教師は言うまでもなく,人間です。「人間を教育する」立場にある人間である以上は,教師に「優れた人間性」や「人間であること」が期待されるのは自然な発想でしょう。9月にクローズドで実施した「大学生座談会」での学生の言葉からは,「自分が教師になるにあたり大切にしたいこと」,あるいは「印象的な教師」として,そのキーワードとして「人間性」が中心にあるように感じました。しかし一方では,仮に教師が「優れた人間性」を持ち合わせている必要があるならば,極端に言えば,大学で教員免許を取得するための「教職課程履修プログラム」を経験するよりは,例えば山寺にこもって修行僧のような生活を数年間経験した方がいいのではないかとも考えられます。「教員免許をとるための科目履修」以外に,教職を目指す大学生ができることは何でしょうか。 |
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※「大学生の教師観」調査結果より関連データ |
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ベテランの先生方の意見では「人間性重視」――その考え方に異論はないが,それは「大前提」ということです。では,その前提となる「人間性」とはどのようなものでしょうか。教師に必要な資質や能力を今一度まとめてみましょう。
多種多様な人々との交流によって,様々な価値観を学び,広い視野を持つこと。体験を通して学習したことが,教師にとっての「生きた知識」となる。 子どもは教師が一人で育てるのではなく,様々な人々と協力して育てていくことになる。それを可能にするには,教師自身が「人とのつながりの中で自分の役割を認識して行動する」経験をもつこと。そして「大人」社会の人間関係の在り方を身につけておくこと。 上記2点によって,人間としての「余裕」も生まれるのではないかと思う。その「余裕」が「対子ども」場面において,子どもに対する態度などにも現れる。 これらを総合した「一人の人間としての在り方」それが教師としての「人間性」であり,また同時にその人間性が子どもたちに対する「影響力」となって現れるということが言えるでしょう。反面で,それらを培うには「教育実習の再検討が必要だ」という指摘もありました。顧問の先生方から,大学の「教職課程履修プログラム」だけでは学生が学びとることのできない部分への指摘が目立ったことは,大学のみならず,教育に携わる人々が,教師の卵たちに対して新しい形で何らかのサポートする必要性を示しているのではないかと思われます。 |