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−対 談−
子どもは「心と体」で遊ぶ
小林 登×麻生 武×斎藤 孝

2  遊ぶ態度を伝えていく文化としての型の継承
司会 遊びについて最初からかなり核心をついた話になりましたが、発生的な視点からだけではなく、遊びには文化的な継承という側面もありますね。
斎藤 ある時代まではこれが明確に遊びだったというものがあります。例えば相撲がそうです。相撲が遊びだった時代というのはついこの間までありました。子どもにとっては、それは何百年来の遊びだったわけですね。ところが、つい最近、それが遊びでなくなった。今、遊びとして相撲を取る子はいないという現実がある。これは放っておいたらいよいよそうなっていきます。他にも、例えば棒を持って走るという子が昔は多かったんですね。棒を持って走るだけでもおもしろいんですよ。あれは要するに自分の身体が拡大したようなもので、急に強くなったような気になるからなのです。それで、走り回る。しかし、そういう単純な行為ももう遊びとしては成立していない。あるいは高いところに登って話をするということもそうです。昔の男の子はよくブロック塀の上とか屋根の上とかに登っていましたよね。ただ話をするのは遊びではありませんが、高いところで話をするだけでもう遊びなんです。なおかつ、そこから飛び降りるというのも遊びです。でも、これは結構痛い。痛いけれども、ゆっくりたどりながら降りるというのはイモくさいわけです。思い切って飛び降りることができるというのが一つの張りであって、緊張感を催させる。そういう踏み越える勇気みたいなものを試し合うようなところがある。やはり遊びにはそういうある種の緊張感が必要です。今は楽な遊びならいいんだ、快感なんだというイメージが強いけれども、緊張感がある方がゲーム性は高いわけです。遊びにおいてはどういう制限を設けるかということが、根本的に重要です。では、その遊びの制限の仕方を個人が生み出せるかというと、大変なコツが要る。だから遊びに伝承があるんです。歴史のなかで練られてきたものを継承していく。それが一つの遊びの型です。模倣というのはやっていることを直接真似するということももちろんあります。例えば相撲の形、技自体を真似する。でも、その技や動きが出てくる構造の方、制限の方が維持されていれば、動きは自然に出てくる。逆にそこのところを一度失ってしまうとなかなか出てこない。相撲という文化的な制限の仕方がなくなれば、相撲の動きはなくなるわけです。日本人はそのように遊びの世界が大きく変化したことにかなり無頓着というか、無関心だと思うんですね。
小林 制限をつけるということは何だろう。それはやっぱり大人が考えたんでしょうねえ。子どもが考えたのかしら。
斎藤 大人はある時期、当然関わっていたと思うんです。子ども発祥のものはあるかもしれないけれども、先ほど麻生先生がおっしゃったように、これを遊びなんだというとらえ方自体を大人が教えなければわからない。何かをやっていて、これはこういう遊びなんだからと言わないと、子どもというのは本当にケンカしてしまって、遊びにのみ込まれてしまう。
小林 だから、長い歴史のなかで大人が遊びを考案するときには、意識するしないは別問題として、子どもたちに何かを教えようと思ったのではないかと、私は思っているんだけどね。
麻生 その教えようとしたのは内容や教訓というよりも、これは遊びだというメタ的なレッテルみたいなものですよね。例えば、大人が「遊んでないで、ちゃんとお片づけしなさいよ」と言うから、遊びが遊びになるという部分がある。「塀の上で遊んでないで」と言うから、塀に登ることが遊びになる。だから、それは遊びなんだというレッテルを張るのはすごく重要なことだろうと思うんです。そして、遊びだというレッテルを張るときに、斎藤先生が言われた継承性というか、これは遊びだという文化的なレパートリーがあって、それが豊かである方が遊ぶチャンスがあるというか、遊びとみなされやすいんです。そうではないもの、そこで生成していくようなものもあるでしょうけれども……。
斎藤 遊びを活動のジャンルとして考えるやり方もあるけれども、質として考えるやり方もあると思います。例えば新聞の広告の折り込み作業がありますが、あれは典型的なワークですよね。つまらないと言えばつまらない。ところが、私は経験があるんですが、何人かでやっていると、ある時から遊び化するということが起こるんです。ある種のリズムができてきて、流れがよくなってくると、爽快感があるんです。かなり劇的に労働から遊びに変わる。そういう質の変化するポイントというのがあるんです。先ほど麻生先生が言われた、自分の活動に対してどういう態度をとるかという点から言えば、この活動を仕事だと思ってしまうような、べたっと張りついた態度をとるのではなくて、そこから身を引き離してそれを楽しむという態度をとる。それは大人がある程度教えているんだと思うんですが、そうすると苦しい労働のなかにも余裕が持てるというか、間を持たせることができる。これが一つの生きる知恵として、遊びのなかに入っていると思います。
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