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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
プロローグ「愛と心のプログラム−3」

心の機能があるので人間は単なるサルの一種ではない

 こうして、人間は、長い進化の歴史のなかで、大脳、とくに前頭葉を発達させ、心という特殊な神経機能、精神・心理機能というべきかも知れませんが、それらの多様な心のプログラムをもったことによって、単なる動物の状態から脱却したのです。人間は動物分類上からいえば、つまるところサルの一種にすぎないのですが、「自分がどんな種類のサルであるかを考え議論している唯一のサルである(G・W・コール)」といえるかもしれません。もっとも、最近の研究でチンパンジーでは相当人間に近い心をもっていることが、わかってきたことを付記したいと思います。ですから、霊長類学者のジェーン・グドールさんは身近にいるチンパンジーを彼とか彼女、さらには名前をつけて呼んでいるのです。
 すなわち人間には、神経系(自律神経)による生きるためだけの動物機能や植物機能の体のプログラムのほかにも、感覚器によって生きるのに必要な情報をとり入れるプログラム(感覚)、それを分析して疑問に答えるプログラム(思考)、生活の中の情報をとり込んで他のプログラムを変えたり良くしたりするプログラム(学習・模倣)、喜び、悲しみを感じるプログラム(情緒・情動)、なにかをしよう、なにかを創造しようとするプログラム(意欲)、さらにはコミュニケーションのプログラム(言語)などがあり、それらは人間としての心のプログラム(働き)の代表的なものです。そして直立の歩行、道具の利用、心による性行動のコントロール、集団社会における生活といった、人間だけに顕著にみられた進化であって、そうした心のプログラムの多様性とその進化と、車の両輪のような関係にあると考えられます。そうした脳にある心のプログラムが文化を創造し、文明を形成する原動力ともなったのです。
 文化とは、人間生活のすべての在り方を決めるものです。哲学・倫理・道徳・宗教などの形のない、頭の中で考えているソフトなものが文化といえましょう。住居とか衣服、さらには芸術などのように形としてあらわされるものが文明なのです。
 文化・文明とはなにかということを論じだしたら、それこそキリがありません。しかし、ひとつだけいえることは、文化も文明も人間が社会生活を営むためにつくりだされたものであるということです。たとえば文明は科学技術などによって豊かな社会や生活を築き、文化はその社会生活のよりよい営み、さらには社会秩序を保ち平和に生きるためにも、必要な情報として位置づけることもできます。そして、ソフトな文化も文字・記号・造型などによって、ハードな文明に表現することができるのです。とくに、宗教・芸術では、宮殿とか絵画や造型として表現されているのはご存じの通りです。
 その意味で、とくに倫理・道徳・宗教などは、私たちが考えている以上に、社会秩序や生活のあり方において重要な役割をになっているように思えます。より豊かな社会をつくるために必要な秩序を確立させるために、人間は心を発達させ、文化をつくったのかもしれません。

親から子へ、どのように文化は伝わるか

 赤ちゃんは、父親の精子と母親の卵子をとおして、それぞれの遺伝子を受けつぎ、その遺伝のシナリオにしたがって自分の体をつくり、心と体のプログラムでそれを働かせ、育ち、生活していきます。したがって、遺伝子によって、体に個人差があるようにプログラムにも個人差は当然あるものです。そして、それはまた遺伝子により、次の世代に子どもを介して伝えられるのです。
 もっと一般的にいえば、人間の約6500の遺伝形質(顔かたち、皮膚や髪の色、お酒に強い弱い、知能など、人間のもっている形態や機能)、すなわちシステムとしての身体、心と体のプログラムのあらわれとしての生理機能は、その配偶子(精子あるいは卵子)のもつ遺伝子によって、すなわちDNA(デオキシリボ核酸・遺伝子の本体)のコードによって人から人に、世代から世代に伝達されていきます。
 そしてその人間のつくった文化も、親から子に、人から人に、世代から世代に、言語・文字あるいは造型などによって文明として伝達されていきます。その伝達にはもちろん、人間の脳の学習・模倣・思考・教示などの機能、さらにはコミュニケーション、メッセージの機能も関係しています。
 こう考えてみると、文化と遺伝には共通点があり、文化も遺伝するのです。イギリスの文化人類学者や生物学者は、遺伝子による身体内遺伝に対して、文化を身体外遺伝、あるいは遺伝子によらない遺伝とよんでいます。
 いわゆる遺伝が、遺伝子(ジーン)という実体のある核酸という物質によって伝達されるのに対し、文化の遺伝には遺伝子のような特別のものがあるわけではありません。しかし、現実として文化は今日まで連綿と伝えられてきました。なぜでしょうか。
 そこで、文化の本質は模倣(まね)にあるとして、模伝子(ミーム)によって伝えられるという考えも生まれてきたのです。つまり遺伝子は(人間の)細胞の自己複製をになう因子であり、模伝子は文化の自己複製をになう因子であるといえます。
 たとえば、パリのファッションが数日後には東京にあらわれるといった社会現象は、文化が人から人にヨコに伝達される非常にわかりやすい例です。また、日本文化が世代から世代へと伝承されてきたのは、文化がタテに伝承される例です。ITの進歩によって、伝達される情報の量と速さがいちじるしく大きい現代社会では、文化の伝達の速度も速いことは誰もがうなずけるでしょう。
 旧人や新人の時代に形跡を残している宗教の原型は、世代から世代に、そして人から人に、祈りや儀式としてともに伝えられているうちに、永住することになった地域の影響や、戦乱とか饑饉など天災によるなんらかの変化によって、仏教、キリスト教、イスラム教などの現代宗教に枝分かれして、それぞれが固有に体系づけられたと考えることもできます。それは、戦争や天変地異、さらには偉大な指導者によって模伝子があたかも突然変異をおこして、文化が大きく進化したのだともいえるのではないでしょうか。逆にいえば、そうした宗教も本来はひとつであったと思うのです。しかし、それには何千年という長い人間の歴史の中で祖先が定着した地域に適応して、それぞれ体系づけられたものであることを忘れてはなりません。

生まれながら模倣のプログラムをもっている

 人間の模倣能力は、学習能力や思考能力などと表裏の関係にあり、それが文化形成の原動力になっているという考えはうなずけるものです。
 しかもそれが、生得的なもの、心のプログラムのひとつなのです。生まれたばかりの赤ちゃんの前で、親が舌をだしてみせると、赤ちゃんもモゾモゾと口を動かしながら小さな舌をほんの少しのぞかせることでもそれは明らかです。
 母親が子育てのなかで赤ちゃんに働きかけ、それに赤ちゃんがなんらかのしぐさでこたえる、そのくりかえしのなかで、母親は赤ちゃんをより深く愛せるようになり、赤ちゃんのほうも母親に対してより深い愛着を覚えるようになることを、「母子相互作用」といいますが、模倣によるやりとりは、そのなかで大きな部分を占めます。
 そして、この母子相互関係を成り立たせる大きな部分が、じつは文化の伝承に関係する模倣行動と同じ基盤のものなのです。この模倣行動は、感覚的な認知とか思考とかに裏打ちされて、創造性や、文化形成、などに展開するのです。いかなる科学・技術の大発見も、学校での学習によって学んだもの(ある意味での模倣)のうえに、なんらかの思考が加わって大きな新しい飛躍をしたものなのです。
 そう考えると、人間とは、進化の過程で獲得した遺伝子情報によって組み立てられた生物機械であり、さらにものまねの心のプログラムに住みつく模伝子情報によって組み立てられた社会・文化との相互作用のなかで、秩序を求めながら生存している生物ともいえるでしょう。そして、その社会の秩序は平和のなかにしかありません。

このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。



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掲載:2001/05/25