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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第5章「人生の出発点における優しさの体験―4」

基本的信頼によって母親と分離し、自立していく

 前回、母と子のきずなをうまくもてた子どもほど、保育園の保母さんともきずなをつくりやすいと述べました。この意味をもう一度じっくり味わってほしいと思います。
 保母さんとのきずなをつくるためには、その前に、母親と離れて、保育園に入るという段階があります。生まれて間もないときは、余り問題はないと思いますが、1歳前後の子どもがお母さんと離れて何時間かをすごすというのは、その子にとってたいへん不安であるはずです。
 そういう不安を乗りこえていくことを、子どもの自立(親離れ)とよぶわけですが、いったい自立はなにによって支えられているのでしょうか。
 自立する前は、子どもは母親、父親に全面的に依存しています。すなわち、母親への、父親への愛着(アタッチメント)です。お母さんに抱っこされている時代は、ちょうど共生状態です。母と一体となっているのです。子どもはそういうアタッチメントの時代をへて、母親から離れて自立(ディタッチメント)していくのです。アタッチメントをすどおりして、いきなり自立することはありえません。その点が大きなポイントです。
 さて、自立には二つの側面があります。個人化(インディビデュアライゼーション)と分離(セパレーション)です。
 個人化というのは、自分で自分の身のまわりの世話ができるようになるということです。箸やスプーンを使って食事ができる、おしっこやウンチの始末ができる、衣服を自分で着替えることができる……など、さまざまな生活上のことが考えられます。
 分離ということは、お母さんから別れる、離れる、要するに巣立つということです。その背景には、母親をひとりの人間として認め、もはや母親とは一体ではないのだとする立場がもてるということです。たとえば、2歳の子どもが公園につれていってくれとねだったとしましょう。お母さんがそのとき「今、お洗濯しているから、これが終ってからね」とか「明日いきましょうね」と答えたとき、それを理解し我慢できるということです。我慢できるのは、お母さんの立場というものを認めるということです。それが分離です。
 保育園につれていって、「お母さんは、お仕事にいきますからね。夕方まで待ってらっしゃい」といったとき、我慢して、バイバイといって別れられるというのも分離です。
 なぜ、子どもは我慢できるのでしょうか。
 それは「洗濯が終ったら必ず公園につれていってくれる」、「夕方になったら必ず迎えにきてくれる」と信じるからです。赤ちゃん時代に、十分に愛着(アタッチメント)を体験したからこそ、母親への信頼が生まれるのです。別のことばを使えば、基本的信頼をもっていれば、子どもは分離し、個人化していくことができるのです。
 もちろん子どもは、分離と再結合をくりかえしながら、はじめは多少ごたごたしますが、じょじょに分離して、自我を確立していくというふうに考えてよいでしょう。基本的信頼に育てられたアタッチメント(愛着)が十分にあれば、あとは理性のなかでディタッチメント(自立)していくことができます。もちろん、母親や父親もそれなりに理性をもって、他人のやることをみて、その人の心がわかるようになる3、4歳になったら、しつけもふくめて自立をうながすようにしなければなりません。

自立ができないと間題がおこりやすい

 これまでのところをもう一度整理しておきましょう。
 母親と子どもは妊娠中は臍帯(へその緒)でつながっています。生まれてきたら、母親との母子相互作用を介して、心のきずなで結ばれます。それなくして、子どもは人生の初期を乗りこえていけないのです。
 やがて、あるいはほぼ同時に、父親が新しい人間関係として入ってきます。父と子のきずなです。そして、お父さんにもお母さんにも信頼関係ができあがると、幼児期に入り、第三の人間関係をつくり心のきずなを結びます。
 保育園にいけば、保母さんとの信頼関係ができてきます。さらに大きくなって、兄弟ができればその兄弟と、隣のおばさんが人間関係のなかに入ってくれば、そういう人とも信頼関係ができてきます。
 こういうふうに、親と子のきずなによってつくられた基本的信頼にもとづいて、ひとつひとつ段階をふんで、人間関係をふやすことによって、子どもは、人間に対する基本的信頼を深めながら、人間は信じられるものである、人生は平和であるという考えを確立し、独立していくことになります。人生の出発点から急速に沢山の人間関係をもたなければならない育て方をするのは危険なのではないでしょうか。
 もちろん、その過程のなかで、兄弟、近所の子ども、保育園の仲間と仲よく遊ぶという集団生活、ひいては社会生活の生き方を学ぶことも重要です。
 子育てのなかで、こうした自立、すなわち、分離、個人化、社会化(みんなと仲よく遊ぶ)ということが十分に行なわれないと、将来いろいろやっかいなことがおこるのではないかと心配されます。もちろん、時期的にみたり、やり方でみると、個人差があることを忘れてはいけません。
 たとえば、いじめ、不登校、非行、暴力、心身症(心のひずみが原因で病気になる)などの問題には、いろいろな要因がありますが、少なくとも遠因になるのではないかと考えられます。また、問題がおこった際対応するときにも関係するのではないでしょうか。
 理性なき育児の結果、過保護や過干渉は、心身症、登校拒否、場合によっては家庭内暴力につながり、逆にわが子をかわいいと思えず拒否的になれば、非行、登校拒否、校内暴力などにつながる傾向がみられます。もちろんそれには、学校の問題やあとで述べる思春期の問題も関係してきますから、すべてを親の育児上の問題だと、かんたんにわり切れないのがほんとうのところかも知れませんが。赤ちゃんの時の子育ての不手際、保育上の問題、さらに学校での問題が重なって問題がおこると考えるべきでしょう。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。


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掲載:2003/07/04