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アメリカの「対立から学ぶ教育」
アメリカの「対立から学ぶ教育」〜誰もがピースメーカーになれる教育実践

本章では、第1章から4章までの原稿を踏まえ、CR教育のインパクトについて考察すると共に、CR教育実践の鍵について、社会的感情的学習(SEL)の動きを紹介する。さらに日本でのCR教育の可能性についても言及したい。

第5章 今後の展望

1.CR教育のインパクト

1)CR教育の評価

 プログラム開発の背景や調査の方法論的な問題で、体系的に行なわれていないと、批判されていた(Johnson &Johnson、1996)CR教育のインパクトに関する研究も少しずつ充実してきたようだ。
 ジョーンズは4つのCR教育(第2章参照)の研究を総括し、CR教育が明確な成果を出していると述べている。特に、アメリカ国内で最も広く実施されているCR教育「小学生向けのピア・ミディエーション」については、「ミディエイター自身が社会的・感情的な能力を向上させ、教室環境、学校環境の改善につながっている」という成果が報告されていることを説明している。一方でこの結果は中学校、高校においてはまだ表れていないようだ。さらに「平和な学校づくりアプローチ」においては、RCCP1 の研究成果2を引用し、「学校全体のシステムに、協調し、調和し、統合したプログラムを、持続的な努力で実施することが、素晴らしい結果をもたらすことをRCCPは証明している」(Jones, 2004)と述べている。
 今後の研究に対しては、より長期的な視野が必要なこと、そして、子どもたちのスキルの向上よりも大きなレベル、つまり、コミュニティ作り、社会正義の促進、思いやりの環境作りといったことを図る評価軸が必要であること、また関係性やシステムの変化を図るより難しい研究にも焦点を当てるべきであること、さらに、文化的、宗教的、経済的に多様な背景を持つ子どもたちの属性を考慮した研究を行なうべきである、ということが課題として挙げられている (Jones, 2004)。


2)子ども・教員の変化

 筆者は、研修先のNPO、Morningside Centerの協力を得て、NY市の公立小学校4校14名の教員に対して、CR教育プログラム(主にRCCP)についてインタビューを実施した。14人の教員は全員、プログラムをある程度評価しており、その目的や重要性についても理解していた。14名中10名は1年以内に子どもたちの行動に変化があったことを報告しており、8名は教室の雰囲気が変わったと答えた。「教員自身の変化(プログラムを通して教員自身に変化があったか)」に関しては、質問を聞かれて改めて気づく人も多かったが、14名中12名が「変化があった」と答えた。以下、教員の声を挙げた。
■子どもたちの行動の変化
「クラスの1/3の子どもたちがけんかをする代わりに話すようになった。なぜそのような気持ちになるのかを説明するようになった」(6年生 担当)
「何人かの子どもたちが自分の気持ちを話すようになった」(年長 担当)
「子どもたちがお互い助け合うようになった」(4年生 担当)
■教室の雰囲気の変化
「教師が一貫した態度を取り、学んだことを何度も繰り返すと、子どもたちにも変化が見えてくる。」(3−4年生担当)
「人の悪口が減り、お互いを思いやるようにになった」(年長 担当)
「少しずつ変化が見えてきた。子どもはすぐに忘れてしまうので、忍耐強く繰り返すことが必要だ」(4年生 担当)
■教員自身の変化
「子どもの言い分をもっと聞くようになり、なぜこのような行動を起こすかを理解するようになった」(年長 担当)
「以前は教室の問題は教師が解決しなければいけない、と思っていたが、今は子どもたちが解決できる、と思うようになって気が楽になった」(5年生 担当)
「すぐに自分で判断するのではなく、子どもの対応を待つようになった」(6年生 担当)
「子どもの感情や態度により意識を払うようになった」(4年生 担当)
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「自分の子どもや家族に対しても対立解決の手法を使うようになった」(複数)

 「子どもたちの変化」に対しては、もちろん全員ではないが、徐々に何人かの子どもたちに「習ったことを使おう」という姿勢が見えてくるようである。特に「気持ちを共有する」という行動が分かりやすい変化のサインのようだ。さらにこれを「教室の雰囲気の変化」につなげるには、教師側の一貫性が必要で、何度も学んだことを繰り返す努力と忍耐が不可欠であると、表現されている。さらに面白いのは、「教員の変化」で、「子どもの変化」に気づいた教員が子どもへの対応を変化させていく様子が伺える。教員自身がCR教育の重要性を実感しているので、プログラムに対する信頼と評価も高くなるように感じた。
 スーザン・ファウンテン氏もインタビューの中で答えていたが(第3章参照)、教師自身が「CR教育の可能性」や「子どもたちの問題解決能力」に気づくことにより、子どもへ対する姿勢が変わっていく。大人の対応の変化を通して、子どもたちは大人からの信頼を得たと確信する。これが子どもの自信につながっていくのだろう。つまり、CR教育が本当のインパクトを持つのは、教師と生徒、または親と子どもの関係が信頼関係に変わったときのようである。



2.CR教育実践の鍵−社会的感情的学習(SEL)の動き

1)教育政策の変革

 トム・ロドリック氏もインタビューで話してくれたが(第4章参照)、CR教育プログラムは短期で成果を出すものではなく、長期的視野が必要で、さらに、学校全体の取り組みとして進めないと、本当の変化は生まれない。教室の中だけでCR教育が進められても、廊下では怒鳴り声が聞こえ、校庭ではいじめが絶えないようでは、何のためのCR教育か分からないからだ。RCCPが学校の全スタッフに「平和な学校づくりアプローチ」としてCR教育の研修を行うのは、そのためである。コールマンも学校内における大人同士の関係性の向上が学校文化を変える鍵であると述べている(Coleman,P.T.,2001)。
 一方で、現在のアメリカの教育政策では、「おちこぼれを作らない条例(No Child Left Behind Act 2001)」が進められ、いわゆる「学力の向上」が重視されている。NY市の場合、地域理事会が解体され、学校自体に予算がつく制度が進められており、何に予算をかけるかを決めるのは各学校の校長や管理部門となる。統一テストの結果を重視する政策の中で、CR教育をどう進めていくのか、議論が続いている。
 トム・ロドリック氏は、インタビューの中で、教育政策を変えていくことがCR教育推進の鍵であることを述べている。その動きで学ぶことが多いのが社会的感情的学習(SEL)の推進である。以下、SELについて紹介したい。

2)社会的感情的学習(Social and Emotional Learning/SEL)とは

 世界的ベストセラーで、日本でも話題となった『心の知能指数(Emotional Intelligence)』3という本をご存知であろうか?実はこのSELの活動をはじめたのは、この本の著者であり、心理学者でもある、ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)氏である。1994年に彼が中心となって、科学的な研究に基づくSELの推進を行なう、NPO、CASEL4 が設立された。
 CASELの出したSELのガイドブック『Safe and Sound』(CASEL、2005)によると、SELとは、感情に気づき、それをコントロールする力、他者に対する思いやりの気持ち、責任ある意思決定、肯定的な人間関係を作る力、そして、困難な状況を乗り越えることができる力を育成する学習である。CR教育をはじめ、暴力防止教育・コミュニケーションスキルの向上など、教科ではないが、子どもの社会的感情的成長を促す学習活動は全てこの枠の中に含まれる。このSELの考え方の背景には下記の理由がある。

a.さまざまな問題行動の背景には同質の、または類似のリスク要因がある。
  1. b.学習成果が最も上がるのは、お互いを助け合う関係性の中であり、その関係性は、学習をより高度かつ、有意義にする。生徒たちの長所を伸ばし、暴力や薬物使用、ドロップアウトなどの問題を防ぐには、子どもたちの社会的・感情的な技術を長期間にわたって、育成していくことがもっとも効果的である。このことは、効果的な教室運営、教室内外における生徒の積極的な活動への関わり、プログラムの計画、実践、評価における両親やコミュニティの広い参加がある場合にもっとも有効的に行われる。


SELが中心におく5つの力は下記のとおりである。
(1) 自己意識 (Self-Awareness)
(2) 社会的意識 (Social-Awareness)
(3) 自己管理 (Self-Management)
(4) 関係性をつくる力 (Relationship Skills)
(5) 責任ある意思決定 (Responsible Decision Making)

3)SELの実践

 SEL自体はプログラムではなく、上記の力をつけることを目的とした枠組み(フレームワーク)である。多くの学校では、CR教育や暴力防止教育・性教育など、SELと考えられる活動がばらばらに行われている。それを学校全体で目標を立て、全ての生徒が学べるような枠組みをつくることを目的としている。上記のようなSELを実際に行うには、学校全体の取り組みが必要である。
 『Safe and Sound』(CASEL,2005)では、学校での実践の方法をステップごとに丁寧に説明している。1.SELの実行委員会を立ち上げる、2.校内のニーズと準備状況を確認する、3.プログラムを選ぶ、4.1年目の実践計画を立てる、5.1年間を振り返り、評価と今後の計画を立てる、というように。また、学校全体で取り組むSELプログラムに適したものをアメリカ全国で行なわれている既存のプログラムから選び、SELのプログラムとして推薦している。RCCPもそのプログラムのうちのひとつである。

4)SELの実践を全ての学校で

 2004年12月、イリノイ州の教育局は、SELの評価軸(スタンダード)5を発表した。これにより、イリノイ州立の全ての学校は、統一テストの結果だけでなく、社会的感情的な成長を通して、評価されることになった。この評価軸の作成は「子どもたちの心の健康の法律 2003 (The Children’s Mental Health Act 2003)」が議会で通過したことから進められていた。この法案の一部に「イリノイ州全ての小学校・中学校で子どもたちの社会的感情的成長を学校の評価軸として取り入れ、プログラムを推進すること」が含まれていたからである。その結果、イリノイ州はアメリカで初めてこのSELの評価軸を発表したのだ。
 イリノイ州の成功に刺激を受け、ニューヨーク州でもSEL推進委員会がNPOや教育者、大学の関係者により発足された。州政府に働きかけた結果、ニューヨーク州の議会でも「子どもたちの心の健康の法律 2006」が可決され、「社会的感情的学習の実践」がニューヨーク州の教育の評価軸にも取り入れられることになった。今後はその評価軸をどのように作成するかが重要で、その政策試案グループにはトム・ロドリック氏も加わり、SELやCR教育推進の方策を検討している。
 「個々の子どもの社会的感情的成長をどのように図るのか」、の議論は残されているが、統一テストとは別の評価軸が合法的に存在する、というのは大きな希望ではある。SELという新しい概念が、学校や学習の評価軸として導入される動きは、アメリカの他の州、また統一テストの結果を重視するほかの国々の教育のあり方にも影響を及ぼすことが考えられる。


3.日本におけるCR教育の可能性

次の目標は何ですか?

 深刻化する日本のいじめや不登校、子どもたちの問題行動に関して、今の行政や大人は対症療法しか考えていないのかもしれない。アメリカの事例を見ると、CR教育は全ての子どもたちに(問題がある子も問題があるように見えない子どもにも)必要な教育活動であり、学校全体、または地域全体で進めることがもっとも効果があるようである。CR教育の目的のひとつは「安全で安心して学べる環境作り」である。それは、全ての子どもに保証されるべきものであろう。
 とはいえ、CR教育は欧米で開発された教育活動であるから、欧米的な個人主義、民主主義的思想が色濃く反映されており、そのままの形では日本の社会・学校での実施は難しい。「和」を重んじるあまり「対立」を否定的に捉える文化や、感情や意見を表現することに不慣れな日本の子どもたち(大人も)に対するアプローチは自ずと異なったものとなる。一方で日本の社会で重視される「相手の気持ちを推測する姿勢」や「話を聞く態度」、「平和的解決法を模索する姿勢」は対立解決に重要な点で、欧米にはないプラス要素でもある。
 CR教育で重視する、違いを尊重する力、積極的に人の話を聞く力、はっきりと意見を言う力、などはどんな文化であれ、建設的な人間関係を育むのに、また、よりよい人生を生きるために必要な「ライフ・スキル」である。問題や対立を「できるだけ避ける」「大きくしない」のではなく、その「問題や対立」に向き合い、超えることにより、誰もが「平和をつくる人(ピースメーカー)」になれるものだと積極的に「問題や対立」を捉えなおすことで、教育や社会のあり方が変わるのではないか。それには、まずは大人が「対立」の概念を捉えなおすこと、そして子どもとの信頼関係を築いていくことが大切なようだ。

 アメリカの教育政策がアカデミックな学力重視に傾く一方で、SELのような動きが生まれてきたのは、大きな励みでもある。CR教育やSELの取り組みは、低迷する日本の教育界に、一筋の希望を与えてくれるように見えるのだ。


参考文献
Coleman, P. T., & Deutsch,M.(2001). “Introducing cooperation and conflict resolution into schools: A systems approach.” In D.J. Christie, R.V. Wagner, & D.D.N. Winter, Peace, conflict and violence: Peace Psychology for the 21st century, Chapter 19, pp.223-239.
Collaborative for Academic, Social, and Emotional Learning.(2005). Safe and Sound: An Educational Leader’s Guid to Evidence-Based Social and Emotional Learning (SEL) Programs Illinois Edition, CASEL & UIC Series on Issues in Children’s and Families’ Lives.
Jones, T.S.,(2004). “Conflict Resolution Education: The Field, the Findings,and the Future. ” Conflict Resolution Quarterly, vol.22, no.1-2, Fall-Winter, pp.233-267.
Johnson, D., Johnson, R. (1996). “Conflict Resolution and Peer Mediation Programs in Elementary and Secondary Schools: A Review of the Research.” Review of Educational Research, Vol.66, No.4. Winter, pp.459-506.


1 Resolving Conflict creatively Program (対立を創造的に解決するプログラム)
2 Edited by Joseph E. Zins, Rofer P. Weissberg, and Margaret C. Wang, Building Academic Success on Social and Emotional learning: What does the research say? Teachers College Press, 2004, pp.151-169
3 Emotional Intelligence、Daniel Goleman、Bantam Books, 1995.30の言語で500万部が読まれている。邦題は『心の知能指数』土屋京子訳、講談社、1996
4 Collaborative for Academic, Social, and Emotional Learning, シカゴにあるイリノイ大学の心理学部に併設されているNPO  www.casel.org
5 http://www.isbe.net



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