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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第5章「人生の出発点における優しさの体験―3」

知らない人にすり寄っていく子は危ない

 母親とのきずなをつくってやることは、子どもの発育に欠かせないことです。そして、母親や父親との豊かなきずなをもてた子どもは、他人、たとえば保育園の保母さんとも、てぎわよくきずなをつくることにも成功します。もっとも、保育園に入ったばかりのころは、ちょっとごたごたすることもあるかもしれません。
 ともかく、赤ちゃんの時に、優しく育てられることによってつくられる、母親や父親との信頼関係から、人間というのは信用できる、さらには生きていく人生は平和であるのだということを経験で学んでできた基本的信頼が、のちのちいろいろな人間関係をつくるところで大きく影響するのです。
 人間が生きていくには、ともかく人間というのは信じられるものだという信頼をもつことが基本になくてはいけません。そういう信頼を基本的信頼と呼びますが、赤ちゃんという人生の出発点で、まずは母親と、あるいは父親とのよい関係を結ぶことができるかどうかが非常に重要だといえます。それは想像以上に重要なことといわなければなりません。人間に対する基本的信頼をもてないまま社会に入ると、人間関係の上でいろいろな問題がでてくると思われます。
 もう15年以上も前になりますが、私は臨時教育審議会(いわゆる臨教審)の委員をつとめていました。戦後の教育体制のみなおしを図ろうとした審議会ですが、現状視察ということで、ある保育園にでかけたことがあります。するとそこの園長先生は、「ここでは1歳前の子どもから2歳、3歳の子どもをあずかっていますが、子ども達みんな楽しくやっています」とおっしゃったのです。私は以前、小嶋謙四郎先生(早稲田大学心理学教授)のいわれた「保育所にいる1歳から2歳までの子どもは、はじめての人がくると、その人に対する愛着がないので、保母さんのかげに隠れる子が多い」ということばを思いだして、その園長先生にそう申しあげたのです。すると園長先生は「うちの子どもはそんなことはありません。みんなのびのび育っていますから」と誇らしげにおっしゃったのです。そして、じっさいに子どもたちと会ってみると、小嶋先生のお話の意味がよくわかりました。
 はじめて会った子どもたちは、保母さんのスカートを握って、視察にきた私たちをうかがうように、はにかみながら、うしろからのぞいているのです。園長先生の話とは逆でしたが、小嶋先生の話では、そういう子どもは心配ないというわけです。
 なぜなら、そういう子どもは、保母さんと心のきずなができている証拠だというのです。家庭などの保育園以外の生活では、お母さん、さらには、お父さんとの心のきずなが充分に結ばれ、保育園では保母さんときずなをもっている。子どもはとりあえず、三つのしっかりした太いきずなのなかで生きているというわけです。その中で一番太いのが、お母さんと子の絆です。
 ところが、まったくはじめての、知らない人がきたときに、最初からすり寄ってくる子どもは、注意する必要があると、小嶋先生はおっしゃるのです。つまり、親の愛をうけることがないので愛に飢え、そうやって大人の関心をとっていかなければ生きていけない立場に立たされていると考えられるからなのだそうです。
 身近な保母さんとのきずながまずしっかり結ばれていて、知らない人がきたら、味方か敵かわかるまで信頼している人のかげに隠れてみている子どもが正常であり、将来も安心だというわけです。
 知らない人にも、ワァーッととびついていくような子どもは、ほんとうは誰ともきずなをもっていないから、愛情に飢えていると解釈できるでしょう。そういう子どもほど、将来、いじめなどのいろいろな問題をおこす可能性を心配するのは考えすぎでしょうか。
 こういう小嶋先生のお話を実証する例を、まのあたりにして、まことに教えられるところが多かったのですが、裏をかえすと、それほど赤ちゃん時代の母子相互作用、母と子のきずなの確立が大切だということになると思います。

母と子のきずなが人間を信じる基本になる

 臨教審の審議のなかで私は、母子相互作用が十分行なわれるような母乳哺育期間も含めて、最低1年間の育児休暇の実現を提案しました。今は、3年間くらいにすべきと考えています。もちろん、全期間というのではなくて、それぞれの都合のよいときに、1年くらいとれるようにすればよいと思うのです。それは、その大切な時期にスキンシップ豊かな子育てによって母と子のきずなをしっかりつくり、基本的信頼(ベーシック・トラスト)を確立することができるからです。人間は信じられるものである、これから生きていく人生は平和であるということを肌を介して、赤ちゃんの信ずる心のプログラムにスイッチを入れるのです。そうすれば、今社会で問題になっているいじめや校内暴力、家庭内暴力、あるいは登校拒否といった、現在教育の現場でもっとも問題になっていることを予防したり、それに対応する重要な手段をたてやすいという考えをこめたものでした。現在、育児休業制度も普及しつつあり、父親もとれる可能性がでてきたことは、うれしいかぎりです。
 現在の育児休暇は、労働力確保のためにできた制度ですが、今や母と子のきずなをつくるためにはどうしたらよいか、という立場で制度を考えなおさなければならないときなのです。女性のほうから、もっと積極的に運動を展開して、制度を充実してもらいたいと思います。男女平等より、女性を中心に考える政策が求められるのではないでしょうか。男女平等参画型社会より、女性指向型社会をつくるべきです。
 それはともかくとして、育児の最終的な目的は、今みてきたように、人間は信頼できる、世界は平和であるという基本的信頼を、とくに赤ちゃん(乳児)のときの子育てのなかで体験によって教えるということです。母と子のきずなをつくるという体験をとおして、それを赤ちゃんの心のなかにしみこませていくことです。赤ちゃんはそのことを必ず心のなかにとりこんでくれます。体験を内面的なものに消化する能力がどの赤ちゃんにもそなわっているのです。そのため心にプログラムされているのです。
 私たちは乳幼児期の子育ての体験を記憶していません。しかし、いやな人間、気にくわないできごとが充満している社会に生きていてもなお、私たちが基本的には人は信用できるのだと思いつつ生きていられるのは、いくら考えても思いだせない時期の親子関係によって信頼感がつちかわれたためだと思います。今度は、自分の赤ちゃんに対して、そういう考えをしみこませるような母と子のきずな、親子関係をつくっていくことが肝心かと思います。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。



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掲載:2003/06/06