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はじめに 〜英国の教育は今〜

「Education,Education,Education!」
 イギリスではあまりにも有名な、首相トニー・ブレアの公約演説の一文である。一にも二にも三にも教育政策に重点を置いていくということで、教育に強い関心を持つ国民に合せた公約ともいえるだろう。

 歴史的にも様々な面でお互いを刺激しあってきた日本と英国(注1)。しかし、英国のことはよく知っているようで意外とハッキリしたイメージが涌かないから不思議だ。ましてや、英国の教育に関してはなおさらである。近年では研究や意見交換も多く進んでいるが、英国での挑戦や試みについて、まだ広くは知られていない。

 この連載では、様々な試みを行っている英国の教育の理論や事例を紹介しながら、それらを通して、英国、そして日本の教育のこれからについて考えていきたい。第1回目は、英国の教育事情の現在を大まかに紹介していくことにする。

多様な社会と教育

 英国の教育を一言でいうと、「生徒1人ひとりの多様性を尊重していくことがどのような形で可能なのか」ということを常に探求している教育であるといえよう。世界で1番国際的な街といわれるロンドンには、340の使用言語があり、同じ国籍所有者が1万人以上いるグループが33ある。歴史的に多くの移民を受け入れ、多文化を国の成り立ちとしてきた歴史を持つ英国。様々な文化や考え方を持つ人々が集まった社会では、議論を大切にし、公に開かれた政治や社会づくりが目指されてきた。

 しかし、寛容に見える社会であっても、マイナスイメージや文化の無理解から生まれる問題もある。社会やメディアから自分の文化や民族に対するマイナスイメージを敏感に受けとる子どもたちは、自尊心を失い、自分の才能を自由に発揮することが難しくなる。例えば、ライトは近著(2000)で、アフリカ・カリブ系の男子生徒は白人の男子生徒より学校を退学(自主、強制を含め)する確率が4〜5倍高いとしている。より1人ひとりが大切にされる教育や社会を目指し、「多文化教育」と呼ばれる教育活動が行われ、学校や地域において多様性を尊重する教材や教育機会が多く提供、開発されている。

 多文化の社会での教育は難しいことが多いという印象があるかもしれない。しかし、実際にはそのような多様な社会の構成が英国の教育をより風通しのよい、柔軟性のあるものにしているともいえるだろう。個々の生徒の多様なニーズに答えようとする意識は、文化や人種の違いのみではなく、能力、障害、好み、親の経済状況等にまで及んでいる。

 元来、英国には、保護者が「子どもを学校へ修学させる義務がない」ことも、様々な形やシステムの教育が出来上がってきたきっかけとして挙げられるだろう。的確にいえば、英国教育法(1944年36条)(McEwan, 1996)によると、「親は教育を提供する義務」はあるが「子どもを学校に行かせる」義務はないのである。この法律の内において、家での教育やオープンスクール、特定の信仰に基づいた教育グループなど、オルタナティブ教育と呼ばれる様々な「教育を提供する」形が存在する。

 また、ナショナル・トラスト、アムネスティーなどの民間団体が多く教育に関与していることも英国の教育を語る際に欠かせない。ユニークで社会生活により近い形での教育の試みは、多く民間団体が作成する教材や教員研修から生まれてきている。学外施設訪問を通した教育活動もさかんである。そして、教育政策についても、政府と民間団体の間でオープンに議論がなされ、実際に意見が反映された形で、より社会の実状や必要性に近いものに発展していくことが多い。現在、多くの教員にとって一番の関心であるシティズンシップ教育(注2)も、1997年に教育雇用省内に設立された諮問委員会が、教育関係者、民間団体、そして研究者と公的な会合を多く開いた後、1998年に最終的な提案書を政府に提出する形をとった。(Citizenship Advisory Group, 1998)

 このシティズンシップ教育は、多様性を受入れていこうとする教育と合わせ、「より公平で住みやすい社会を創っていくために共通として認識しておきたいことは何か」を考える機会を提供するものといえる。「シティズン(市民)」という言葉の定義が広いため、この教育の目的や目指す人間像は様々であるが、政府としては、より社会に貢献できる人の育成に焦点を当てている。また同時に、生徒のエンパワメント(力を与えること)等、学校における民主主義教育の実践の議論や障害を持つ子どもと学校教育についての議論も続いている。

他の国に追いつこう!

 上記のような社会の課題を取り扱う教育と同時に、「優れている」と目標とされている国に「追いつこう」という精神に基づく教育もしっかりと息づいている。特に、IT(コンピューター、コミュニケーション)教育は小学校でも導入され、各教室には最低1つの割合でコンピューターを取り込む目標になっている。「日本の子どもは教室に1人1台コンピューターを持っているんでしょう?」と私に聞く小学生の少女には、誤った情報であれ、先生の「日本に追いつこう」というメッセージがしっかり伝わっているようだった。また電子大学構想や通信教育にも政府は力を入れている。コンピューターのみではなく、読み書き・計算に関する「他の国に追いつこう」という試みについては、カリキュラム変化と教育の動きの回で後に紹介していく予定である。

先生がいない!?

 このような教育実践が進む現在、何が英国教育で一番の課題と思われるだろうか。それは「教室に先生がいないこと」なのである。英国全土(特にウェールズとイングランド)で教員の徹底的な不足がみられ、イングランドとウェールズ地方のみで1万人分の中・高校での教員のポストが空いている(2001年3月末)。教員を探し提供していく民間会社や役所では、一週間に2万日分の先生の空きを埋めることができずにいる。あまりに少ない教員のため、学校を週に4日しか開けることができない学校もとうとう近日現れたほどだ。教員不足は近年に始まったことではないが、1クラスの人数削減の政策や就学児童数の増加により、その問題に拍車がかかっている。また教員は、高くない給料、大きすぎる期待、そして年々増えているといわれる書類の処理に疲れ、辞職する人も後を立たなく、政府は「出戻り」先生に30万円進呈キャンペーンまで行うほどである。一週間毎、ひどい時には1日ごとに先生が変わる状況は、生徒のやる気と安心感、そして教員に対する信頼を失うといわれている。

 英国民にとっても、最も関心が高いことの一つである教育。その多様性や成功例はもちろんのこと、難しさや抱える問題も教育のこれからを考えていく際に大変興味深い視点を与えてくれる。教員採用倍率が100倍を越える都市もある日本の教育に、英国の多様な教育内容を加えると、はたして理想の教育が生まれるのか。連載を通して皆さんと共に探索していきたい。

(注1)
英国は、4つの地方から成り立っている。教育システムは、イングランド地方とウェールズ地方は同じで、スコットランド地方と北アイルランド地方とは異なる。この連載で特に断りがない場合は、主にイングランド地方とウェールズ地方の教育システムについて指す場合が多いことを御了承頂きたい。

(注2)
「市民性を育てる教育」と言え、2002年から、中・高校レベルで必修として導入される。学校での取り入れ方(科目として、又は教科にまたがるものとして)は各学校の裁量に任されている。



より深く知りたい方へ
Times Education Supplement http://www.tes.co.uk
「テス」と呼ばれ、親しまれているタイムズ紙発行の週間教育特集紙のホームページ。ホーム(一ページ目)を見るだけで、今週の教育の動きがだいたいつかめる。無料の電子メールサービスもあり。

Department for Education and Employment (DfEE) http://www.dfee.gov.uk
(政府機関)教育・雇用省のホームページ。字数が多く、サーフに時間がかかるホームページだが、教育課題への政府側の提案、対策などを知ることができる。


参考文献
Wright, C. et al (2000) 'Race', Class and Gender in Exclusion from School: Studies in Inclusive Education. London: Farmer Press.

McEwan, V. (1996) Education Law. Birmingham: CLT Professional Publishing.

Citizenship Advisory Group (1998) Education for citizenship and the teaching of democracy in schools: Final report of the Advisory Group on Citizenship. London: Qualifications and Curriculum Authority.


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