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ユーモアのセンスと子ども

マレーネ・リッチー、理学士/看護学修士/インターナショナルエデュケーター
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16ヶ月の幼児、カイルに会うのを私はずっと楽しみにしていた。リビングルームに入ってくる知らないおばさんに戸惑っているようだったが、子どもの目線に合わせて身をかがめ、持ってきた音の出る玩具を手渡した。カイルは、まっすぐに立って歩けるようになったばかりで、短い歩幅でヨチヨチと歩いている。お母さんのクリスが玩具の包みを開けてくれた。軽くトントンと打つと、いろいろな音色を出す玩具の楽器で、カイルはしばらく遊んでから、私にも演奏するようにと手渡してきた。ママが、ぬいぐるみのお猿さんを見せるようにとうながしたが、カイルは他の遊びの事で頭がいっぱいのようだった。よちよちとテーブルの周りを歩き回り、父親がその後を追う。長い足の父親に追いつかれると、今度は両手を床について、テーブルの周りを笑い転げながら全速力で這い回る。180センチのパパも這いつくばって再び迫ってきた。それでカイルはママの椅子の後ろに隠れ込んだ。皆が笑っていた。

この記述のポイントは二つ。カイルはこの月齢でもう既にユーモアのセンスを持っていること、父親であるジョンも息子との遊び方をよく知っていて、息子が自然にユーモアのセンスを培うようにうながしていることである。哲学者や研究者たちは、ユーモアのセンスが遺伝的なものであるか議論を重ねているが、性格的な特徴は遺伝によるものであるとしても、ユーモアのセンスは誰もが発達させることができるものであるし、重要な対処メカニズムの一つであると私は考えている。

ユーモアの概念−ウィキペディア百科事典の定義によると、ユーモアとはコミュニケーションにおいて、他の人々を楽しい気分にさせ、思わず笑わせたり、幸せな気分を味合わせる、人の能力あるいは性質、または物や状況を言う。ユーモアのセンスとはユーモアを楽しむ能力であり、すべての人々が共有するものであるが、地理的な位置、文化、成熟の度合い、教育のレベルやその時の状況などによって変わってくる。

ロンドン大学・精神医学研究所のグレン・D・ウィルソン(Glenn D. Wilson)氏は、ユーモアはほぼ正反対の二つの極にまたがっており、笑いは敵意と優越性の表れであるのに対し、ほほ笑みは楽しい感情や他人の気持ちを和らげるための表情であると述べている。ユーモアは、脅威に続く安堵のシグナルから成るようだ。笑いは最初ストレスのシグナルを発する。つまり、脈拍数の増加、血圧の上昇、筋肉の痙攣が最初に起きるが、長くは続かず、弛緩がすぐにこれに続く。この一連の変化に、なにかしらの精神浄化作用があるのは明らかである。

ユーモアに関する諸説、研究−過去においては哲学者、その後は科学者がユーモアについて研究している。いくつかあげてみると、プラトン(Plato, 425-348 B.C.)は、ユーモアを笑いの一つとして捉え、笑いとは楽しさの表れで、他人の不幸や痛みをほくそ笑み、悪意を表すことと書き記している。滑稽さを認識することは、痒いところを掻き毟って、すっきりするのに似ている。ベン・ジョンソン(Ben Jonson, 1572-1637)は、コメディーは、心の治療にいいと述べた。トーマス・ホッブス(Thomas Hobbes, 1588-1679)は、さらに踏み込んで、ユーモアとは、何かしら新しくかつ予期していなかったという要素を含んでいなくてはならないとしている。デーヴィット・ハートレイ(David Hartley, 1705-1757)は、恐れと笑いの関係を最初に理論付けた哲学者である。赤ちゃんは最初に恐怖を感じ、その恐怖が取り除かれたときに喜びを感じる。赤ちゃんを空中に放り投げると、赤ちゃんは空中から落ちて再び大人の腕に抱かれたときに笑い出す。しかし、ずっと放り続けていたら、恐怖が許容の範囲を超えて、泣き出してしまうのである。子どもはしゃべることや歩くことを学ぶように、笑うことを容易に学ぶ。兵士は、危険な状況を脱すると笑う。イギリスの自然科学者、チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin, 1809-1882)は、動物界では、鳴き声が異性を惹きつける手段、同じ群れの仲間の中で出くわした喜びの感情を表現する手段であると記している。ジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)は、抑圧から解放されたとき、抑圧に対処してきた精神的エネルギーが放出されて爆発的な笑いになるという説を掲げていた。子どもは、怖いものだらけである。子どもは、大人が転ぶと優越感を感じて笑う。「あなたは転んだけど、私は転ばないの。」(バーグラー、Bergler)

ユーモア療法−私の友人が近頃心臓のバイパス手術を受けた。いままで体験したことのない厄介な問題が山積みで恐ろしい経験である。友人の執刀医は、ひょこひょこと歩く明るい男だったが、ある日、彼は以前自分が担当した患者が友人の隣のベットで寝ているのに気づき、話しかけた。「ホワイトさん、まんまと私の手術を免れましたね。あなたがゴルフコースで意識を失ったとき、スミス医師が呼ばれて手術を担当したからね。でも本当に運が良かったですよ。今週スミス医師が素面だったのは、その日だけですから。」話の落ちが、想像していたものと全く違っていて、私たちは皆、大声で笑った。スミス医師は彼よりも腕がいいと言うのかと想像していたのだった。スミス医師が酔っ払いだとは誰も思っていない。患者たちの気持ちを軽くするための冗談だった。私は胸のつかえが取れたように感じ、将来に対し楽観的な気分になった。

笑いは不快な感情を放出する好機を作り出すものだ。不快な感情をずっと内に抱えていたら、体に害となる生化学的変化をもたらすかもしれない。状況や問題を笑い飛ばすことができれば、それらに対し優位に立ち、力を振るえるような感じを得ることができる。心理学者による多くの研究で、ユーモアは気分障害を和らげるものであることがわかってきている。34パーセントの人々しか、自分の感情をうまく保つのにユーモアを活用する(ルーシュ, Ruch)と答えていないのは残念なことだと思う。うつ気味の人々は、自分の置かれている状況をユーモアをもって見ることができない。

−ピーター・ダークス(Peter Derks, William and Mary College, Williamsburg, Virginia)は、被験者がユーモアに接しているときの脳波を記録した。(1)大脳の左半球は言葉を分析し始めた。(2)脳活動のほとんどが前頭葉(感情の中枢)に移動した。(3)右半球の活動が左半球に加わり、「冗談を理解するために」一緒になってパターンを形成し始める。(4)活性化した脳波の活動は脳の知覚をつかさどる後頭葉にも及び、(5)激しさを増し、細い三角形を描く脳波の揺れは、脳が冗談を理解したときに最高潮に達し、外部に向けた表現として笑いが起こる。ユーモアは脳の様々な分野の活動をいっせいに引き起す。ユーモアは防御的メカニズムである。抑圧と違い、苦しい思いを覆い囲むわけではないが、楽しい気持ちを放出させて、苦しい体験からエネルギーを引き上げ、ワンクッションおいて見つめる方法を見出させるものだ。

子どもが笑うのはなぜか−R.W. ウォッシュバーン(Washburn)は子どもは大人よりよく笑うと記している。子どもは大人よりも恐れているものが多い。転んでは、それほどひどく怪我をしないことを覚え、笑って「転びたかったから、転んだだけ。」と言う。昔怖がっていたことが、実はおもしろいことだとわかり、これからはうまくやれると感じる。精神分析家アンナ・フロイド(Anna Freud)は子どもは言葉だけで変わることはないと語っている。大人が一緒にやることが子どもには大切である。最初に登場したカイルの父親、ジョンは追いかけっこに加わっていた。普段大人に対して無力であると感じているカイルも、この時は自分の力を感じることができただろう。彼は笑っていた。転んだ子どもがそう思うように、自分の負けを楽しんだからだ。このような気持ちは、人が生来もっている感情で、原始的な反応である。カイルも特に意識していたわけではないと思うし、社会科学の研究論文を読むまで、子どもが何故笑うか、私もまたわかってはいなかった。無力感で絶望に陥ったとき、その防御作用として人は無意識に笑うのである。大人たちは、カイルの父親のように大きな大人に幼児が追いつくなど有り得ない遊びに対して笑った。笑いが皆の気持ちをつなげ、喜びを分かち合ったのだ。

笑いの他の理由−文化もまた一要素である。ある文化では、笑いは驚き、不思議、困惑、気まずさを表すものである。笑いが喜びや幸せを表すものでないとしたら、怒りや不名誉、恥、愚弄、軽蔑などの他の感情を隠すために、強要されるものではないだろうか。

子どもが笑うようになるには−ユーモアを育てるには、言語的及び非言語的方法がいくつかある。
面白い音:お箸で赤ちゃんの口に食べ物を近づけるとき、飛行機のような音を出したら、赤ちゃんは笑うだろう。楽器の音を繰り返したり、お話に合わせて声のトーンを変えて、音を真似たり、声色を作りながら読み聞かせたら、子どもはユーモアを楽しめるようになる。私が中国に住んでいたときのこと、孤児院で生活する2歳から5歳の20人の子どもの生活を豊かにするために、何かいい方法はないかとたずねられた。お話を読んで聞かせて、笑わせたらいいとアドバイスしたのだが、同僚は子どもは誰もお話を聞かないと言い張った。私は苛々しながら本を取り上げ、子供用の椅子に腰掛け、英語で読み始めた。1ページ目は牛の絵。牛を指して、「うし、モウモウ」、2ページ目の犬を指差しては、「いぬ、ワンワン」、そう言っただけなのだが、一人の子どもは私の膝の上によじ登り、他の子どもも本の回りの椅子に座り始めた。子ども達は笑いながら話を理解し、私の言う言葉や音を繰り返し真似した。最後のページまで読み終えると、また最初のページに戻した。すると子ども達は自分から、「うし、モウモウ」と言い始めたのだった。瞬く間に、子ども達は笑いながら10の英単語を覚えてしまった。日本で英語を教えたこともあるが、数十年の後、その日本の学校を再び訪れると、当時中学生だった教え子たちがお母さんとなっており、昼食に招いてくれた。皆で集まり私がそこで教えた可笑しな歌を歌ってくれた。予期せぬこと−驚くような行動、例えば空のカップを頭の上にのせる、変な顔をする、「いないいないばあ」をする、軽くくすぐるなどの行為は赤ちゃんを笑わせ、相手の真似をしたくなる気持ちにさせる。3歳の幼児に服を着せる際、子どもの腕にパンツの足を通したり、靴下を手にはめてみたりしたら、子どもは笑いながら、「こうするのが正しいんだよ。」と教えてくれるだろう。冒頭の医師の冗談の様に、落ちが思いがけないものである冗談を話したり聞いたりするのも楽しい。誤解から生じた可笑しな話、駄洒落もまた子どもを刺激し、ユーモアのセンスを育てる。日本にいた何年も前のこと、生まれて間もない赤ちゃんを連れたお母さんが、お花を持って訪ねてきてくれた。一緒に家を借りている友人が、赤ちゃんの鼻が高いと褒めたつもりで「ハナが高いですね」(日本では、高い鼻は低い鼻に比べて良いとされている)と言ったのだが、母親はバラと菊の値段について語りだした。ハナは日本語で、鼻と花の意味があり、高いは高さと値段の両方について言うものだから誤解が生じたのだ。私たちは皆笑った。ユーモアは様々な方法で、周囲にいる人の地を出させる。動物のように振舞ったり、誇張した話も面白い。またバナナを文鎮のように使うのも笑わせる。子どもがうっかりミルクをこぼしてしまったら、逆にこう言ってはどうだろうか。「大丈夫、牛さんがまたミルクをつくってくれるわ。」
他のアイディア:子どもを楽しませ、子ども自身のユーモアのセンスを磨くには、なぞなぞ、マンガ、お笑い番組、早口言葉を一緒に楽しんだり、写真に面白いキャプションをつけてもらう、びっくりメガネやおどけた付け鼻などの小道具を使うのもいいだろう。

皮肉屋のコメディアンが文化的なステレオタイプを物笑いの種にするのは、あまり愉快ではない。子どもは、皮膚の色、宗教、性別、トイレなどに関するものを笑いの対象にするのは避けるべきである。民族的、肉体的な違いをからかったり愚弄したりするのも避けるべきだ。子どもがこうしたことを笑いの対象にしたら、大人は、その笑いは人を傷つけるもので、可笑しくも何ともないと教えてあげなくてはならない。誰もが笑える冗談、人と人との絆を深め、楽観的な気持ちを抱ける冗談を子ども達に伝えよう。

クラスで常に道化者をやるのは問題かもしれない。冗談にも時と場合があるということを大人は教えてあげなくてはならない。一日の終わりの数分、子ども達に「ひょうきんになる」時間をつくるのもいい。オーストラリアでは、9歳から12歳までのクラスが参加する全国道化師コンテストがある。先生や親たちも、自分自身を笑って、失敗も皆で笑い飛ばそう。子どもに身につけて欲しいユーモアのお手本を示そう。子ども達が他人とうまくやっていくためのスキルとしてユーモアを駆使できるよう、その戦略を立てる手助けをしよう。太っていることをからかわれたら、「君は僕より強いから、僕のボディーガードになってよ。」というのもいい。私が小学生だった頃、シリアル食品「ウィーティー」は、チャンピオンの朝食だと宣伝されていた。そのころクラスの班長が、順番に班に入れる子を選ぶのが習慣だったが、私のクラスでは二人の女の子がいつも最後まで選ばれずに残ってしまうのがお決まりのようになっていた。一人の女の子は泣いてしまっていたけれど、もう一人の子は泣かずに、「私たちはウィーティーが食べ足りないんだわ。」と言ったのだった。その子はクラスの女の子たちにウィーティーとあだ名を付けられ、面白い子となって、友達に取り囲まれていた。

皆が知りたいと思うような研究結果−マサチューセッツ大学ボストン校のポーラ・St. ジェームス(Paula St. James) と ヘレン・タガー(Helen Tager)氏は、自閉症とダウン症の子どもも入れた子どもを対象とした研究を行った。一人の例外を除いた全員が、どのセッションでも幾つかのユーモアに反応している。高度な理解力を要するユーモアに反応できるようになったのは、7ヶ月後であった。視覚や風刺的な刺激に反応できるようになるのは、聴覚の刺激やくすぐりに反応できるようになった後だった。

ユーモアの中味は、大人個々人の問題や職業を反映している。男性のユーモアは概して、性に関わることが多く、攻撃的であるが、女性は自己を卑下した冗談を楽しむ。このことは、ユーモアを他人とうまくやっていくための手段と考えたとき、ジェンダーの問題で人々が直面する問題の解決の糸口となる(ルーシュ、Ruch)。

英国文化振興会(The British Council)の先生、ニク・ピーチィ(Nik Peachey)氏は、特定の文化で何が面白がられるか、その感覚を知るにはテレビを見て、よく使われるジョークをノートに書き留めると良いと言っている。クリスティー・デーヴィス(Christie Davies)氏は政治的な冗談、社会的風刺がない国は病んでいると語っている。

ロンドンの聖トーマス病院のリン・チェルカス(Lynn Cherkas)氏とその同僚は、遺伝と環境の問題に取り組んだ。一卵性の双子(100パーセント同じ遺伝子を持つ)と二卵性双生児(50パーセントの同遺伝子)も入れた対象群でユーモアの研究をした。一緒に育った兄弟もいるし、離れて成長した兄弟もいる。その研究結果によると、子どもがユーモアの感覚を発達させるのには、遺伝的要因よりも環境が大きく影響するということがわかった。ユーモアは学ぶものなのである(フランチーニ、Franzini)。

カナダ、トロントのベイクレスト高齢者医療センターのプラティーバ・シャミ(Prathiba Shammi)博士とその同僚は、ユーモアに関係する脳の部分が右前頭葉であると特定した。複雑な冗談を理解する能力が衰えたとしても、お年寄りはユーモアの感覚を保持し、加齢によって起きる問題に適用するのに役立っていることも明らかになった。

博士の著作では、最近の研究者の言葉も引用しており、その中で、ルーシュ(Ruch)氏は、ユーモアは慈愛であると述べている。精神の活動というより精神の態度というのがふさわしい。人と一緒に笑うときは、民族や文化の違い、外見その他の違いから抱く疎外感、それらすべてを忘れていると、私は信じている。共通の何かを持っていたり、同じような問題に取り組んでいたりすると、友達になれるが、一緒に笑って人生を豊かにするというのも、友達になるいい方法だ。

要約−ユーモアに関しては古くから研究されている。ユーモアのセンスは、恐怖を緩和するための原始的反応からなる対処メカニズムである。防御としても機能する。子どもは大人よりもよく笑うのは、子どもは大人よりも怖い思いをたくさんしているからである。ストレスもまたユーモアによって緩和される。子どもにユーモアのセンスを身につけさせるには、言語的及び非言語的刺激がある。子どもは、人を見下したような、あるいは口汚いユーモアを区別し、人と共感できるようなユーモアを学ぶべきだ。ユーモアの内容は問題を浮き彫りにする。誰かと一緒に笑うとき、その笑いは同じ感情からあふれ出してくるものであり、人と人との絆を強めてくれるものだ。

参考文献

Bergen, Doris. “Humor”. Childhood Education, V69 #1, pp 105-06, winter, 1992
Bergler, Edmund, M.D. Laughter and the Sense of Humor. Intercontinental Medical Book Corporation, N.Y., 1956, 67, 80
Franzini, Louis R., Ph.D. Kids Who Laugh: How to Develop Your Child's Sense of Humor. Square One Publishers, N.Y., 2002
Klein, Amelia J., Editor. Humor in Children’s Lives. A Guidebook for Practitioners. Praeger Publishers, Westport, 2003
Rush, Willibald and Victor Raskin, Editors. The Sense of Humor, Exploration of a Personality Characteristic. Humor Research 3. Mouton de Gruyter, Berlin, 1998

※トロントのWomen’s College Hospitalの図書館司書の方には、資料検索の際にご助力賜りました。

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