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ウズベキスタンにおける初等教育の諸問題−小学校入学試験について−

ドラ・ホジマトヴァ 国際基督教大学大学院行政研究科
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今日の初等教育の概観

 ウズベキスタンにおいて小学校に入学するということは、十年前と現在とでは事情が異なる。今日の六歳や七歳の児童は、1980年代後半から1990年代初頭であれば学校で教えていたような基礎学力をすでに身に付け、万端を整えて小学校に入学して来る。

 ウズベキスタンでは十年余り前から、児童は小学校に入るためには入学試験を受けなければならない。この試験は各児童がこの先の勉学について行くだけの能力を有しているかどうかを学校側が判断するためのものである。

 児童の入学試験準備の重荷を幼稚園や保護者ばかりに背負わせてはならないと、小学校側は未来の児童達を対象とする週末の「特訓教室」を設けている。この週末の教室を参加者たちは「日曜学校」と呼んでいる。自分の住所が将来通学することになる小学校の地区内にありさえすれば、どの児童もその小学校の週末の教室に申し込むことが出来る。週に一回、幼稚園の園児は全日を小学校で過ごし、1コマ30分の授業を3コマ受ける。学校で教えられる授業の内容は、基本的には、アルファベット、算数、図画などである。

 このような特訓教室は、児童達が目前に控えた学校生活に適応できるようにするためのものである。それは児童にとっても新しい経験であり、教室に行って、新しい友達に出会ったり、先生の指導で新しい技術を習得する。授業の合間の休み時間を上手に利用することを学ぶ。各授業に遅刻しないことの大切さが分かるようになる。さらには、児童達は初めてお小遣いをひとりで使って、おやつや授業に必要な文房具を買うことを学ぶ。

 日曜学校は児童にとって良い影響を及ぼすこともあれば悪い影響を及ぼすこともある。日曜学校に通うのが好きな児童は、自然と学校生活にうまくなじみ、準備教室に来たがらない児童に比べて、自分の教科の習得能力により大きな自信をもつ。日曜学校に来るのを拒否する児童の場合、入学試験への準備は、おおむね保護者と幼稚園の責任となる。

 この場合、児童の読む力、書く力、算数の力、絵を書く力を伸ばすことにひたすら集中しなければならない。それと同時に、児童が自然、家庭、家族というものをきちんと理解しているか、「どちらが家畜で、どちらが野生の動物ですか」というような質問に答えられるか、などもチェックする必要がある。さらに、児童達はいくつかの短い詩を覚えて暗誦できなくてはならない。これらすべてが小学校入学試験の基礎となっているのである。

 試験は心理学者、小学校教諭、第三者的立場の教師(教科を問わず、学校側が選択する)の三人の試験官によって行われる。時間は10〜15分に限られ、児童が緊張せずに自分の知識をちゃんと発表できるように、つとめて温かい雰囲気の中で行う。質問に答えない児童や、その場を離れたがる児童もいる。そのような場合、心理学者が入りゲームのような質問をする。児童達は幼稚園や日曜学校で教えられた問題についての質問を受ける。この質問の中には、国旗や国歌というような、国に関しての質問もある。

 このような試験の目的を要約すれば以下のようになる:
  1. 児童の全体的な発達のレベルをみる。
  2. 児童が心身ともに通学にさしつかえがないことを確認する。
  3. (何らかの障害により)特別な教育施設に通学が必要だと思われる児童を見分ける。
  4. 児童の発達面で教師が特に注意して指導しなければならない側面を明らかにする。(恥ずかしがりやなのか、おとなしい児童なのか、あるいは長い時間じっと座っているのが嫌いなのかなど。教師がこの個別の児童とうまくやっていくのに役立つ事項であれば何であれ。)
  5. 小学校が保護者にとっても児童にとっても重要課題であるようにし、責任感を与えるための公的儀式。
  6. 個々の学校の名声とイメージにふさわしい、適切な人数の児童が入学に選抜されるようにする。*
近年専門化した学校の数が増加している。小学校二年から外国語を教える学校、数学に重点を置く学校など。
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初等教育の入学試験が児童と保護者に与える影響についての分析

 学校側はあくまでも7歳での入学の方が好ましいと考えているが、親には子供を6歳から通学させるという選択肢もある。中等教育が10年から12年に制度変更されたため、親は子供をできるだけ早く学校に行かせようとする。そのため6歳または6歳半で子供を小学校に入学させたがる親も多い。しかし、すべての児童がこのような幼児期に幼稚園の遊び場から学校の机へと移行できるだけの分別を有しているわけではない。いったん初等教育が始まれば、児童はかなりの時間を教室で過ごし、一日に3〜4教科の勉強をしなくてはならないということに留意すべきである。これは、6歳児の場合には、精神的にも、情緒の面でも、まだ小学校の規則や授業に見合うまでに成熟していないので、より大きなストレスとなりうる。

 もちろん日曜学校は6歳児にとっても7歳児にとっても、小学校入学、とくに入学試験の準備に役立つという大きな役割を担っている。小学校生になる年齢に達した児童の70%が実際に日曜学校に通っている。しかしながら、そのうちの三分の一は、勉強をしたくない、学校へ行きたくないと言っている。授業は難しく、学校は楽しくないと不満をもらしている。これは明らかに、近々小学生になろうとする児童の前向きな態度を育むにあたってプラスとはならない。前向きな態度とは、彼らが将来学校や勉学、困難な課題に向かうときに欠かせない姿勢である。

 さて、以上のような状況を過去の初等教育制度の状況と比較してみたならば、古い制度下では児童の95%が、つまりはほとんどの児童が小学校に通うことは楽しいことだと思っていたのではないか。10年前、幼稚園を修了した児童達は、就学前に算数やアルファベットを勉強させられることはなかった。このような教科は、小学校の第一学年でとりあげられた。日常の学校活動は、先生の助けを受けつつも同級生と一緒になって学んだ。ほとんどの児童が小学校での初めての日、あるいは週、月について好印象を得て帰宅したであろう。クラスの中で生徒の知識は大体同レベルであり、幼稚園で教えられる範囲であってそれ以上ではなかった。もちろん、なかには例外的に既に読み書きのできる、能力のある児童もいたが、それは特殊なケースであったし、またそのような児童は、学校が始まる前から自らすすんで勉強したがったのであって、勉強を強制されたわけではない。

タシケント市在住の、五歳女児をもつ働く母親の声

「私達は娘のために良い学校を探しています*。娘が来年6歳になったら、通学を始められると私は思っています。ですから学校教育が始まる前に、どこの日曜学校に通わせるかを決めなければならないのです。
私は働いていますから、思うように娘の入学試験準備に時間をさけないのです。ですから日曜学校が私に代わってしっかり指導してほしいと思います。娘はまだかなり幼いことは承知していますが、でもきっと出来ると思います。正しい態度さえ心得ればよろしいのです。つまり授業を義務だと思わず、面白いゲームだと思うということです。
すべての児童が7歳未満で学校生活の重荷に耐えられるわけではないと言うことは認めます。例えば、私の長男は、特別な準備教室に行くのをいやがりました。7歳になるまでは学校に行くのを拒否しました。私の観察では、一般的に言って、この頃が子供にある程度責任感ができ、遊びと勉強の切り換えのできる最適の時期であるということです。たった半年若いだけでも、ただ「いやだ」というだけで勉強することを拒む児童もいるでしょう。ですから私は息子には彼の意志に逆らってまで何かをさせようとはしませんでした。好きなことをやらせたいと思ったからです。」

普通の学校ではなく、おそらくは特定の教科に重点を置いている学校。設備がけた違いに整っているとか、海外で研修を受けた先生がいるとかで名門校とされる学校のことだと思われる。

 子供を学校に入学させるためのこのようなプレッシャーを好ましくないと思う親もいるだろう。しかし、上記の女性のように、現在の初等教育が子どもに要求するものに対して、態度を改めた親も多い。時代や状況、現代社会の要請が昔とは異なることを理解しているのである。心配することはただ一つ、自分の子供がきちんと準備ができていなければ、他の生徒について行けないのでは、ということである。

 授業での消極的な姿勢は、児童の成績に影響し、それがひるがえっては児童の人格の全般的な形成に深刻な影響を及ぼすかも知れない。どの親も自分の子供が成功すること、クラスでトップクラスにいることを望むので、たとえ子供自身にはその気が無くても、入学試験に向けて猛勉強させようとする親も多くなる。

 こういった状況下では、子供たちは、かなり小さいうちから勤勉や競争の概念を学ぶであろうから、それは良いことである、と言うこともできる。すなわち、それは子供が将来、良き職業人、良き市民、あるいは単に良き人間になるように導いてくれるものなのだと。しかし私個人としては、個別の年齢的特徴にもとづけばまだ機が熟していないのが明らかであるようなことを、無理にやるようにしむける必要が本当にあるのかどうか疑問に思っている。延長された中等教育の時間を埋め合わせるために親が作り出した便法として、7歳前に学校に入学させるのであるが、もし子どもがそうしないで一年を「失う」ことが、それほどの大事件なのだろうか。

 初めて学校に行くと言うことは楽しい出来事、どの子供にとっても全く新しい生活への第一歩になるような出来事でなければならない、というのが私の考えである。だからそれは何か恐ろしいことではなくて、子供が喜んで迎える出来事でなくてはならない。

 小学校入学試験に向けての集中的な準備、これは幼稚園での最後の二年間のうちに行われるのであるが、その時期を確保する一つの方法は、この二年間を小学校教育の一部として取り扱うことである。この方法によって、親と児童双方のストレスを、除くとまでは行かなくとも軽減することになろう。日曜学校でカバーしている科目は幼稚園のプログラムでカバーすべきである。米国のような先進国ではそうなっている。先進国における教育の成功モデルを研究し実行に移すという発展の道をウズベキスタンが選んだからには、これが未来の究極の目標なのかも知れない。

 結論として私は、ウズベキスタンの教育制度全体の中で、初等教育の現状はかなり良好で、有望な姿を示していると断言したい。初等教育の内容は以前よりも豊富になっている。授業で用いられる教科書は今日の世界情勢に合わせて改訂され、児童が早期からグローバル化や国際主義などの概念に親しむよう配慮されている。加えて、児童の情緒面の健康には多大の注意が払われており、各学校には児童心理学者が配置されて児童の健全な人格形成をチェックしている。おそらく入学試験という構想は、教育全般の質を向上させるために持ち出されたものであろう。なぜならば、初等教育制度がうまく計画されている事が、最終的には教育水準の各段階での向上につながり、個々の児童のもつ独自の能力を向上せしめる結果をもたらすからである。


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