教師ってなに?へ 図書館へ HOMEへ ●HOME●
●図書館へ戻る●
●「教師ってなに?」へ戻る●

YOUSEI



●古賀先生(宮城教育大学)のご意見

――「模範的であるべきか,否か」には賛否が分かれました。教師の私生活は,子どもの教育への影響という点からみて,「他の職業人と違った大切さ」があると考えるべきなのでしょうか。また,実際そのように考える人が多いのは,なぜなのでしょうか。仮に「他の職業人と違った大切さ」があるとすれば,日常生活のモラルや価値観という点で,「教師としての常識」は,一般社会人の常識と違った幅広さや厳格さを求められていると考えてよいものでしょうか。

教師の私生活には,いつの時代にも好奇の目が向けられてきました。それは,聖職者の素顔がみたいとか,家庭人としての振る舞いをみてみたいとか,さまざまな眼差しを含んでいたのですが,学校ではみられない教師の人間的な姿を知りたいという点では共通していたといえます。

それはなぜか。規範的な組織である学校では,教師が子どものモデルとなって指導するように求められますが,それが本当に貴い人格の現れとして行われるのか,それとも仕事上の役割遂行にすぎないのかが判然としないからです。つまり教師という立場にはいつも,「人格的に慕われる指導者」と「制度的に支えられる指導者」という二重の役割が見え隠れするからなのです。

それは教育的な配慮/暗黙の管理の二面性といった問題にも現れることでしょう。メディアで報道される教師の犯罪は数万人に一人の特異な出来事ですが,それに多くの人々の注目が集まるのは,公私の別なく生活全般に信頼できる人格の者が教師であるべきだと考えていることの証だといえます。

しかし,だからといって,教師が「模範的な私生活」を強要される必要があるとは思えません。聖人君子のような生活をしなければならないと考える必要はありません。ドラマの<GTO>のような破天荒な教師を推奨するつもりもありませんが,さまざまな私生活の経験を通して,個性あふれる教師が生まれていくことも必要だと思うからです。

概して教師は狭い教師同士の関係に閉塞していく傾向があり,他の職業人との交流が疎遠です。NPOなどの市民団体などを通じて,異業種間の交流も盛んになっている昨今においては,「学校から」という一つの視点だけでは視野が狭くなってしまいがちです。幸い教師たちの中にも,趣味や社交などを通して,新たな個のアイデンティティを模索する人が増えてきました。もちろん悪しきプライバタイゼーション(私化)の横行や公務員としての倫理観の欠如などは戒められねばなりませんが,「教師らしくない」といったステレオタイプな常識で私生活を束縛するよりは,「総合的学習」のように,市民としての生活を学校教育に活かしていく道筋を模索する方が得策ではないかと思うのです。


大学生の意見』  『現役教師の意見』  『教師は私生活でも「模範的」であるべきなのか


Copyright (c) 1996-, Child Research Net, All rights reserved.