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チェンマイ研究便り

田中治彦 立教大学文学部教授

I - i. 開発教育とは
ii. ヨハネスブルグ・サミット
iii. タイとの出会い
II - i. 「ピン川」カリキュラムとは
ii. 日本・タイの教材を介しての交流
III - i. NGOの参加型学習
ii. タイで「貿易ゲーム」をやってみた
iii. チェンマイ滞在の成果


I - i. 開発教育とは

 昨年(2003年)の9月よりタイ国のチェンマイ大学で1年間研究生活を送っています。タイでの研究を紹介する前に、私がこれまでやってきたことをお話ししましょう。私は立教大学では社会教育と開発教育を教えています。開発教育については最近はようやく一般にも広まってきましたが、まだなじみのない方も多いと思われますので少し説明しましょう。

 開発教育は日本では1980年頃から始まった教育活動で、当時「開発途上国」と言われた国々が抱える諸問題や国際協力のことを日本の子どもや市民に伝える教育学習活動でした。タイも含めた「南」の国々の貧困や貧富の格差の問題を見つめて、それらの問題を解決するために、日本のような「豊かな」国に住む私たちに何をできるかを考える学習活動です。日本では開発教育協会(DEAR、当時の名称は開発教育協議会)がこの運動を進め、今では全国に1000人くらいの会員がいます。私は設立当初から関ってきましたが、2002年からはDEARの代表をしています。

 貧困や南北格差の問題を扱うと聞くと、何やら難しい教育活動に思えるかもしれません。しかし、実際はやりがいのある楽しい学習です。というのは、「南」の国々の人々の生活や文化を知ることは興味深いですし、彼らの生活や生き方から自分たちや日本を振り返ることもしばしばです。また、最近は例えば「世界がもし100人の村だったら」を題材にした参加型体験型の教材が多数開発されるなど、魅力的な教育活動になっていて多くの人がワークショップなどに参加しています。「世界と出会うことで、自分を見つめ、他者とつながり、社会に関わる糸口を見つける」という学習プロセスが、特に若者に人気がある理由でしょう。
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I - ii. ヨハネスブルグ・サミット

 このように開発教育の考え方も20年前と比べると随分広いものになりました。最初は「南北問題学習」や「援助教育」の側面が強くて、実際に「南」の国々で援助活動をしてきた青年海外協力隊員や国際協力NGOの関係者が、自らが見てきた悲惨な現実を日本の人々に伝える、ということをしていました。しかし、その後「南」の問題が実は日本の問題と深くつながっていたり、あるいは開発問題が環境問題、人権、平和、多文化共生といった地球規模のさまざまな課題と密接に関係があることが明らかになりました。

 2002年に南アフリカ共和国のヨハネスブルグで地球環境に関するサミット*1が開かれました。その際に2005年から10年間を「持続可能な開発のための教育の10年」*2とすることが決まりました。持続可能な開発とは、単に生態系の維持といった環境の側面だけでなく、貧富の格差の解消、文化・宗教・民族の違いを超えた共生、などが強調されていて、これまで開発教育がめざしてきたものと一致します。
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I - iii. タイとの出会い

 そこで今回私がなぜチェンマイで海外研究をすることになったか、についてお話ししましょう。私が北タイと出会ったのは今から13年前にバンホーンという村でワークキャンプをしてからです。その時は、村の人たちと一緒に保育園の塀作りをしました。その後、毎年のように北タイを訪れて学校やNGOなどを訪問してきました。幸い昨年から海外研究休暇がとれることになり、これまでの断片的な調査ではなく、この際きちんとまとめてみたいと思った次第です。せっかく1年もいるのでタイ語も学びたいと思いました。

 そこで研究テーマですが、持続可能な開発のための教育がタイという国のなかでどのように実践されているのか、あるいは今後どのような課題があるのか、ということを探ることが主な目的です。そのために、タイの学校教育で行われてきた環境教育について調べたり、貧困の解消や人権の擁護のために活動しているタイのNGOの教育学習活動について調査しています。とりわけ参加型開発や参加型学習と呼ばれる教育活動に注目して、それらがタイではどのように取り入れられて、どのように消化されてきたのかを聞いています。日本でも参加体験型の学習の必要性が叫ばれるようになったのはここ10年くらいのことですが、実はタイでもほとんど同じ時期に導入されて発展してきました。
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II - i. 「ピン川」カリキュラムとは

 ピン川はタイ−ビルマ国境を源流として、チェンマイ市を横切り北タイ一帯を潤し、やがてチャオプラヤー川に合流してシャム湾に注ぐ大河です。ピン川保全協力協会に集う北タイの先生方は、3年かけて「私たちのピン川」と題するカリキュラムを開発しました。私はこのカリキュラム作成のセミナーと完成したカリキュラムの研修会に参加して、ピン川カリキュラムに大変感銘を受けました。それは、ピン川カリキュラムが次のような特色をもつものだからです。

 ひとつはこのカリキュラムは文字どおり「総合的」であって、「理科」「社会」「表現」のバランスがよくとれていることです。川を題材にしたカリキュラムはとかく水質測定など理科的な要素に偏りがちです。それに対してこのカリキュラムでは、川沿いの地域に出かけていってその村の水利や産業について調べたり、古老に過去のピン川について聞き取りをする、などの学習活動があります。

 また、導入部分ではピン川を歌った曲を聞いて過去のピン川をイメージして絵を描くという活動があります。さらに調査報告のやり方も多彩で文章あり、絵あり、歌あり、演技あり、といったところです。カリキュラム自体すべての教科で展開できるようにくふうしてあり、小学校から高校まで使えます。すべて行おうとするとおそらく30時間以上はかかりますが、クロスカリキュラムなので各教科に落として同時並行で実践しています。

 第二の特徴は、このカリキュラムが過去のピン川、現在のピン川、将来のピン川と時系列的に進められていることです。過去と現在の現実を知り、村人たちの知恵やNGOの保全活動に学びながら、最後はこれからのピン川をどうしたらよいのかというプランニングにまで至ります。持続可能な開発のための教育のモデルのようなカリキュラムです。*3
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II - ii. 日本・タイの教材を介しての交流

 昨年の12月に私がカリキュラム作成のワークショップに参加したときのことでした。チーム・リーダーのワサン先生(チェンマイ大学)から「日本の環境教育の活動を紹介してもらえませんか」と言われました。そこで開発教育協会が作成した「パーム油のはなし−地球にやさしいってなんだろう?」という教材の一部を実際にやってみました。タイの先生方はこの教材の手法である参加型の学習*4にとても関心をもってくれました。

 そこで、日本の開発教育協会のメンバーとタイのピン川カリキュラムのグループが交流すれば双方にとって得るものは大きいだろうと考えました。
 というのは、日本では2002年から総合学習が始まり、環境や国際理解の実践が進んでいます。タイも同じ年にカリキュラム改革があり、「ローカル・カリキュラム」が導入されてカリキュラムの約3割が地域や学校に委ねられることになりました。参加型の学習や学校独自のカリキュラムづくりが強調されているのに、現場の先生方はそのやり方に慣れておらずとまどっている、という事情は日タイに共通するものだからです。

 「持続可能な開発のための教育(ESD)のカリキュラム・日タイ交流セミナー」はこの8月19-21日にチェンマイYMCAを会場にして行われました。日本とタイの教員やNGOスタッフそれに学生ら約50名が参加。日本側からは前述の「パーム油」に加えて「地球の仲間たち」と「レヌカの学び」という多文化理解のためのワークショップが紹介されました。タイ側からはピン川カリキュラムが説明され、中1日のフィールド・トリップでは環境教育を実践しているチェンダオの中学校と、ピン川の保全活動を行っている2つの村を訪問しました。

 日本側の参加者はピン川保全のために村人とNGOと教員とが緊密に連携していることに感心していました。またタイの参加者は欧米のワークショップとは一味違う開発教育協会の教材に大きな関心を寄せていました。今後とも年に1度程度、このような日タイ交流セミナーを開いて、持続可能な開発のための教育を両国が協力しながら推進したいと考えています。*5
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III - i. NGOの参加型学習

 北タイのNGOが参加型学習の手法に積極的に関心を示したのは今から15年ほど前のことでした。北タイのNGOは1980年代に農村開発、保健医療、教育などの活動を積極的に展開していたのですが、これらが数年を経ずして行き詰まったからです。その原因のひとつは、プロジェクトが「上から下へ」行なわれていたことにあります。すなわち、大学卒の優秀なNGOスタッフがその知識と技術をそのまま村レベルに導入しようとしたのです。結局村人たちにはプロジェクトの意味が理解されず、技術も地元のニーズに合わず、結果的にプロジェクト自体が成功しなかったのです。

 この苦い経験からNGOは「ローカル・ウィズダム(土地の知恵)」を重視して、村人とともにプロジェクトを進めるように方向転換することになりました。例えば、IMPECT(Inter Mountain Peoples Education and Culture in Thailand Association /タイ山岳民族教育文化協会)では、山岳民族の人たちが知っている森の中の薬草に関する知識をまとめて記録しそれを活用する、というようなことをしています。あるいは前回出てきたピン川保全協力協会では、ピン川沿いの村々が百年以上に渡って使用している木と石による人工堰の知恵と知識を収集し共有するというようなことをしています。そして、新たなプロジェクトの計画から実施の過程に村人を実質的に参加させることが求められました。いわゆる「参加型開発」といわれるものです。

 しかしながら、当時のNGOには参加型開発の理念はわかっても、どうやってそれを実現してよいのかという「手法」がありませんでした。そこで、1980年代の後半にチェンマイ大学やNGOのリーダーが共同で、参加型開発の提唱者のひとりであるロバート・チェンバースをタイに呼んできてPRA(参加型農村調査法)などの参加型開発の具体的な手法を学ぶことになります。*6
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III - ii. タイで「貿易ゲーム」をやってみた

 今回の私の調査では、北タイで参加型学習がどのように行なわれてきたのか、そしてDEAR(開発教育協会)がもっているワークショップの手法と交流できないものか、という点に関心がありました。しかしながら村レベルで行なわれている参加型開発とそれに伴って行なわれている参加型学習を調査するのは容易なことではありません。参加型で行なわれる開発というのは3−5年といった時間を必要とするものですし、何よりも村では標準タイ語ではない北タイ語を理解しなければなりません。私の限られた滞在期間ではそれは無理でした。

 さまざまなNGOを回ってインタビューするなかで、この5月にようやく調査の糸口を見つけました。それは北タイ開発財団の一部門である持続可能教育促進研究所(ISDEP)を訪ねたときでした。ISDEPはNGOのスタッフや村のリーダーを対象に指導者養成を行っている団体です。彼らのNGO研修会の様子を見たのですが、そのときはジェンダーをテーマにワークショップを行っていました。そこで行なわれていたことはDEARが普段やっていることと大筋で共通していました。

 所長のプラヨットさんにDEARのパンフレットを渡して私たちの活動を説明しました。すると、プラヨットさんはDAERの教材の中でも特に「貿易ゲーム」*7に関心を示しました。「タイのNGOは、グローバリゼーションを村人にどう説明してよいのかわからず困っています。NGOは難しい事柄をより難しく説明しがちなのです。このゲームはシンプルで面白そうだ」と言うのです。

 そこで日を替えて私がISDEPで「貿易ゲーム」を実際に行うことになりました。当日は10数人のNGOスタッフが集まりました。皆さん、ゲーム自体にもとても没頭してくれましたが、その後の議論は延々1時間も続きました。このゲームをタイでどのように活用できるか、ということとグローバリゼーションとは何なのか、ということが議論の中心でした。プラヨットさんは最後に3つ要望を出されました。ひとつは、DEARの他のワークショップについても紹介してほしいこと、二つめは自分たちが村で行っている参加型学習を観察してもらってアドバイスしてほしいこと、三つめは日本で参加型学習を学びたいこと、でした。特に二番めの申し出は私にとっては今後の調査を進めるうえでとても嬉しいことでした。
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III - iii. チェンマイ滞在の成果

 前回ご報告した持続可能な開発の日タイ交流セミナーやISDEPでのワークショップを通して感じたことは、日本の開発教育関係者がこれまで作成してきた教材やワークショップは国際的にも十分通用するということです。またそれらの作品は、非常にきめが細かく作りが丁寧であるという特徴をもっています。このあたりは日本の電化製品や職人のこだわりを感じさせるものがあり、私たちも日本文化のよいところを受け継いでいると実感しました。

 この8月で1年間のチェンマイ滞在が終わりましたが、ピン川保全協力協会に関わる先生方やISDEP周辺のNGOスタッフたちと知り合えたこと、そして今後の調査研究や国際協力の礎を作ることができたことが今回の海外研究の最大の成果でした。




*1 持続可能な開発に関する世界首脳会議(ヨハネスブルグ・サミット)公式サイトはこちら
*2 「持続可能な開発のための教育の10年」推進会議公式サイトはこちら
*3 「ピン川」カリキュラムの翻訳作業を現在進めています。邦訳完成をご期待ください。
*4 開発教育協会が作成する参加型の学習教材等、出版物・教材全般についてはこちらで参照できる。また、約150点の教材を収録したデータベース「教室と世界をつなぐ教材カタログ」も参考になる。
*5 持続可能な開発のための学びについてはこちらが詳しい。
*6 ロバート・チェンバースの参加型学習の手法については『参加型ワークショップ入門』(明石書店、2004年)を参照されたい。
*7 「新貿易ゲーム」(開発教育協会・神奈川県国際交流協会 制作・発行)についてはこちらが詳しい。


田中治彦(たなかはるひこ)
立教大学文学部教授。開発教育協会代表理事。2003年9月からチェンマイ大学客員教授(2004年9月まで)。専門は社会教育、開発教育。研究室のホームページはこちら


「チェンマイ研究便り」は2004年7月30日、8月27日、10月1日と、3回にわたりCRN・TOPICSに掲載された内容を編集・転載したものです。



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