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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第4章「母と子のきずな―母子相互作用−1」


日本式のオンブや添い寝が欧米で注目されている

 今からもう四十年近くも前になりますが、私はイギリスのロンドン大学の小児病院で腎臓病と関係して小児免疫学の研究をしていました。当時の私はいわゆる子どもの難病の原因を明らかにする研究に血道を上げていて、育児の問題にはあまり関心がありませんでした。
 ところが、ちょうど留学中に息子が生まれたのです。身近な問題として育児に直面したわけですが、そのころ、子どもの行動問題を研究しているイギリス人の同僚のひとりが、「日本では赤ちゃんをオンブして育てるそうだが、ほんとうか」ときくので、「いやぁ、もう日本も先進国になったから、あまり赤ちゃんをオンブしなくなって、乳母車に乗せているお母さんが多いよ」と答えたのです。赤ちゃんをおぶっているなんて、野蛮と考え恥ずかしく感じたのです。
 ところが、「それはもったいない。赤ちゃんをオンブするというのは、接触面が大きくお母さんと子どものスキンシップが十分にできるし、お母さんのにおいもわかるし、温かいし、いろいろ利点がある。そういうのはなるべく残したほうがいいんだよ」というのです。
 そのときは、その同僚がなぜそういうことをいうのか、よくわかりませんでしたが、その後、イギリスの小児医療の現場の問題をいろいろと見聞きしているうちに、その理由がわかってきました。
 というのは、当時イギリスでも、親が乳幼児を虐待して骨折させるとか、外傷を負わせてしまうといったケースが多くなっていて、小児科医の多くが社会的な問題として育児のあり方をあらためるべきだと考えはじめていたのです。
 イギリスでも、と書きましたが、じつはアメリカではもっと早くから「親のわが子に対する虐待」は大きな問題になっていたのです。私はイギリスに留学する前にアメリカに留学して四年半勉強しました。1954年(昭和29年)からですから、今から45年以上もになります。当時、自分でははっきりと気づいてはいませんでしたが、そのころすでにアメリカでは、虐待の問題がクローズアップされつつあったのです。
 この問題は深刻で、現在の実状を数字で示せば、母親や父親から虐待されて外傷や骨折で治療をうけている子どもが、アメリカでは年間で何十万人もいるということです。これは、前に申しましたように子どもの白血病患者の約10倍という多さなのです。
 しかし、残念なことに、わが国でも子どもの虐待は増えてきました。20年ほど前、白血病の子供たちの登録調査と同じ方法で、小児科医のみている虐待の子どもの数は、白血病の10分の1以下でした。しかし、いまや虐待される子どもの数は当時の数倍になっているのです。
 イギリスの小児科の医師が私に、「日本のオンブは子育てにいいよ」といってくれたとき、母子相互作用のことはまったく考えなかったのですが、東京のデパートからおぶいひもをとり寄せて、家内に息子をオンブさせてみたりもしました。
 それはともかくとして、親の子どもに対する虐待と、日本の伝統的な子育てスタイルであるオンブとがどんな関係にあるのか、ちょっと考えてみたいと思います。

未熟児で生まれると虐待されやすい?

 親から虐待されて骨を折ったり、外傷を負ったりする乳幼児があまりにも多いことに注目したアメリカの小児科医たちは、その原因をさぐりはじめました。
 そして、虐待される子どものなかには未熟児で生まれた子どもが、未熟児でない子のなん倍も多いということに気づいたのです。なぜ、未熟児で生まれると親から虐待されやすいのか? そこから、さまざまな分析と実証的な研究がはじまりました。
 そして、ひとつの結論として、「赤ちゃんが生まれた直後から、赤ちゃんと母親との人間的ふれあい、つまり頬ずり、抱っこ、添い寝、オンブといったスキンシップ豊かな子育て交流(インタラクション)が充分ないと、母親が母親になりそこなうことがある。生みの母親であっても、そういう濃厚なスキンシップのやりとりをとおしてはじめて、自分が生んだ赤ちゃんをかわいく思えるようになるし、愛情(母性愛)も湧いてくる。そういう体験がもとになって、はじめてゆるぎない母と子のきずな(母子結合:マザー・インファント・ボンド)ができあがる。もちろん、子どもは母親に対して愛着(アタッチメント)をもつ」という学説を導きだしたのです。
 ミシガン州立大学のM・H・クラウス教授のグループはこのことを母子相互作用(マザー・インファント・インタラクション)と名づけました。相互作用は上述の交流と同じ、と私は理解しています。その結果できる母と子のきずなは、相互作用による母と子のお互いの愛情の確立によって出来上がるという考え方です。
 虐待児の問題はもちろんのこと、最近はわが子をかわいいと思えないと訴える母親が多くなっている事実も、胎内にわが子を宿し、この世に生み出せば、自然に母と子のきずなはできるものではないことを示しています。第一に、育児書やミルクのコマーシャルに出ている赤ちゃんはかわい過ぎます。生まれたばかりのわが子のくちゃくちゃした顔をみると、期待はずれでがっかりする母親も決して少なくないのです。その赤ちゃんの顔は、御主人の遺伝子との組みあわせによることもあるのですが(?)。
 しかし、そんな母親でも、さらには「子どもは結婚生活のとばっちり」と、赤ちゃんを望んでいなかった飛んでる女性でも、子育てをしているうちに、わが子が目に入れても痛くないと思うほど、かわいく思うようなメロメロの母親になる場合が多いのです。すなわち、スキンシップ豊かな子育てをやって、わが子の自分に対する愛着(アタッチメント)が育つのをみているうちに、わが子に対する母性愛に目ざめ、それが湧くように育っていくものなのです。母性愛と愛着は表裏の関係にあり、相互的に成立するのです。愛の心のプログラムというものは、お互いにスイッチを入れあうものと言えます。これを母子相互作用というのです。男女の間でも、そうであることは、女性の方はどなたでもよくご存じのとおりです。ある意味では、どんな人間関係でも同じかもしれません。
 さて、未熟児は生まれるとすぐにインキュベーター(保育器)に入れられます。そうしないと生命が危険だからです。ところが、母親はガラスごしに赤ちゃんをみるだけで、なかなか抱っこできません。何週間かのちには母親の胸にもどされるのはもちろんですが、スキンシップをはじめる時期が遅れるぶんだけ、母親は自分の赤ちゃんになかなかなじめないのではないか。そしてそういうぎこちなさがつづいて、ますますふつうのスキンシップの回数が減り、接触の密度もうすく、したがって愛情も深まらない。それが子どもの虐待につながっているひとつの大きな要因だと考えられるようになったのです。
 「自分のおなかを痛めた子どもを、かわいいと思わないはずがない」という、よくいわれるような常識からすれば、母子相互作用などということをなぜことさらに強調するのか、と感じる人もいることでしょう。多発骨折させるほどに子どもを虐待する親が急増するまでは、アメリカでもそれがほぼ常識だったのです。赤ちゃんが生まれたら、母親・父親と赤ちゃんのあいだの人間的な心のきずなというものは、自然にできるものだと考えられていたのです。
 ところが、そうではないらしいと考えられるケースが、つぎからつぎへとおこってきたために、あらためて「母親が子どもに愛情をもつとはどういうことなのだろう」とか、逆に「子どもが母親を全面的に信頼するにはどういう条件が必要なのだろう」といった疑問がうかびあがり、その解決を迫られるようになったわけです。
 その結論のひとつが、母子相互作用という考え方でした。そして、内容はといえば、ある意味でオンブや添い寝にみられるような日本型スキンシップの見直しでした。日常的なそういう肌と肌のふれあいこそが、母と子のきずなを確立するのだと考えられるようになったのです。
 それに関連して、最近、あるイギリスの小児科医がこういっていました。
 「私の病院では添い寝をさせる。赤ちゃんが生まれたら、特別大きなベッドを用意して、母親と一緒に寝かせている。父親がやってきて泊っていきたいというときも、そのベッドに一緒に寝て下さい、ということにしている。」
 私はそのとき、いささかのユーモアをこめて「日本では家がせまいから、ふつうの家庭でもそんなことは自然にやっているよ」と返事しました。そして逆に私は、「イギリスでは、添い寝によって子どもが窒息したことはないか」とたずねてみました。当時わが国で赤ちゃんの窒息死が問題になっていたからです。すると、イギリスであった例は、母親がかなり酒をのんで酔って、寝こんでしまったような場合だけだったそうです。このような特別な事情がないかぎり、添い寝をしても不思議と母親が赤ちゃんを窒息させることはありえないのです。眠っていても母親は、子どもの体の動きに合わせて、鼻や口に障害物の無いように自分も体を動かしたり、払ったりしているのです。
 今では、母と子のきずなの「きずな」という言葉は、国際的(?)にもなっているようです。最初に「母と子のきずな」を提唱したクラウス博士も、私の友人で世界的に有名な小児科医ブラゼルトン博士も「キズナ、キズナ」と日本語で表現するようになりました。英語では、「きずな」を「ひも」とか「接着剤」を意味する「タイ」とか「ボンド」ということばで表現するのですが、「キズナ」という日本語のほうがはるかに余韻の残ることばで響きもよいし、人間らしい結びつきをあらわすのに最適だと思うのです。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。



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掲載:2002/11/08