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内田先生:
 大事な導入をしていただき、ありがとうございました。
 午前中のフリードマン先生の研究発表は、家族の特徴、特に母親の母性的な養育、母親のセンシティビティが、子供の母への愛着や、言語、認知、社会性の発達、あるいは就学の為のレディネスの基底になるということを膨大な調査結果に基づいて、クリアに私たちに提示して下さいました。母と子の間の安定した愛着が子どものコンピテンスの発達の土台になっているという知見は、おそらく文化を超えて普遍的だろうと思います。文化それぞれに親子のあり方や養育の目標は違うでしょう。しかし、そういった親子のあり方の土台、つまり母と子の安定した愛着は子どものコンピテンスの発達の土台になっており、子どもの発達の機能的な準備系になっていることにおいては、共通であろうと思います。

 私は、その母性的な養育・保育の質を考えるために、幼稚園・保育園での保育ではなく、極端にかけ離れた環境にいる子どもの育ちについての事例研究を発表し、それに基づいて保育の質、それから21世紀の子育てに何を私たちが作り上げていけばいいのかということを提案いたします。
 昨今、17歳の凶悪犯罪が問題になっております。その少年たちに共通するものとして、第1に、父親不在、その裏返しとしての母子密着があること。第2に、どの少年もそこそこ偏差値が高いこと。おそらく思春期前期あたりまでは母親の期待の軌道に沿って精一杯努力してきたであろう、そういう少年の姿が透けて見えます。それから第3に、社会的な孤立と言いますか、自尊感情と他人への共感性が非常に低いという特徴があります。
 自尊感情や共感性の低さは、おそらく誕生直後からの母子の情緒的な結びつきがうまくいっていなかったことの反映ではないかと感じます。かつてBowlby, J. (1967; 1978; 1983) が母親と子どもの間の愛着をベースにした結合が強いパターンが、「内的ワーキングモデル」(Internal working model)を作り、それが内面化されてその後の家族、父親や友人、保育士との社会的相互作用の機能的準備系になると言っています。
 さらに文化、社会の変容についても指摘しなければならないでしょう。ファミコンが1988年頃から子どもたちの生活を侵しはじめ、現実と非現実との境界が定かでなくなってしまうように、コミュニケーションの質を大きく変えてしまい、対人関係に非常に大きな影響を与えたと思います。また、1993年に偏差値追放がなされて、それに変わって内申点重視の能力観が中学校以降の学校教育にも及んできて、子どもたちが教師や級友の前で見せる顔、母親の前で見せる顔、それから個人的な生活空間の中で見せる顔を演じ分けなければならないような状況が起こってきています。
 ただ、その中で一番大事だと思うのは、実はこういった問題点は親子2代に渡って作り上げてきた世代間伝達の所産ではないかとの指摘があることです。特に、乳児期(0歳)の母子関係や相互作用がどのようなものかが問われなくてはなりません。そこで、乳幼児期の初期の子育て、母性的養育について考えてみたいと思います。

 生後1年間の母子の心理的交流がうまくいかない、母親がセンシティブでなく、応答的でない、いわゆるマターナル・デプリベーション(Maternal Deprivation)の環境の中では、乳児から剥奪されるものは単なる心理的交流の欠如だけではなく、社会的、文化的、言語的、栄養面などの複合的な剥奪が伴うものであります。
 例えば、刺激が剥奪される事によって様々な面での悪影響があるわけですが、図1、2はラットの視覚野でのニューロン神経細胞の樹上突起の枝別れの仕方を示したものです。刺激の多い環境と少ない環境とで、枝別れの仕方が非常に乏しくなっています。これはラットの結果でありますけれども、人間でも同じような知見があります。特に海馬(Hippocampus)という視床下部にある情報を理解したり記憶したりする部位、これは「エピソード記憶」を司る座と言われていますが、の容量は、ストレスが高く、虐待を受けた子どもたちでは12%も萎縮するというデータが最近発表されています。
 こうした非常にストレスフルな母性的養育が奪われたケースのうち、比較的はっきりした追跡がなされたものとして、世界に6つのケースがあります(表1)。
 暗い納戸の中や地下室の瓦礫の中にとじ込められていた子どもたちが救出された後、収容された施設の保母にすぐになついたケース――(1)Izabell、(2)P.M.&J.M.のケースがそうです――では回復がとてもいいわけです。ところが(3)、(4)のケースは、救出された後に世話をした保母にうまくなつかなかった/なつけなかったことにより回復がうまくいかずに最終的には死んでしまうケースです。それから(5)Genieは非常に有名なケースですが、言語獲得の「臨界期」を越えて、13歳7ヵ月の時に納屋から救出された後、教育治療チームの努力によってある程度回復し、社会復帰を果たしました。しかし、やはり言語獲得の臨界期を越えていたこともありまして、文法発達のいろいろな面での欠陥が残りました。(6)F&Gのケースは、お茶の水女子大学名誉教授である藤永先生を中心として、私どもが治療教育を行ってきたケースです。それについてこれからお話いたします。

 この家庭は、前夫との間の2人の子どもを含めて9人の子供がいる大変に子沢山な家でした(図3)。父親はまったく定職に就かずに生活保護を受けていましたが、この時期に父親が生活保護を自ら打ち切って家計状況が急速に悪化しました。この2人(GとH)の子どもは、トイレトレーニングがうまくできていなかったために、トタン囲いの小屋に収容されていました。Hはやがて亡くなりましたが、Fが6歳、Gが5歳の時に近所の通報で救出されました。救出された直後の2人の身長は82cm、体重が8.5kgですから、ほぼ1歳半くらいの体格でした。喃語のような声は出していましたが、全く発語はなく、歩行もできませんでした。救出されて2ヵ月後は、やっと立ち上がり、あとはバタンと倒れてしまう状況でした。
 図4は、FとG2人の身長発達の発達速度曲線(Velocity Curve)を示したものです。乳児院に収容され、親身に世話をされたことによって、保母との間に心が通い、愛着が形成されたことによって、あたかも冬眠から目覚めたように、通常の発達過程を圧縮した形で、一気に遅れを取り戻して回復していく様子にご注目下さい。
 救出から5年後には2人とも身体面では正常のレベルにほぼ追いつきましたが、言語発達の面では常に姉Fの方が弟Gに勝っていました。そして、保母との愛着の成立の差がはっきりしていて、姉は乳児院に収容された時にすぐに保母になつきましたが、弟は全く自分の担当保母に対しては無関心でした。その後の弟の経過を見ますと、言語も認知も社会性も全く育っていかない、一緒に暮らしている仲間の名前も全然覚えられないという状況がありました。
 そこで午前中のフリードマン先生の講演でも言及されていた、「ストレンジ場面手続き(Strange situation procedure)by Ainsworth, M.D.S. (1978)」と類似した手続きを用いて、保母との間に愛着が成立しているかどうかを測定しました。それによると、姉は保母と一緒に遊んでいる場面で保母が出ていってしまうとパニックになって後追いをすることが明らかにありましたが、弟は一切そういうことがなく、人がいてもいなくても、保母がいてもいなくても無頓着でした。私たちは「これはまずい」と判断をし、乳児院の園長に「相性が悪いかもしれないので、保母さんを交替して欲しい」と依頼しました。やはり人間同士のお付き合いとして「ウマが合う」というのは、実の親子にもあるようでして、なかなかなつかないのに問題を感じて姉Fと同じ保母さんに交替していただきました。交代をしたベテラン保母さんは、弟の感覚と非常にうまくマッチしていました。弟と保母との間で愛着が成立する、それと期を一にして言語、認知の回復が加速化していきました。

 このような姉と弟の回復速度の違いをもたらしたのは何でしょうか。1つは生得的な制約があったと考えられます。
 生得的な制約として、まず第1に、大脳の成熟の性差について、女の子の左の脳は男の子の左右の脳に比べると幾分か成熟が進んでいるという、ハーバード大学のGeschwindとGalaburdaが"Nature" の論文(1987)に発表したデータがあります。なぜ女の子の方が成熟しているかといいますと、男の子の場合は受胎して2ヵ月くらいして精巣ができ始めるとテストステロンが分泌され始めます。その男性ホルモンの働きによって成長ホルモンの分泌が抑えられるという現象があるそうですが、その結果全体的に成熟のスケジュールが緩慢になる、ブレーキがかかるという形で性差が生じると推定されています。第2に被損傷性(Vulnerability)の性差について、Rutter (1979)が言っておりますが、男の子の方が傷つきやすいという性差があります。第3に気質の性差です。姉の方は最初から人間に対して非常に敏感でした。人間関係に対して、人の気持ちを察知するという行動が、言語がないうちからありました。いわゆるNelson, C. (1983)のいう「物語型」または「感情表現型」(Expresive children)の子どもでした。一方、日頃の行動を見ておりますと、弟の方は、むしろ物の方に大変関心がありました。いわゆる「図鑑型」又は「名称言及型」(Referential children)の子どもです。2人の気質の違いが保母への愛着の成立のさせかたに影響を与えていると思われます。
 さらに、環境要因の違いも指摘されます。つまり姉よりも弟が生まれた時の方が家計状況が厳しかったことがあります。生活保護を父親が停止させたことにより収入が全く入ってこなくなり、母親は育児意欲を全く失い、弟に関しては抱いた記憶すらないと言っています。そういった乳児期の母子関係の違いが、救出された後の保育者との愛着の形成の遅速の違いをもたらしたのではないかと推測されます。

 この事例からの示唆はなんでしょうか。発達初期に、大人との間で心の交流があった時に、それが土台となって施設での保母とも心が通い合う、つまり成人との愛着が十分に成立したときに、それが外言的コミュニケーションや対人的適応の機能的準備系となる、発達のレディネスとなるということが読み取れます。

 それでは、愛着の質の違いが子どもの発達のどの面に現れるのでしょうか。この点について3つの環境の違う、乳児院と家庭児の観察をした結果についてお話したいと思います。

 3つの環境を選びました。1つは複数保母制の乳児院です(X)※注1。保育士1人に対して赤ちゃん(0歳)8名です。もう1つは担当保母制で、1対3という厚生省の乳児保育の基準を守った乳児院です(Y)。いずれの施設も親たちのいない子どもたちがずっと収容されているところです。もう1つは、それらの対象群として家庭における養育です(Z)。フリードマン先生も使っておられたH.O.M.E.尺度(Home Observation Measurement of the Environment by Cawdwell, 1978)で保育の質を測定いたしました(図5)。
 それによると、情動的言語的な応答性の高さ、あるいは禁止や罰の回避という適切な遊具の用意をしたり、あるいは大人が子どもに教育的な配慮によって関わりをもつという点でみますと、やはりXはH.O.M.E.で最低点であり、すなわち、一番劣悪であって、YとZは同程度の得点になり、子どもの育つ環境としては等しくよいものでした。
 タイムサンプリング法を用いて、1年半の間、月に1度、15秒毎に1度の頻度で、1回5時間、母子相互交渉、養育者と子供の相互交渉を観察して、その総頻度調べたものです。初語の出現の早い子どもと遅い子どもで分けてみてみますと、3〜4ヵ月の母親の語りかけが多かったその子どもたちはY1、Y2、Z2の順で、初語の出現が早かったのです(図6)。養育者の言葉かけの頻度は、X<Y<Zと多くなります(図7)。乳児の発声行動、喃語の発声行動は(図8)、X≪Y<Zの順に多くなり、複数保母制より担当保母制のほうが、さらに家庭のほうが頻度が多くなります。

 乳児の言語発達速度が一番注目されるのですが、YとZの間には全く差がありません。施設で育てられても家庭で育てられても言語発達速度については差がないということです(図9)。また、図で示しませんでしたが、MCCベビーテストで測定した知能の発達速度は、Yが一番著しい、つまり施設で専門のトレーニングを受けた保育士さんによって育てられた施設の子どもの方が著しいという結果が出ております。興味深いのは、ジェスチャーの出現頻度の環境による違いです(図10)。X環境とZ環境ではジェスチャーが共に少なく、Y環境では多くなっています。例えば養育者の保母の姿を見た時に「母さん」を意味する典型的な育児語の「ちゃーちゃん」と言って手を上げるというようなジェスチャーがどのくらい出ているのかをみてみますと、Yが非常に多く、XとZは抑えられております。X環境とZ環境でジェスチャーが少ないことの意味は違っています。Xでは、とにかく何か働きかけても一切応答してもらえないので赤ちゃんは保育士に対して働きかけることをやめてしまっています。それで少ないのです。ではZ環境ではどうかといいますと、いつも1対1で四六時中お母さんが見ていますので子どもが「フン」と言いますとすぐに応えてもらえるので、ジェスチャーをする必要がないのです。ところが、Y環境では、適度に応えてもらえるために、意志伝達の手段として使えるという実感がもてるようになります、そこで、ジェスチャーをコミュニケーションの手段に使うようになります。また、彼らは、担当保母の注意を引こうとする他の乳児と競合する状態におかれており、物理的にも広い空間で生活しているのでジェスチャーが多くなるのです。

 この事例からの示唆は何でしょうか。第1に養育者との愛着がコミュニケーション行動の基盤となるということ、第2に養育者は必ずしも生物学的母親である必要はないということ、そして第3に社会的やり取りの質(Quality of Care)が発達の規定因となるということを、またしても示しています。

 結局、私がここで提案したいのは、家族を含めたコミュニティの「育児機能」をどうしても回復しなければならないということです。それにはまず家族の中で母性を回復することが必要です。つまり愛着を確認した安全基地を作ってあげ、母親の敏感性(sensitivity)を高めること、これによって子ども自身の自尊感情、共感性を高めてあげるのです。これは自分が受け入れられた、認められたというやりとりの中で子どもの自尊感情と共感性が高まると考えられます。
 つぎに父性も復権させなくてはいけないと思います。これは高木先生の発表でもありましたが、父性の一番の役割は母子融合を切断することです。父親が母親を愛し、尊敬し、信頼することによって、そして人間同士の付き合いとしてのモデルを見せることによって、母子の異常密着を切断することができるのです。それから思春期前期までは是非・善悪を分割するために、非行、悪行の懲罰を与えることが必要です。子供が悪いことをしたときには権威で抑えるのでははなくて、人間同士の付き合いとして、「お父さんはこう思うよ」「いけないと思うよ」という提案をしていただきたいと思います。そうすることによって、「暴力はいけない」という価値観を示すことが大切です。
 そして、それを支えるために、かつての日本がそうであったように、コミュニティの育児機能を回復させなければいけないと思います。次の世代や文化を作り出す者たちを、自分たち、社会の人たちが、皆で育てようという共生の発想を持つためには、父母と保育士のチームワークというようなものが連携して一緒に育てよう、そういう雰囲気を作り出すことが必要なのではないかと思います。それを母親からは言えないのです。やはり保育園や幼稚園の先生方が、「お母さん一緒に育てようよ。困ったら私たち助けてあげるから」という声をまずかけてあげて欲しい。それからまた、さまざまな角度からの育児の支援体制を社会の側で用意していくことが必要なのではないかと思います。

    ※注1 X環境において厚生省の基準を大幅に上まわっているのは、近隣に0歳児保育所がないため、働く母親が週日のみ0歳児の託児を依頼していることによる。週日は6〜8名、日曜日は4〜5名程度になる。
牧田氏:
 内田先生、ありがとうございました。質の高い保育についてたくさんのキーワードを頂いたような気がします。それでは松本先生お願いします。松本先生は小児科医として、早くから育児支援にご熱心だったと定評があります。どんなお話をして頂けるのか楽しみです。

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