◆いまなぜ、学級崩壊なのか◆
最初の家庭訪問も思い出深いものでした。わが家の玄関で、部屋に入りきれずに並べられた本棚を見るや、H先生はおっしゃいました。
「私は子どもたちに詩を書いてもらいます。でもそれは、ああしろ、こうしろという指導では決してありません。まず、子どもたちが詩を書きたくなるような学校生活を送れるよう、学級経営をします。畑さえ耕して、種をまけば、あとは子どもたち自身にことばがあふれます。私は、それを、子どもたちの目の高さで見つめ、記録として書きとどめてやるだけです。どうか、お母さんも、あなたの文学観を押しつけたり、おとなのテクニックで書き直させたりしないで下さいね」
あの時、あれほどはっきりとクギを刺さなければ、私は、先生の危惧された過ちをおかしていたかもしれません。この時、私は肝に銘じたのです。先生のことばは、わが子に対してのみならず、人にものを教える場合の基本となりました。
その後、このクラスの子どもたちはそれぞれにその子ならではの楽しい詩を次々を書いていきました。その都度、先生は手書きのプリントに子どもたちの詩を記し続けました。それらの詩はどれも、書いた子どもだけのものではなく、みんなで楽しむ共有の財産、みんなの宝物となりました。
私にはいまだに信じられないのです。いじめがあって子どもが自殺したり、学級崩壊とかいわれる現象が起きたりするという学校の現実が。たとえ一部での現象にせよ、どうして、なぜ、そんなことが起こるのでしょうか。
もちろん、原因は複雑でいろいろな要因がからみあっているのだと思います。家庭も学校も、社会全体も何かが変わり、どこかに、あるいはそれぞれに問題があるのでしょう。単純に「詩を書かせればいい」などというつもりは毛頭ありません。
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