって脳の機能分布を静的に確認するだけで、脳の成長のダイナミズムを追うことはできなかった。それがかなり解明されてきていて、6歳ぐらいが非常に重要だということもMRIでわかってきました。昨年の米科学雑誌「サイエンス」に論文が掲載されたのですが、6歳ぐらいに前頭葉がばっと発達するんですね。このように脳科学の分野では、現在専門家でも追いきれないぐらい膨大な研究が進められ、世界中でさまざまな発見がなされているんですね。
 このようにして人間の脳の構造が解明されて、進化的な人間とはどういうものかという本質が少しずつわかってくると、子育ての方法論も当然変わってくるはずなのです。ですから、小林先生が主張されておられるような生物学をベースにした子育て論が、これからはたくさん出てくるのではないでしょうか。
 ただ、現在私たちが困っているのが、思っていた以上に脳には個体差があるということです。我々としては一応普遍性を獲得したいのですが、個体差があるので、むしろ固体差の原理をわかりたいということがあります。
小林 個体差の原理をわかりたいというのは、どういう意味ですか。
澤口 要するに、どうしたらこういう個体差が出てくるのかということですよね。
小林 どうしてこんなに個体差が必要なのかということですか。
澤口 個体差があるのはおそらく、バリエーションをつくっておいた方が進化的な意味でいいということでなんでしょうね。だから、もともと遺伝子にもこれほどのバリエーションがあるのだと思うのです。脳も一種の臓器といいますか、遺伝子でつくられていくものですから、バリエーションがあるのは予想できることなのですが、わからないのは、どういう仕組みでこういうバリエーションが生まれるのかということなのです。
小林 なるほど。
澤口 現在これについては神経伝達物質のシステムから考えています。伝達物質のシステムのバリエーションがかなり遺伝子レベルでわかってきていまして、例えばセロトニン系の遺伝子の反復配列の数にはバリエーションがあり、それによって心の安定性が違うということがわかってきました。それは集団としてもわかってきて、欧米人に比べたら日本人は安定性がないという話があります。そのように反復配列を調べれば、この人は実はうつ病になりやすいとか、あるいは精神的に安定しているかどうかがわかるわけです。
 また、ドーパミンのD4レセプターに関してもバリエーションがあって、D4レセプターの反復配列が多いと、新しいものが好きだということがわかってきていて、それを「センセーション・シーキング(sensation seeking)」とか「ノベルティー・シーキング(novelty seeking)」と呼んでいるのです。そういう遺伝子レベルでのバリエーションが、性格のバリエーションにつながっていくわけです。例えば日本語では注意欠陥・移動性障害というような言い方をしているADHD(Attention-deficit hyperactivity disorder)も、おそらくノルアドレナリンとかセロトニン、ドーパミンとかの遺伝子の変調というか、ちょっとしたバリエーションだと思われます。
 ですから、それがいいかどうかは別として、子どもの教育の仕方も遺伝子を見ていって、「この人の伝達物質はこうなので、だから……」という方向に変わる可能性はあると思います。ただ、システムという話になってくると、システムは遺伝子と一対一に対応しませんので、まだ曖昧な点は残りますね。
小林 遺伝子の基本的なフレームワークは一緒で、同じように遺伝的にコントロールされていても、脳は環境の影響を非常に受けるから……
澤口 おっしゃるとおりですね。だから、どういう環境だと、どういうシステムになるのかの詰めは甘いのですね。
小林 ただ、少なくとも、今の教育制度のように画一的にやるよりは、子どもが伸び伸びとやれるように自由度を高めた方がいいことは事実でしょうね。なにも遺伝子のレベルまでいかなくてもね。
澤口 それはそうですね。もともとバリエーションをいっぱいつくっておくのは、進化的にもそうですし、生き物の本質ですから。
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