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crn設立10周年記念国際シンポジウム
子ども学から見た少子化社会−東アジアの子どもたち−
   
2007年2月3日(土)10:00〜16:30
会場 ウ・タント国際会議場(国連大学ビル)
主催 チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)
共催 (株)ベネッセ次世代育成研究所、 (株)ベネッセコーポレーション
後援 厚生労働省、中国大使館、韓国大使館、日本子ども学会、日本赤ちゃん学会
 
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ディスカッション
子どもの成育環境としての少子化社会を考える
〜日中韓の研究を中心に〜


コーディネーター:
榊原 洋一(Sakakihara Yoichi)
李 根(Lee Keun)
パネリスト:
朴 正漢(Park Jung Han)
周 念麗(Zhou Nianli)
原田 正文(Harada Masafumi)



榊原:

 それでは、第2部のパネルディスカッションを始めます。先ほど会場からたくさんのご質問をいただき、ありがとうございました。すべての質問を、休憩時間中に拝見させていただきました。その中から、2つほどを選んで、パネリストのお一人お一人にお答えいただきたいと思います。

<少子化時代に生きる子どもたちにとって、最も大きな問題>
榊原:

 少子化時代に生きる子どもたちにとって、現在最も大きな問題は何だと思われますか。非常に単純な質問ですが、それを各パネリストの先生方に伺いたいと思います。

朴:

 まず、人口が減った、人口が減るという最初の点について、ちょっとだけコメントをさせていただきたいと思います。人口が減ることには、いいところもあり、悪いこともあるのです。例えば韓国や日本のように、人口密度が非常に高い国では、人口が減ることは、ひょっとしたらある意味ではいいことなのかもしれません。例えば、汚染や交通混雑が緩和されるといったメリットはあると思います。
 しかし、政策立案者が心配しているのは、経済的な成長率が落ち込むのではないかということです。これだけ急速に出生率が下がりますと、労働力も少なくなります。それと同時に、高齢化も進みます。高齢化が進むと、高齢者をサポートするためにもっと経済資源が必要です。これが言わばインバランスになっており、社会不安を呼び起こす原因にもなりかねません。ですから、我々は、この2つの間で折り合いをつけなければならないのです。
 それでは最適な人口のサイズはどれぐらいなのかということになりますが、適正なサイズについては誰も答えられません。しかし、それに関して私は、1つ、重要なアイディアがありますので、提案させていただきたいと思います。
 人口の話をするときに考えなければならないのは、質的なことと量的なことの両方です。今言ったように、適正な人口サイズ(日本では何人、韓国では何人)は答えがないので、それについて言及することはできません。しかし、その人口の質をどう改善するかについては答えることができます。
 人口の質は、2つの柱によって成り立っています。1つは「健康」、もう1つは「教育」です。
 「健康」は、妊娠したとき、胎児の生活から始まっています。だからこそ、最適な出産年齢を考えてくださいと申し上げたのです。
 「教育」についてですが、学校教育だけを指しているのではありません。乳幼児期からの教育も含まれています。原田先生が示されたデータを見ますと、最近、育児をするスキルを持たない母親が増えています。こういった若い母親に対してはある種の教育が必要です。効果的な、そして効率的な母親になるための教育をしなければいけません。いわば親業の訓練のようなものが必要です。自動車を運転するときには免許が必要であるのと同じように、母親に対しても、あるシステムを構築して、育児する免許を与えるという提案です。

榊原:

 ありがとうございます。では、中国の周先生はどう思われますか。

周:

 私は、「生きる力」をキーワードにしたいと考えております。というのは、中国でも日本でも今、子どもの「生きる力」が非常に弱くなってきたと感じているからです。私はジャパンファウンデーション(国際交流基金)の奨学金をいただき来日して7か月になりますが、テレビをつけると、ほとんど毎日、子どもに関する犯罪、あるいは自殺など暗いニュースばかりで、心配しています。そして、中国でも一人っ子の問題もあって、ストレス、挫折に耐える精神力が非常に弱くなっていると感じております。自分の命の大切さを充分認識できず、感情的なコントロールもできません。また、そういったネガティブな感情を調整する方法も知りません。
 「生きる力」こそ、少子化社会における大きな研究の課題ではないかと思っております。

榊原:

 ありがとうございました。
 では、原田先生は、少子化時代に生きる子どもたちにとって最大の課題は何だと思われますか。どうぞ。

原田:

  周先生が「生きる力」という形で、子どもの側から見てくださいました。子どもの側から考えますと、子どもにとっての課題は、やはり「生きる力」を身につけることでしょうね、「柔軟に生きる力」。「生きる力」というのは、将来に対して夢が持てるとか、生きる方向が見つけ出せるとか、友達と豊かなコミュニケーションが持てるとか、人間社会でいきいきと生きていくための能力です。
 私は精神科「小児・思春期」専門外来で、思春期の子どもを主に診ていいます。たくさん診てきましたが、「普通に育てていれば、大丈夫」というのが私の実感です。「普通に育てていれば、大丈夫」と私が言ったのに対して、「普通とは、どういうことですか、教えてください」という質問がありました。
 今の日本では、「普通の子育て」がわからなくなっていることです。それぞれの親は、一生懸命、子育てをしています。虐待で子どもを殺してしまった母親に聞いても、ご本人からは、「ちゃんとしつけようと思って」という言葉が返ってきます。何が普通の子育てかがわからなくなっています。そのあたりが現代日本の子育ての問題を象徴しています。
 小学生くらいまでは、親の力が圧倒的に強いです。そのため、子どもにとっては、親を初めとした「養育環境」が問題です。養育環境の問題にもいろんなケースがあります。日本の場合、精神科は非常に敷居が高いです。そのため、精神科を受診する親は、ほんとうに一生懸命育ててきた方がほとんどです。別の言い方をしますと、家庭基盤のしっかりした家庭の子どもさんが精神科外来を受診します。一生懸命育ててきたのです。小学校までは、どの担任からも「いい子ですね。明るくて元気で、言うことありません」と言われ続けてきたが、思春期になり、気がつくとクラスの中で立ち往生しているという子どもたちが精神科外来を受診してきます。
 一方、私はずっと学校の先生方と勉強会をしています。学校の先生から出される事例には、この豊かな日本の中で衣食住のレベルでまったくケアされていない中学生、小学生がたくさん出てきます。今日のシンポジウムのテーマは「子どもを育てる環境、子どもが育つ環境をいかに守るのか」ということですが、これを子どもの方から言うと、「自分たちが育つために必要な環境をいかに大人社会が守ってくれるのか」という大人社会に対する質問状になると思います。
 「子どもを育てる環境」というテーマに関しては、昔はよかったという話がよく出てきます。しかし、昔に戻るわけにはいきません。今の時代に合った、現代に見合った子育て環境をつくることが、大人社会に課せられた大きな課題ではないかと思っています。

<少子化時代に我々(大人)は何ができるのか>
榊原:

 ありがとうございました。それでは、2つ目の質問に入ります。
 まずは、会場からの質問をいくつかを紹介します。

(女性の)自己実現と母親としての役割を両立させるにはどうしたらいいでしょうか。社会制度、社会の仕組みを変えることでしょうか。

少子化社会における子どもたちのために、文化の継承者の一人として我々、大人は何をしたらよいか、各先生から一言ずついただければ幸いです。

子育て力が失われた母親が多くなっているということが原田さんのお話にもあったと思いますが、そういうときに例えば保育園とか、そういったところとの連携が重要ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

少子化社会について、何か東アジア共通の問題はあるんだろうか、あるのであれば、そのことも含めた上で、現実的な提案あるいは助言があったら皆さんに聞かせていただきたいです。

 このような少子化時代に育っている子どもたちに対して、私たちができる解決法に関する具体的なサジェスチョンがございましたらお聞かせ願いたい──この質問への回答をパネリストお一人お一人に伺いたいと思います。
 朴先生からお願いいたします。非常に難しい、本当にグローバルな質問ですが、よろしくお願いします。

朴:

 的確にお答えできるかどうかわかりませんが、私が理解した限りでお答えします。周先生と原田先生のコメントの中に、子どもの「生きる力」、親の「子育てする力」が弱くなってきているというお話があったと思います。我々が経験しておりますのは、これまでの数十年間に家族の機能が変わってきたということだと思います。
 基本的な家族の機能は、例えば一緒に生きる、一緒に住む、そして生殖をするということです。そして子どもを育てるということも家族の機能です。情緒的にも、身体的にも育て、そして子どもを教育します。学齢に到達するまでは家庭で教育をします。経済的に支援をし合うというのも家族としての大事な機能ですけれども、ほとんどの先進国では、今ではこの機能が変わってきたと思います。
 例えば育児につきましては、子どもを保育園に預けたりしています。教育については、家庭での教育は余り重視しないで、すべて学校に任せてしまっています。また、経済的に家族の者が助け合うということについては、どうでしょうか。過去、日本・韓国・中国では、子どもたちが親の面倒を見ることが義務だったと思います。ところが、この責任さえ、今や社会に任せる、あるいは政府に任せるという世の中です。家族の中にあったものが家族の外──外部の人に、あるいは社会のシステム、政府に任せられるという時代になっています。
 しかし、これは果たして正しいことでしょうか。なぜ親は、子どもを教育する責任を放棄しているのでしょうか。あるいは息子や娘として、親を見る役割を放棄してしまうのでしょうか。これは、価値観が変わってきた──工業化された社会が変わったことによって価値観も変わってきたということなのです。
 私は、定性的な判断を与えることはできません。いいとか、悪いとかは言えませんが、非常にシリアスな問題であるということだけは提起できると思います。クオリティー・オブ・ライフ、生活の質にとってのゆゆしき状況になってきていると思っています。これは子育ても含めてです。この赤ちゃんをよい市民にするか、しないかということにも大いに影響してきていると思います。

榊原:

 ありがとうございました。
 それでは、周先生、同じ質問です。特に、中国の一人っ子政策をずっと研究されているお立場も考慮してアドバイスいただければと思います。

周:

 多少、朴先生と重なる部分もあるかもしれませんが、私の個人的な考えでは、子ども、特に一人っ子は弱いので、彼らをサポートすることができるかという問題があります。また、一人一人の子どもの個人差に配慮して、支援する仕組みをつくるべきではないかということを提言したいと思います。
 まず第1の要素は社会です。つまり、大きな目で見ますと、私たちが、今、生きている社会──といっても、国や地域や文化という大きな視点ですけれども、その経済的な政策の問題なども改善すべきではないか。
 第2の要素は、多分、家庭と学校です。つまり、先ほど朴先生がおっしゃったファミリーと、または保育園、幼稚園、そして小学校や中学校などの学校、その家庭と保育園、幼稚園、学校という環境を改善すべきだということです。
 そして第3の要素は、子ども自体です。子どもはそれぞれ個人差が非常に大きいですが、その個人差のある身体的な発達を、サイコロジー、心理的な発達にいかに最適な方法で導くかということです。
 特に、中国の一人っ子の問題ですけれども、兄弟の関係がないので、人との共有、シェアするという感情が持ちにくく、いわば自己中心になりがちです。ですから、韋ト先生がおっしゃったような、社会的感情能力をいかに発達させるかということに非常に興味を持っております。
 また、先ほど朴先生が発表されましたように、胎内環境からということは、物理的、生理的なものもあります。つまり、心身ともに──物理的な環境と心理的な環境、それから学校と家庭の環境、また、社会という、この大きな3重構造を共に改善して、子どもにふさわしい環境をつくるべきではないかと思っております。

榊原:

 ありがとうございました。
 それでは、原田先生、同じ質問ですが、よろしくお願いいたします。

原田:

 すごく大きな質問なので、十分には答えられないのですが、考えてみますと、今、日本のかなりの多くの方が、専業というか、在宅で子育てをしています。これは異常というか、今まではなかったことですね。1950年くらいまでは、母親も父親も当然のように働いていて、子どもたちは地域で育っていたのです。四六時中、親がずっと子どもと向き合っているという子育て状況はありませんでした。
 今、当たり前のように、「母親が子どもに向き合って、ちゃんと子育てしなさい」と社会は言いますが、それは無理かなと思っています。子育てをしていても、その価値を社会はほとんど認めていません。「母親だから当然である」という社会的雰囲気の中では、やっぱり、いきいきと子育てはできないと思います。「子育て」、つまり「子どもを育てるということは、何にも代えがたい大事な事業をしている」という視点で、子育てに関する社会的価値をもう少し認めないといけないですね。
 かつては、個人の必要から子どもを産んだという面があります。老後の面倒を見てもらわないといけないとか、働き手が欲しいとか、跡継ぎが欲しいとか、村としても子孫を残すということの必要性を実感していました。今、個人としては、子どもを産み育てる価値がなくなってきています。例えば、老後の面倒を見てもらうということはもうあり得なくなっていますし、働き手としても必要ありません。跡を継がせるといっても、サラリーマンがほとんどですし、何も跡を継がせるものはありません。そのため、子どもを生む個人的な理由がなくなってきています。だけど、やっぱり社会としては子どもが必要です。民族としては、子孫が残っていないというのは、非常に不健康なので、社会としては必要です。夫婦が子どもを育てるという今のスタンスではなくて、社会として子どもを育てている。そのためには、子どもを育てているということは、「何にも替えがたい大事業をしているんだ」というような、そんな社会的メッセージを送る必要があると思います。
 それから、私たちはよく、子どもに遊ぶ「仲間」と「空間」(場所)と「時間」、この「三間(さんま)」を用意しようと言っています。子どもを育てる最低条件として三間、子どもたちが安全に遊べる場所、子どもの遊び仲間、それから遊べる時間──忙しい子どもをつくってしまっているということもありますし、それが必要だと思います。
 仕事をしながら子育てをするか、あるいは家庭で子育てをするかというのは、親の選択でいいかなと思います。今回の調査でも、「大阪レポート」のときにはなかった、主に子育てしているのが夫であるというのが5%くらいありましたので、母親が子育てをするという前提条件やあるいは3歳までは母親が在宅で子育てをしないといけないという3歳児神話みたいなものも崩して、いろいろな子育て形態を選択できる社会をつくっていくのが必要ではないかと思っています。

榊原:

 ありがとうございました。韓国の李先生も同じ質問について、ご意見をいただけますか。

李:

 私は小児科医の立場から、以下の点について、強調したいと思います。
 まず第1に、特に若い人たちに教えなければならないのは、どうやって育児をするかということですね。親業というのは、自然に身につくものではない。アメリカでは、効果的なペアレンティング、親業のためのクラスがあって、いかに育児をするか、親として機能するかということに関して何百という本がある。日本、中国、韓国におきましても、こういうコンセプトを導入するべきです。若い人たちに子どもを理解するということを教え込まなければならない。3か月の赤ちゃんから始まって、2歳児とはこういうものであるという年齢に応じた子どもへの理解を教えなければならないということです。
 そして、効果的な親業の基本的な要素として、個人的に思うことは、愛情、loveです。愛情があり過ぎることはないわけで、若いカップル、夫婦に対して、子どもを愛することを教えなければならない。そして理解することを教えなければならない。
 2番目に強調したいのは、母親は助けを必要としているということです。一人っ子の母親でも、そうでない母親でも、大いに、たくさんの助けを必要としています。そのために、もっとたくさんの父親、つまり夫に関与してほしいと私は思うのです。
 最近の韓国の調査によりますと、韓国の男性の3分の2が、奥さんに対して収入を得てほしい、仕事をしてほしいと思っています。同じく、男性の3分の2が、家事、育児をすることは妻の責任であり、夫としては関与したくないと考えているという結果がありました。母親を助けるためには、もっと父親の助けが必要です。夫ばかりではありません。韓国では、早期退職する方がよく見られます。私は相談に来る若い母親たちによく言います。「隣の人、中年の、高齢のおじいちゃん、おばあちゃんに対して助けを求めなさい。ベビーシッターとして来てもらってもいいし、何か緊急時に手伝ってもらってもいい」と。
 私どもの発想、そして態度、姿勢を変えなければならないのです。子どもは100%母親の責任であるということではないのです。父親ばかりでなく、親ばかりでなく、我々、社会としてある程度責任を持っているわけです。なぜならば、子どもは我々の将来だからです。若い母親に対して助けの手を差し伸べなければならないのです。適切に、しかも幸せな形で育児ができるように助けてあげなければならないのです。

<終わりに>
榊原:

 ありがとうございました。
 最後に3人のパネリストの方々に、本当に短く、一言ずつ、何か言い残したことなどコメントしていただきたいと思います。

朴:

 最後に会場からいただいた質問で、1つ答えられなかった点について補足します。
 日本では、教育は生まれる前から、すなわち胎教が必要だと言われています。受精をして妊娠をしたときから、ある種のアタッチメント、愛着といいますか、本当にそこにかかわるという気持ちを持つことが大事だと思います。そして出産後にもそれは続くということだと思います。
 ここで議論をしたのは親であるということがいかに重要であるかということです。
 韓国では高校卒業後、80%の人が大学に進学し、学歴は高くなっています。しかし高校や大学教育の中身をみますと、親になることについての教育はありません。
 高校や大学において、一番いいカリキュラムとは何でしょうか。次世代の人たちをよりよい市民にするためにはどういうカリキュラムがいいでしょうか。幸せな生活を送れるためのカリキュラムは何でしょうか。考えなければならないと思います。

周:

 中国、日本、韓国は共に少子化社会です。それぞれの国の文化を超えて、お互いに、例えば育児、その成育環境の中の最もいいところをみんなで共有し、共同研究することを望んでおります。
 私は日本での生活は合わせて10年ほどになりますが、日本の親は子どもの自立心を非常に重視し、また社会的な発達、対人関係、人への思いやりということもかなり重視しているのではないかと思っております。
 中国の親は子どもの社会的かかわりということをまだ重視されていないのです。いかに日本のいいところを吸収し中国の親子関係の中に生かすことができるかということが、今後の課題だと思います。
 また、韓国も今、出生率が1.08と伺いまして、やはり同じような育児環境になっているのではないかと思います。
 それぞれのいいところを共有し、また、お互い、これから改善すべきところを一緒に考えて、このシンポジウムのマークのように、中国、日本、韓国という国境を超え、みんなが手をつないで一緒に歩んでゆけたらと思っております。

榊原:

 ありがとうございました。私が言うことがなくなってしまうような非常にいいコメントをありがとうございました。
 原田先生、お願いいたします。

原田:

 「子育て支援」という言葉が生まれたのも1995年ぐらいからですよね。簡単なように、思われがちですが、子育て支援は、やればやるほど大変なことに気づきます。これは今まで人類が取り組んで来なかった課題ですね。人類始まって以来の新しい課題が、子育て支援なのです。だから、試行錯誤も当然だと思います。
 日本では、欧米の子育て支援なり少子化対策というのはよく紹介されていますし、学ぶものも多いと思いますが、民族的に言えばやっぱり中国や韓国のことも学ぶべきだろうと思います。その方が共通点も多いと思いますね。
 子育ては簡単なことではなく、大変な大事業だ、国を挙げての大事業ですので、今日参加していただいている方々にも参加していただければと思っています。

榊原:

 どうもありがとうございました。
 前半の発表や後半の議論から見ますと、現在、私たちは将来の子どもたちのためにどういう環境を残すかについて考え始めたわけですが、すでに非常に大きな問題があるというわけではなさそうに思います。
 しかし、あえて今後の課題を挙げるとするならば、例えば子どもの数が減ることでこういう良いことがある、このチャンスを利用して日本、韓国、中国の子どもたちにこういうことをしようというような、将来に向けてのプロポーザルも考えていかなくてはならないと思いました。
 今回はそれほど時間はありませんでしたが、少子化ということをチャンスに、日本の社会をどのように変えていこうかというような議論はあってもいいのではないかと思いました。
 最後に、李先生、一言コメントをいただけますでしょうか。

李:

 たくさんの質問をいただき、それを拝見して、非常に驚きました。会場の方々と、パネリストの先生方の間で非常にハイレベルのコミュニケーションがとれていると思います。また、同じような問題を3か国ともに抱えているということは意外でした。韓国、日本、中国が相互に協力した方がよりよい解決策を導き出せると考えます。

榊原:

 どうもありがとうございました。                 (完)

   
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