◆迎えにきたのは、お父さんだった◆
Tさんの話を聴いているうちに、私の心にぽっかりと、浮かんだものがあります。『もりのなか』という一冊の絵本です。
紙の帽子をかぶり、新しいラッパを持った男の子が、森の中に散歩にいくお話です。 男の子は次々にライオンや熊や象など、いろいろな動物に出会います。みんな行列をつくって男の子についてきて、いっしょに遊びます。〔ハンカチ落とし〕や〔ロンドン橋落ちた〕をやったり、縄跳びをしたり。最後に〔かくれんぼ〕をしていると、「……もうおそいよ。うちへ かえらなくちゃ」と迎えにきてくれたのは、お父さんでした。お母さんでもおばあちゃんでもなく、お父さんなのです。
お父さんは、遅くまで森の中で遊んでいた男の子を叱ったりはしません。動物たちが「きっと、またこんどまでまっててくれるよ」、だから、いまはうちに帰ろうといいます。
父親というのは、子どもの幻想の世界と現実の世界を繋ぐ架け橋のようです。つまり、子どもがその2つの世界を行き来できるように、見守っている。時には現実に呼び戻したりしますが、決して、非現実の世界を否定したりはしません。
◆〔ことば〕の力、イメージの力を見つめ直したい◆
〔ことば〕とはふしぎなものです。
思うに、Tさんを救ったのは、必死になった夫のことばと、すぐれた医師や教育者の経験に裏打ちされたことばだったようです。いずれにしても、その時のTさんに、そのようなことばを信じる力がなかったら、Tさんはどうなっていたでしょう。
もしかするとTさん自身も、紙の帽子をかぶった男の子だったのかもしれません。お父さんのような夫が、彼女の迷い込んだ森へ迎えにきてくれたのではないでしょうか。
お母さん、あせらず、自然に、少しずつ、歩んでいきましょう。
子育てには方程式もマニュアルもありません。その代わり、絶対的な〔間違い〕というのもないでしょう。その人らしく、その人なりに、でいいのですもの。
でも、もし何かあったら、一生懸命悩んで、考えて、でもひとりで背負いこまずに、夫や友人に話してみる勇気も持ちたいと思います。子どもは私たちの未来を託す、世の中全体の宝物ですから。遠慮はいりません。はずかしさも思い切って捨てましょう。
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