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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第7章「父親の役割――まず父子相互作用で子育てにのめり込ませよう−1」


子育てにおける父親と母親の役割の違い

 父親が男性であり、母親が女性であることによって、子育てのあり方が、いろいろな意味において異なっていることはご存じのとおりです。性差は性染色体によって決まります。女性は、常染色体44本の他に、X染色体が2本(卵子は1本)、男性はX染色体とY染色体がそれぞれ1本ずつ(精子ではX染色体とY染色体をもっている2種がある)、それが男女の性差の生物学的基盤なのです。
 小さなY染色体1本の違いが、誰がみても、ほぼ間違いなく区別することができる外観上の違いからはじまって、子孫を残すのに必須の生殖器の決定的な相違にまで及んでいるのです。男性は絶対に生命を宿すことはできません。当然のことですが卵巣も子宮もないからです。また、母乳を分泌することもできません。乳腺組織も痕跡的ですし、機能もほとんどなく、ホルモンのパターンが異なるからなのです。
 したがって、生命を宿し、はぐくみ育てる役割は、当然のことながら女性の役割と、生物学的な立場からも言えるのです。母乳のことを考えると、少なくとも乳児期までは。それが、人類がこの地球上にあらわれて以来の人間的な営みであったことは間違いありません。男性は狩猟で動物をとり、女性は果実を採取し、厳しい自然と闘いながら子育てをして、長い人間の歴史をつくってきたのです。もちろん、夫である男性もそれを助けていたのです。
 しかしながら、われわれが現在生活している、先進社会では、この原則は今や通用しません。父親も積極的に平等に子育てに参加しなければなりません。そして、その考えはますます強くなってきています。
 それは、先進社会では、女性の社会進出、仕事をする女性の数が増加しているからです。その背景には、女性の高学歴化もあり、先進社会そのものが、女性の力を必要としているからなのです。もし、女性が一斉に家庭にもどり、専業主婦として、家事、育児のみに専心することになると、現在の豊かさは保てないのではないでしょうか。
 その上、女性の権利という考えもあります。マグナカルタの人間が権利という考えをもったのは800年も前、市民の権利はアメリカの独立戦争そしてフランス革命で200年前に確立したのです。といっても、その権利は、男性中心のもので、女性の権利は、第1次大戦前に問題になったものの、主として第2次世界大戦後に論じはじめられ、国連がとり上げたのは、たかだか20年程前です。子どもの権利にいたっては、1980年代末。そんな権利思想の流れのなかで、子育ても男女平等に、という考えが出てきたのも当然ではないでしょうか。
 さらに重要なこととして、赤ちゃん用のミルクの開発も考えなければなりません。その昔、母乳がないために、生きていけない赤ちゃんをみて、なんとかしようと考えた小児科医は、栄養学者、酪農学者などと協力して、たんぱく質は牛のものであること、免疫成分がほとんどないこと、などを除いては、ほぼ満点に近いミルクを、約100年程かけてつくり上げることに成功したのです。これによって、多くの赤ちゃんの命が救われるとともに、男性でも、極言すればロボットだって、赤ちゃんを育てることができるようになったのです。
 その上、社会も子育てを支援する体制をつくるようになってきています。わが国では、決して充分とは言えませんが、保育制度にしろ、育児休業制度にしろ、じょじょに充実し、それなりに大きな役割をはたしています。その上、週休2日制も、間接的には男性が子育てに参加する機会をふやしていることは、間違いありません。
 したがって、子育ては母親のみの責任という時代は終り、父親も従来以上に責任をわかち合わなければならないのです。父親の子育てはどうあるべきか、私の考えを述べてみたいと思います。
 人類が長い間やってきた、母親のわが子を抱き、母乳をあたえ、スキンシップ豊かな子育てが、どのようなことを意味するかが、私にはまず気になるのです。私には、母親が育てるということは、単に栄養を与えるだけのことではないように思えるのです。乳児期での母と子のふれあいは、人生の出発点でもつ人間関係で、それなりに「大いなる母なるもの」「女性的なもの」「優しさ」とでもいうべきものを体験する意義があると思うのです。ただし、優しくない女性もふえたそうですが。
 もちろん、子育てのあり方は、それぞれの夫婦が決めるものです。それは、職業や住居、家族構成によって決まる日々の生活のパターンや、母親・父親の人生の考え方にも関係します。子育てを100%母親のものとする立場から100%父親のものとする立場まで、いろいろ考えられます。しかし、子育てといっても、赤ちゃんのとき、歩きはじめ、お話ができるようになった幼児のとき、そして保育園、幼稚園に入って集団生活をしているとき、そして学校に入ってからと、いろいろと違う面があります。どうか、夫婦で話し合って、場合によっては保育士などの専門家を加えて、子育てのチーム体制をつくっていただきたいと思います。

父親は母親の心をまずサポー卜するのが役目
 
とは言え、子育ての直接の当事者は母親であることは、現在の社会体制のなかではさけられないことのようです。とくに乳児期、母乳で育てようとすれば、母親は、絶対的になります。では、一般的に考えると、もう一方の親である父親の役割は、どのように考えたらいいのでしょうか。このテーマについて私見を述べたいと思います。
 父親の役割としては、赤ちゃんの世話を直接するのは当然ですが、母親の心をサポートしてあげることのほうがもっと大切なのです。
 産院での分娩・育児については、医師・看護婦・助産婦と出産、育児を助ける人、すなわちドゥーラ役の人は大勢います。母親はそれらの人びとの励ましのなかで、無事出産し、最初は不慣れでも、育児に心おきなく没頭できます。ところが、退院して家庭に帰ったとき、多くの家庭ではサポート役は父親だけです。核家族化が進んだわが国では、それがふつうの状態となりました。
 そのとき、父親が母親の心の支えになってくれるかどうか、それが最大のポイントです。夫である父親の積極的なサポートがないと、母乳哺育の場合ならまずお乳がでなくなるといった障害があらわれることでしょう。母親が情緒障害をおこして、母乳分泌のプログラムがうまく作動しないのです。場合によっては、精神心理障害(マタニティ・ブルー)までおこします。父親は、母親が赤ちゃんに対して行なうのと同様に、母親に対してマザリング(精神的・身体的な母性的愛撫)、優しい勇気づけをすることが必要なのです。マザーリング・ザ・マザー、ドゥーラをこえたドゥーラとでも言えましょう。
 身近な例でいえば、優しいことばをかける、帰宅時間を早くする、夫婦の食事の準備やおしめのとりかえ、あるいは赤ちゃんの入浴といった育児の労働をできるだけ手伝うなど、父親にできることはたくさんあります。そういうことができるかできないかが、母乳哺育を成立させ、育児を成功させるための第一歩です。たとえ母乳哺育でなくても、同じことです。父親がこのような、マザリングも含めたサポートができないときは、新しい母親が、母乳分泌停止はもちろんのこと、育児ノイローゼにおちいるという危険も覚悟しなければなりません。
 日本でも、新しいタイプの父親が分娩室に入り、出産に立ち合うケースがふえつつあります。このようにして、もっとも信頼すべき父親が最初からドゥーラ役をはたすのはよい傾向といえるでしょう。優しく勇気づけ、いたわるなら、お産は必ず楽になります。そして、分娩直後から父親はできるだけ早く赤ちゃんと接触し、父親と子どものきずなの端緒をつくるのがよいのです。もちろん生まれる前に、妻のおなかにいるわが子に語りかけ、おなかに手をあて、その胎動を感ずるのもよいとされています。
 こういった考え方を一般論としてまとめるならば、前頁の図のようになるのではないでしょうか。母親は、女性として、卵巣・子宮、そして乳房と、生命をはぐくみ誕生させ、栄養としての母乳を分泌する、育児のプログラムをもっていると言えます。もちろん、人間として心と体のプログラムももっています。
 子どもも、前に何回も申しましたように、心と体と発育のプログラムをもっています。
 母子相互作用は、相互作用によって、お互いのプログラムを活性化することと言えます。母親のプログラムが円滑に作動するには、ドゥーラとしての父親のエモーショナル・サポートが大切であり、子どものプログラムが作動するには、母親、そして父親の優しさが重要なのです。
 このように、育つプログラム、育てるプログラムが、スムーズに機能するには、父親ばかりでなく、社会のいろいろな立場の人々のエモーショナル・サポートも大切だと思うわけです。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。



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掲載:2004/05/14