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crn設立10周年記念国際シンポジウム
子ども学から見た少子化社会−東アジアの子どもたち−
   
2007年2月3日(土)10:00〜16:30
会場 ウ・タント国際会議場(国連大学ビル)
主催 チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)
共催 (株)ベネッセ次世代育成研究所、 (株)ベネッセコーポレーション
後援 厚生労働省、中国大使館、韓国大使館、日本子ども学会、日本赤ちゃん学会
 
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講演録
日本社会の急激な変化と子どもの育ち、親の育ち
原田正文(Harada Masafumi)



T はじめに

 本日は、日本社会の急激な変化、その中で子どもの育ち、親の育ちが変わっているということについて、データを元にお話しさせていただきます。
 私は20数年来、精神科「小児・思春期」専門外来を担当しています。その外来を担当した当時から、思春期のカウンセリングも大切ですが、それまでの子育ての段階で何とかならなかったのか、ということが気になっておりました。
 日本の社会の中で、子育てサークルが活発になったのが1980年代後半からでした。このようなグループ子育てに私は“希望の灯”のようなものを見出し、仕事仲間や地域で活動する親御さんたちとボランティア団体『こころの子育てインターねっと関西』を立ち上げ、活動してきました。1995年に立ち上げたので、ちょうど国の少子化対策「エンゼルプラン」と時期が重なります。つまり、私は親の立場から公的子育て支援、少子化対策を見てきたことになります。
 子育て支援の目標は2つあって、1つ目は親がいきいきと社会参加でき、子育てできる社会をつくること、2つ目は心身ともに健康な子どもを育てること、と思っています。私は2つ目の心身ともに健康な子どもを育てたいという思いから子育て支援のボランティア活動を始めましたが、現在はそういう健康な子どもを育てるにはむしろ親を支援しなければならないと思っています。2つの目的をしっかりと意識して、子育て支援に取り組む必要性を感じています。


U 2つの子育て実態調査 ─データにもとづき、現実の子育て実態から考えることの大切さ

 私はこの度、1980年生まれの子どもを対象とした大規模な子育て実態調査「大阪レポート」と同じ質問文を使用して、同じ規模の子育て実態調査を実施しました。その結果は、「兵庫レポート」と呼ばれています。今日は、これら23年を隔てた2つの子育て実態調査を紹介しながら、精神科思春期臨床と子育て支援ボランティア活動の経験をまじえ、日本の子育てについて考えていきます。<図1・2・3・4>

<図1> <図2>

<図3> <図4>

 この2つの調査では大きく変わった点が多いのですが、変わらないものもありました。ひとつは、「子どもの発達が環境に大きく影響される」ということです。

 <図5>は、4か月児健診における「赤ちゃんの手にものを持たせたことはありますか」という質問結果と子どもの心身発達の程度とのクロス集計結果です。

<図5>

 この図からわかりますように、手にものを「ほとんど毎日」持たせているという親の子どもは発達良好群に多く属しています。一方、「ほとんど持たせたことがない」という親の子どもは発達不良群に多く属しています。このように、まだ生まれて4か月という時期にもかかわらず、親のかかわりを中心とする環境の影響が子どもの発達の差として明確に表れているのです。このことは、「子どもの人格形成が成育環境に大きく左右される」ということを証明しています。なお、子どもの発達を促進する親などのかかわりは、小児科学や心理学などで従来から「良いかかわり」と言われてきたものばかりでした。

 乳幼児期の環境が子どもの発達にきわめて大きな影響を与えることがわかりましたが、一方で、子どもを取り巻く環境は悪い方向に大きく変化しています。子どもの心身発達を考えるとき、子どもを取り巻く環境の悪化を食い止めるだけでなく、いい方向に転換させることが、今大人社会に求められています。

 2つの調査で変わっていないことの2つ目は、母親の就労に関してです。日本には、3歳までは母親の手で育てる方が良い、という「3歳児神話」があり、働く女性に精神的負担をかけています。しかし、2つの調査とも、母親の就労は子どもの発達に悪影響を与えていないことを証明しています。<図6>

<図6>

V 日本社会の都市化、少子化が子どもや子育てに及ぼす問題

 子どもにとって日々繰り返される食事や睡眠などの日常生活が非常に変わってきています。「大阪レポート」の時点でも親の夜型生活に子どもが引きずられてしまっていることが判明し、大きな危惧を抱きましたが、「兵庫レポート」ではさらに夜遅く寝る子どもが増えています。親が子どもの寝ている時間を把握していないのではないか、と心配になるデータもあります<図7><図8>。夜寝るのが遅くなれば朝起きるのも遅くなるのは当然の結果です。また、昼寝を4〜5時間する子どももかなりの数にのぼっています。寝る時間、起きる時間が決まっている子どもは、「大阪レポート」では9割を超えていましたが、「兵庫レポート」では8割前後となっています。これは、子どものための適切な環境が社会の変化の中で失われつつあることを示しており、非常に深刻な問題だと思っています。

<図7> <図8>

 すでに少子化の中で育った若者たちは、都市化した日本社会の中で、子どもとの接触体験が急速に減少しています。子どもを産み育てるという準備がほとんどなされないままに親になり、子育てをしています。それが日本の子育てにおける最大の問題のひとつです。
 人間にとって経験ほど大切なものはありません。人の思考や感情などは、自分自身の経験に支配される部分が非常に大きいものです。それは私が担当する精神科「小児・思春期」専門外来でも、強く実感しています。
 <図9>に「あなたは自分の子どもが生まれるまでに、他の小さいお子さんに食べさせたり、おむつを替えたりした経験はありましたか」という質問結果を比較して示しています。1980年の段階では、そのような育児経験が「まったくない」という母親は40.7%でしたが、2003年の調査では54.5%と約14ポイントも増加し、半数以上になっています。逆に「よくあった」という母親は22.1%から18.1%へと減少しています。現代日本における子育ての困難さは、「親が乳幼児を知らない」ことにある、と私はボランティア活動などを通して強く感じてきました。ここに示した調査結果はまさにそれを実証するものです。

<図9>

 「大阪レポート」の場合、比較するデータが無かったため、得られた数値が果たして多いのか少ないのか判断できない部分がありました。しかし今回は、同じ質問を23年後に行っているので、比較してみることが可能です。その結果、この23年間の変化の方向やその大きさがわかり、かなり明確な結論が得られます。日本社会がどちら向きに変化しているのか、またどのくらいの速さで変化しているのかがわかるのです。例えば、この質問結果からは、「自分の子どもを産むまでに、小さな子どもの世話をまったくしたことがない母親がかなり増加している」と結論づけられます。このことは「大阪レポート」の時点でも社会的ニュースになっていたので、その傾向がさらに強まった、という方が実態に合っています。今回の「兵庫レポート」は先行研究としての「大阪レポート」が存在するため、一層価値があると考えています。


W 子育てでつのる母親の精神的ストレス

◆多くの母親たちは精神的には健康である <図10>
 当然のことですが、多くの母親たちは精神的には健康です。「赤ちゃん(お子さん)をかわいいと思いますか」という質問では、子どもの月齢と共に率は減少しますが、97〜99%の母親が「はい」と答えています。また、「赤ちゃん(お子さん)と一緒にいると楽しいですか」いう質問でも、やはり子どもの月齢と共に率は減少するものの、87〜95%の母親が「はい」と答えています。このように母親たちは子どもに対するプラスの感情をしっかりと持って子育てをしていることがわかります。これらの結果は大多数の母親が精神的には健康である、ということを示すものです。

<図10>

◆大きい「子育ての負担感」 <図11>
 一方、「子育てをたいへんと感じますか」という質問では、約3人に2人の母親が「はい」と答えており、母親にとって子育ての負担感が大きいことがわかります。子育ての負担感は、4か月児健診よりも他の健診時点で増加しているのが特徴です。子どもの自我が芽生えてくるにつれ「子どもを知らない」という現代の母親たちの戸惑いが増え、また子育てしにくい日本社会の現実が子育ての負担感を増大させているものと考えられます。この質問は「大阪レポート」にはありませんので、比較できないのが残念です。
 すべての人にとって「孤立」は最大の精神的ストレスです。特にまったく乳幼児を知らないまま親になった母親にとって、子育てについて日常的に話し合える子育て仲間や近所の話し相手は、なくてはならない存在です。

<図11>

 <図12>に「近所にふだん世間話をしたり、赤ちゃんの話をしたりする人はいますか」という質問結果を示しています。まず気づくことは、1980年の「大阪レポート」と比較した場合、乳児期の親の孤立化が極端に進んでいることです。4か月児健診での結果を比較すると、「1〜2名」もいない、まったく孤立している母親が16%から32%へと2倍に増加し、約3人に1人の母親が近所に話し相手がおらず、孤立していることがわかります。「親子で一緒に過ごす」子育て仲間については、どの健診時点でも約3人に1人の母親がそのような「子育て仲間」はいないと答えています。このように「母子カプセル」状態で孤立している母子を救出することが緊急の課題です。

<図12>

◆子育て不安は大きく増加している <図13>
 「育児のことで今まで心配なことがありましたか」という質問結果では、子どもの月齢での変化はほとんど認められませんが、「大阪レポート」と比較すると、「しょっちゅう」心配だったと訴える母親が、6〜7%から14%前後へと約2倍にも増加しています。一方、「あまり」心配ではなかったという母親は、34〜40%から26〜28%へと大きく減少しています。このことは育児における心配や不安が「大阪レポート」の時よりもさらに増大していることを示しています。

<図13>

◆児の月齢とともに募る母親の「イライラ感」
 子どもに対するプラスの感情をしっかりと持っているにもかかわらず、多くの母親が「子育ての負担感」を訴えていることがわかりました。
 <図14>に「育児でいらいらすることは多いですか」という質問の結果を示します。今回の調査では、4か月児健診から質問をしていますので、母親の育児での「イライラ感」が子どもの月齢とともに急増することがよくわかります。すなわち、「育児でいらいらすることは多いですか」という質問に「はい」と答える母親は、4か月児健診での11%から、3歳児健診では44%と4倍に増えています。

<図14>

 また、1980年の「大阪レポート」に比べ、今回の「兵庫レポート」では、「イライラ感」が急増していることが判明しました。すなわち、1歳6か月児健診で比べますと、「大阪レポート」では「はい」が11%ですが、「兵庫レポート」では32%と約3倍になっています。また、3歳児健診では、「大阪レポート」の17%に対し、44%と半数以上に増えています。この「イライラ感」の急増は、子ども虐待と深く関係しているものです。


X 体罰傾向と体罰から見えてくる子ども虐待の原因

◆多用される体罰 ―体罰の現状―
 <図15>に、「あなたはお子さんを叱るとき、たたく、つねるとか、けるなどの体罰を用いますか」という質問の結果を示します。なお、「大阪レポート」での質問は、「子供を叱るとき、打つとか、つねるとか、しばるというような体罰を用いますか」であり、質問文が少し異なります。私は「大阪レポート」の分析の過程で、あまりにも多い体罰の使用に非常に驚きました。例えば、3歳児健診時点では、7割近くの母親が「打つ、つねる、しばる」というような体罰を使用していました。

<図15>

 今回の調査でも、1歳6か月児健診時点や3歳児健診時点では、「大阪レポート」の結果と同様に「たたく、つねる、ける」というような体罰は多用されています。現在、日本では子ども虐待が大きな社会問題になっています。「子どもをたたくことは“よくないこと”である」という認識は、「大阪レポート」の当時(1980年代前半)よりは広がっているように感じます。にもかかわらず、「たたく、つねる、ける」というような体罰の使用状況は、「大阪レポート」の時点とほとんど変わっていません。このことは、たたかずにはおれない育児の現実があり、一度たたき始めると自分を止められない親たちがいることを示すとともに、体罰を肯定する社会的風潮が日本には根強く残っていることをも示しています。

◆体罰を使用する母親の特徴
 クロス集計から明らかになった体罰を使用する母親の特徴をまとめています。
 まず第1に、親になるための準備ができていないことが原因として挙げられます。日本社会の急激な変化の中で、親自身が育ちの過程で育児を体験できなくなっていること、結果として、乳幼児を知らないことや育児のスキルが身についていないことなどが体罰の誘因になっています。具体的には、@自分の子どもを持つ前にイメージしていた育児と現実の育児とのギャップが大きいこと、A子どもが何を要求しているかがわかりにくいこと、B子どもにどうかかわったらいいか迷うことが多いこと、C育児に自信が持てないと感じることが多いこと、などです。
 2つ目の体罰の原因は、育児における心配や不安が強く、育児でのイライラや負担感が募っていることです。これは先の@〜Cよりは、体罰の使用とより直接的に結びついているものです。列挙すると、D育児での心配や不安が強い場合、E育児でのイライラ感が強い場合、F育児での負担感が強い場合、G夫が協力的でない場合、H経済的に苦しい場合、などです。
 <図16>に、3歳児健診での「育児でイライラすることは多いですか」と「あなたはお子さんを叱るとき、たたく、つねるとか、けるなどの体罰を用いますか」とのクロス集計結果を示します。ここに示す結果はすべてχ² 検定で有意差が0.0%以下という、きわめて強い相関を示すものばかりです。

<図16>

Y 自己実現と親役割の狭間で悩む母親たち

 私は「兵庫レポート」を分析する過程で、意外なことに気づきました。というのは、母親の育児での精神的ストレスの原因が大きく変化しているのです。「大阪レポート」では、夫の協力や子育て仲間の存在などで母親の精神状態はかなり安定していました。しかし、今回の「兵庫レポート」ではそうはなっていません。結論的にいうと、現代の母親たちは、「親としての役割を担うこと」と自分自身の「自己実現」との狭間で悩んでいるのです。その悩みは、夫のちょっとした手伝いや近所の話し相手の存在などでは解決されないほど、人生の根幹にかかわる根の深いものです。そのことを「兵庫レポート」は明らかにしました。<図17、18、19>

<図17> <図18>

<図19>

 子育て支援、次世代育成支援では、親の人生そのものを支援するような施策が求められているのです。

   
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