トップページ サイトマップ お問い合わせ
研究室 図書館 会議室 イベント情報 リンク集 運営事務局


小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第2章「胎児期からの子育て-生まれた赤ちゃんはすでに1歳-2」

ストレスは胎児にどんな影響を与えるか

 妊娠中の強いストレスが具体的に胎児にどういう影響を与えるのかについて、人間に近いサルを使った実験の貴重なデータが報告されています。子を宿した母ザルを身動きできない状態にして、人間が監視する実験です。強い恐怖に襲われた母ザルはアドレナリンの分泌量がふえ、このホルモンが子宮に流れる血液量を減らすばかりでなく、子ザルの体内にも移って、血流を減らしてサルの胎児は酸欠状態におちいりました。そしてそれが原因で結局死産となってしまったのです。
 このように強い不安や恐怖におちいったとき、瞬間的にアドレナリンが分泌されるのは、人間の場合でもまったく同じです。それが、胎盤を介して、胎児の血流に入るのです。おまけにそういう強いストレスがおこると、子宮を収縮させるホルモンも分泌されて、流産という最悪の事態がおこる可能性も高くなります。
 身内の人が交通事故にあったというような強いストレスがきっかけで流産してしまった、という話もときには耳にします。「火事をみると、赤アザのある赤ちゃんが生まれる」という迷信も、火事という恐怖心をあおるようなものを、妊婦は好んでみるものではないという教えなのでしょう。そのかぎりにおいて、こういういい伝えも、科学の目で新しくみなおすことができるのです。
 といっても、第二次世界大戦のときに、東京や大阪をはじめ、日本のおもな都市が大空襲をうけましたが、そういうときに妊娠していた母親でも、なんの影響もうけずに立派な赤ちゃんを生み、それぞれたくましく育てていったのです。じっさい、同じ第二次大戦でドイツ軍のじゅうたん爆撃をうけたロンドンで生まれた赤ちゃんはどうだったかを調べたデータがあるそうですが、そんなに深刻な影響はなかったという結論がだされたようです。
 もし生まれたあとにも影響を与えるような強い刺激を妊娠中にうけたとすれば、胎児はその時点でおそらく流産してしまうのではないかと思われます。ですから、たいていのことならば、おなかの赤ちゃんはあまり影響はうけないものと考えてもいいでしょう。
 ともあれ、昔から考えられていたように、母親の精神状態が安定しているとか、あるいは妊娠中の節制を保つということは大切なのではないでしょうか。たとえば、妊娠中はあまり長時間はげしく自動車を乗りまわさないといった注意をしないと、未熟児で生まれるなどの可能性もふくめて、いろいろな問題があるということは否定できないのです。
 要するに、胎教はお母さんに対するひとつの戒めのような教えであって、それがすぐに赤ちゃんを教育する方法とは考えないほうがいいのではないか、と思っています。お母さんの心を安らかに保つためのものなのです。
 妊娠中の心の安らかさを保つことがいかに重要かをここで強く述べましたが、酒やタバコ、とくにタバコをすったりしてはいけないことは、言をまちません。お母さんの気がおさまっても、胎児にとっては毒作用を発揮することがあるのです。くれぐれも、この点は注意してもらいたいものです。

母親の精神状態が胎児の行動を変える

 くりかえしになりますが、前述したようないろいろな実験データがあるからといって、あまり神経質になってもらっては困ります。流産するほどのストレスというのは、めったにおこるものではないのですから。
 ただ、つぎの点だけはよく頭に入れておいてもらいたいと思います。それは母親(妊婦)の精神状態が胎児の行動に直接影響を与えるという研究成果です。くわしくは次ページの表をみてもらえればわかりますが、母親が悲しいとかゆううつといった不安定な精神状態にあるときには、胎児の運動時間は短く、その速度も普通より遅くなるのです。逆に、母親が嬉しいとか驚いたという興奮状態になると、胎児の運動時間が長くなり、速度も速くなって、ふつう以上に活発になるのです。
 こういうデータは、厚生省の母子相互作用研究班(母子相互作用ということばは非常に大切な考え方で、あとでくわしく説明します)が調べたものです。もともとは20年近くも前、私が責任者となって組織し、最初の6年間は私が中心となって研究してきた研究班ですが、その研究班のなかの、前にもお名前が出ました夏山先生がだされた成果です。
 どうやって、母親の精神状態と胎動との関係を調べたかといいますと、妊娠中絶をしてほしいと相談にきた母親の話をききながら、このデータをとったのです。超音波モニターでおなかのなかのわが子の動く姿をみせながら、「あなたの赤ちゃんは、もうこんなに動き、ちゃんと生きているんですよ」と、中絶をあきらめさせる説得をしながら、細かく観察したのです。
 相談にくる母親は、最初はやはり悲しい気持ち、不安な気持ちが強いわけです。しかし、夏山先生と話をしているうちに、とりわけ胎児がもう一人前の赤ちゃんとあまり変わらないぐらいに、いろいろな動作をしたりするという話をきき、その超音波の画像をみているうちに、驚きつつ興奮し、やはり生んでみようと決意するころには喜びの状態に達するわけです。
 そういう、母親の刻一刻の心の動きに応じて、胎児の運動の時間や質も変化しているということがわかったのです。非常に貴重なデータです。
 正直にいって、このようなデータは不思議でもあるし、どうあつかうかはなかなか難しいことではあるのです。おなかの赤ちゃんが、本当に母親の気持ちがわかるのだろうか、というわけです。
 しかし、すでに触れたように、悲しみや不安な状態におちいると、ホルモンのような因子の分泌が変わり、それが胎盤をとおして、間接的に、あるいは直接的に赤ちゃんの行動に影響を与えるのだろうと考えるのが、いちばん妥当なところです。
 ホルモンのような因子だけが、赤ちゃんの行動を律しているわけでないことは、もちろんです。先に述べた14週の胎児が、筋腫のでっぱりを回避する光景をみせられると、胎児はなにも知らないのだ、できないのだ、といったこれまでの常識が、いかに間違っていたかがわかります。
 胎児というのは、このように、あたかも一個の独立した人間のような行動をとることも少なくないのですが、しかし、そこはまだへその緒で母親としっかり結ばれているのですから、お母さんの感情の動きひとつで、行動がにぶくもなれば、活発にもなる。そのことを忘れないでもらいたいものです。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。


Copyright (c) 1996-, Child Research Net, All rights reserved.
このホームページに掲載のイラスト・写真・音声・文章・その他の
コンテンツの無断転載を禁じます。

利用規約 プライバシーポリシー お問い合わせ
チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)は、
ベネッセ教育総合研究所の支援のもと運営されています。
 
掲載:2002/01/18